散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

猿島

2019-05-20 | Weblog
東京湾の入口近くにある唯一の無人島、猿島に行ってきた。横須賀の三笠公園から夏場は毎日、
船が出ているけど冬場は土日だけ。最終便は夕方で、夜間は人っ子ひとりいない猿島。ちなみに
猿もいない。


こんな船に乗ると10分ぐらいで猿島につく

三笠公園から猿島までの距離は1.7km……三笠公園から猿島が見えるし、猿島からも三笠公園が
見える。その気になれば泳いで渡れるのではないだろうか。その気になることはないけれど。


船着場を出るとすぐ猿島が近づいてくる

猿がいないのに猿島というわけは、日蓮が千葉から鎌倉へ出ていくとき乗った小舟が嵐にもまれて
困っていると、白い猿が小舟に現われてこの島へ誘導してくれた。だから猿島。そのあと白い猿に
導かれて日蓮はいまの横須賀に渡ることができた。


夏場はバーベキューと海水浴でにぎわう

バーベキューに必要な道具はすべてレンタルできるので、食べ物と飲み物を持って行けば手軽に
エンジョイできるという。しかし今回はバーベキューしようというわけじゃないし、海水浴しようという
わけでもない。他に目的があるのだった。


大日本帝国海軍が砲台を置く要塞だった

ペリーが黒船で浦賀に来航したとき、猿島のことをペリー島と名づけて帰った。そのあと幕府が
ここに台場をつくって江戸の防衛に役立てようとしたが、安政の大地震で崩れてしまったので、
明治政府はあらためて砲台をつくり、戦艦が東京に近づくのを防ごうとした。


海から見えないように切り通しをつくった

切り通しの壁面の石材は千葉の鋸山から切り出したもの。東京湾をはさんだ向こう岸から船で
運んだのだろうか。ずいぶん深く切り通して、さらに横穴を掘って兵士の収容所と弾薬庫などが
煉瓦としっくいで作ってある。


フランス積みの煉瓦で兵士のタコ部屋が

長い面と短い面が交互に並ぶ「フランス積み」は古い積み方で、長い面と短い面の層に分かれる
「イギリス積み(オランダ積み)」は新しい積み方だという。富岡製糸場は「フランス積み」。東京駅
どっちだっけ? 


ガイドさんが鍵を開けて入れてくれる

中はひんやり。天井には地上へ続く空気穴が開いている。ランプを吊るすフックのようなものが
天井についている。どれだけの人数が寝起きしたのだろうか?


ワンルームの地下空間が広がっている

煉瓦のアーチをしっくいで塗り固めてあるのは、明るく見えるようにという配慮と、湿気を吸う
ようにという配慮から。当然、弾薬庫のほうも煉瓦としっくい。(たぶん兵士より弾薬を大事に
してた気がする)


あっちのほうに弾薬庫がある

歩きやすいように(落書きしにくいように)遊歩道が切り通しに敷かれている。宿舎と弾薬庫が
いくつも切り通しに並び、その上に砲台が並んでいた。いまはもう砲台はない。


弾薬庫もガイドさんが開けてくれる

東京湾に入ってきた軍艦を狙い撃つための弾薬をたくわえたけれど、訓練に使うだけで実戦で
軍艦を砲撃する機会は日清戦争でも、日露戦争でも、第一次世界大戦でも訪れなかった。


弾薬庫は2部屋に分かれていた

兵士は大部屋だけれども、弾薬は小部屋に分けて保管されていた。手前の部屋には砲弾を上の
砲台に上げるための「揚弾井」があった。奥の部屋にはないから置き場所だったんだろう。


奥の部屋には落書きがいっぱい

ここが文化財として保護されるようになるまで、兵舎も弾薬庫も鍵などなくて誰でも出入りできた。
落書きもし放題で、しかし文化財になってからは落書きも勝手に消すことができなくて、現状維持
せざるをえないとか。


火気厳禁なので灯火は脇の通路から照らす

兵舎は天井にランプを吊るしたけど、弾薬庫でそんなことをしたら大変。しかし照明がなければ
夜間に東京湾を通る戦艦を攻撃できない。ということで、弾薬庫の脇に通路を通して窓をあけ、
硝子戸をはめて通路側にランプを置いた。兵士はいちいち弾薬庫に入らなくても、通路を巡回
すれば定時の確認ができた。


だから弾薬庫の脇には通路がある


砲台へ駆け上がる階段もある

こんなに頑張って作ったのに、明治から大正にかけて戦艦を砲撃する機会がないまま、昭和に
なると戦艦ではなく飛行機でくるようになってしまった。敵襲が。


トンネルまで作って備えたのに・・・

第二次世界大戦になると戦艦を撃つ大砲はすっかり用済みになり、飛行機を狙い撃つための
高角砲座につけかえる必要がでてきた。ちなみにトンネルの上にはサーチライト設置。


長さ90m、高さ4.3m、幅4mの煉瓦トンネル

ちなみに高角砲座は高度5000mの飛行機を狙い撃つこともできたというが、そこまで届くのに
18秒かかるという話……18秒後にどこを通るか予測して当てることなんて、できたのか?


トンネルの中にメインの武器庫と兵舎が

二階建てでずーっと続いてる。トンネルは掘って作る技術がまだなかったから、まず切り通しを
作って煉瓦のアーチを組んでから土をかぶせた。


砲撃に耐えるようにアーチが分厚い

幕府が瓦解して職を失った愛知名古屋の旧士族が焼いた煉瓦と、小菅の囚人が焼いた煉瓦が主に
使われているらしい。旧士族と囚人、明治を支えた下積み。


横須賀に戻って三笠を見学する

日露戦争でバルチック艦隊を破った海軍の旗鑑、三笠が記念館として横須賀に据えられてるのを
見学して帰った。当時は世界最大級だったそうだけど、いま見ると小さく感じる。


関連記事:   観音崎
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チベット

2019-05-10 | Weblog
チベットの人はニンニクを生で食べるそうです。食卓に箸休めとして置いてありました。一昨年、
インド側のチベット文化圏であるラダックに行ったとき、みんながニンニクを生で食べていたのか
どうか、思い出すことができません。


ダライ・ラマは生で食べるかな?

日本のお寺では酒とか香りの強い食べ物は禁じられているから、生のニンニクなどもってのほか
ですけど、同じ仏教徒でもチベットの人はニンニクも生で食べるそうだし、ついこのあいだまでは
お寺で生の肉を味つけもせず食べていたというから、所変われば品代わるです。ちなみに肉とは
ヤクの肉。あとはハダカムギを粉にして炒めたのと、バター茶が栄養源。あかりもヤクのバターに
灯した燭が頼りだったそうです。だからいまも、お寺に入るとバターくさい。


どのお寺も建物内は撮影禁止だった

フリー・チベットといわれるインド側のラダックでは写真OKの場合が多かったのに、中国側の
チベットは堂内の写真NG。信仰の問題というより、管理している中国共産党の利益のためと
いう感じでした。(写真集を売るため)


チベットは中国共産党の支配下

そもそも漢民族のガイドつき団体ツアーでないとチベットに入れないと聞いています。日本語が
達者で人当たりのいいガイドの説明はわかりやすいけど、ふだん聞いているチベットの歴史とは
ちょっとちがう。だけど、中国政府の解釈どおり観光客に説明しなかったらガイドさん投獄される
そうだから、自由のない国は大変です。


スローガンには自由って書いてあるんだけど……

どこの国でもスローガンには現実と反対のことが書かれるものです。日本の場合どうか考えれば
わかりやすいですよね。短い旅行のあいだも町ですごく強権的だなと思うような出来事が多くて、
ラダックとずいぶん差がありました。あそこも紛争地帯だから軍隊はいるんだけど、警察や公安や
特警や何や中華人民共和国のチベット自治区はやたら警邏の人が多い。人が余ってるのかなと
つい思ってしまいます。


70周年に、60周年に、50周年……周年ばやり

どうやら建国して70周年、人民解放軍が人海戦術でチベット占領して60周年、チベット自治区が
できて50周年ということみたいです。ダライ・ラマを国外に追い出したのは60年も昔なんですね。
30年前にノーベル平和賞がダライ・ラマに与えられましたが、中国共産党は欧米の陰謀ぐらいに
受け止めているようです。しかし解放と称する虐殺への牽制もあったかと。


それにしても国じゅう真っ赤なスローガンだらけ

Twitterも使えない、Facebookも使えない、LINEも使えない、Gmailも届かない……おかげさまで
旅行中はデジタルデトックスになりました。自由な情報を遮断して、大雑把なスローガンを掲げる
ことには、それなりの意味があるんだと列車に乗ったら3時間ぐらいで実感しました。


列車も長いし警備に関わる人数もまた多いこと

乾燥した高地で酸素も薄いのにどこまで行っても土木工事に従事する人の姿が車窓から見えます。
広い国土をすべて北京の時刻で動かして時差を設けていなので、チベット自治区だと夜9時ごろまで
明るいから、工事もそれぐらいまで続けています。この自治区だけで面積は日本の4倍ぐらいあって、
人をたばねて一斉に開発するには情報を遮断して一つの大義で動かさないとムリです。社会主義は
スローガン自体は正義のかたまりだから、現実に目隠しをして人を駆り立てるのに打ってつけ。


田舎へ行くほどスローガンで駆り立てねばならぬ

Twitterも、Facebookも、LINEも、Gmailも使われちゃ困るわけです。日本人がブログに勝手なことを
書くのはともかく、中華人民にSNSなどで拡散されちゃ嫌なわけです。ラサからシガチェに、シガチェ
からラサに列車で3時間ずつ揺られるあいだ、ずっとそんなことを考えてるか寝てました。


ダライ・ラマの宮殿はラダックの寺院によく似てる

あるじがいなくなって60年、荒廃したポタラ宮を中国政府がきらびやかに修復して観光収入を得る
装置にしています。観光客が殺到して、見学に時間制限があり、写真撮影NG(撮る時間もない)
とは正直いって不満です。フリー・チベットの側にやはり魅力を感じてしまう。


時計回りに巡礼する人たちには信仰の対象

かつてダライ・ラマが寝起きしたポタラ宮で、いま寝起きしてるのは管理のための消防・軍人ばかり。
その周囲を時計回りにぐるぐる回って、五体投地しても意味があるかどうか疑問を感じてしまいます。
建物に聖性があるわけじゃないと思ったら意味のない行為だけど、自然崇拝の名残りで丘そのもの
に宗教を認めるなら意味あるのかも。ライバルのパンチェン・ラマのタルシンポ寺にしてもそうだし、
少なくとも政府の資本で修復された宮殿や寺院を礼拝していれば暴動は抑制されそう。


死んだら鳥葬されて天に昇るのが一番の幸せ

鳥葬される死体は、きれいに切り刻まれて、ハダカムギをヤクのバターで炒めた主食と混ぜ合わせ
鳥葬台に乗せられるそうです。ハゲタカが飛んできて、すっかり食べてくれるまで遺族は帰宅しない。
それなりの費用がかかるのか、貧しい人の死体は水葬で川の魚に食べてもらう。だからチベット人、
近くの川でとった魚は食べないとか。伝染病で死んだ人は火葬され、犯罪者が死んだら土葬される
から、夫婦げんかで罵り合うとき「お前なんか死んで土葬されろ!」というそうです。




関連記事:   パンゴン湖
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする