あって当たり前だから、その気になればいつでも行けると思ってる場所がなくなるのは痛い。名画座や行きつけの喫茶店ぐらいでも痛いし、しばらく行ってなかった公共施設も、なくなると分かると惜しい。歌舞伎や文楽、落語などを楽しみに学生のころときどき寄ってた国立劇場が、10月で公演を終えて取り壊されるという。歌舞伎とか落語とかは10月も上演の予定があるのに、あれれ?
加齢とともに伝統芸能から遠ざかりつつあるけど、なぜか文楽が無性に見たい。調べたら文楽をしっかり見る機会は、9月24日で終わってしまう。あわてて23日、24日の両日チケットを買い、通し狂言「菅原伝授手習鑑」を鑑賞することにした。非常に有名な演目ながら通しで上演するのは50年ぶりらしい。そんなことで伝承できるのか心配……つぎの機会あるんだろうか?
オープン当初、なにも最高裁判所のとなりで芸能やらなくてもと揶揄されたのも記憶に新しい国立劇場、もう取り壊すなんてもったいない。いつ完成したか調べたら生まれる前だった。そうか、大人たちが囁きあうのを幼少のころ耳にして記憶したということか。調べたら最高裁判所の建物のほうが後にできている。なにも国立劇場のそばに裁判所おっ立てなくても、という順序になる。
とくにこれ、大劇場と小劇場の裏手にある演芸場がすぐ横に聳える要塞のような最高裁に睨まれて、どうしても卑屈にならざるを得ない。だから落語はどうも見る気分にならない。歌舞伎もなんか気が引ける。ところが文楽(人形浄瑠璃)は品があるせいか、小劇場が裁判所から比較的に離れてるせいか、よそで鑑賞する機会が乏しいせいか、さよならしておきたかった。
あらためて観る「菅原伝授手習鑑」は平安時代に題材をとっている(菅原道真の失脚と復讐にまつわる物語)なのに、登場人物というか人形がみんな儒教道徳にしばられすぎて、がんじがらめすぎて背筋が寒くなる。江戸時代の脚本だから致し方ないのだろう。観ていてだんだん平安時代ということを忘れて江戸時代としか思えなくなり、儒教にしばられない能や狂言との違いを感じる。
それでも「菅原伝授手習鑑」の間に挿入された明るい演目「壽式三番曳」は、狂言の影響が色濃かった。「能や狂言が好きな人は変質者」と言い放った橋下徹が文楽について「演出を現代風にアレンジしろ」「人形遣いの顔が見えると作品世界に入っていけない」「クラシックや文楽が芸術ならストリップも芸術だ」などと変質者以下の発言をしたこと、思い出さなくていいのに思い出した。維新の関係者は文化や行政の破壊しかしない。ひさしぶりに観る文楽が最高だけに、あいつらは許せん。
さよならだからなのか、千穐楽のときは配るものなのか、入口でこんな封筒を渡された。もらってもどうしたらいいものか。五円玉ぐらい入ってるのかな? と中を確認したら、べつになにも入ってなかった。文楽をしっかり見る機会は当分ないけど、10月も1日単位の出し物はつづく。舞踊とか謡とか。異色なのは「ナイツ独演会」で、チケットが残ってたら行きたいのに売り切れ。
「壽式三番曳」と「菅原伝授手習鑑」の幕間に、席を立たずに座って休んでたら場内アナウンスで国立劇場の緞帳について解説が始まった。前の日は幕間にトイレに立ったり売店を冷やかしたりしたので、さよなら公演だから緞帳を見せびらかしてるのか連日こんなふうに緞帳を見せびらかしてスポンサー名を読み上げるのか、判別するのが難しかった。ことによると連日やるお約束なのかも。
前の席のおばちゃんが動画で緞帳を取ってる(写真の下方にスマホが見切れてる)ので、わざわざ動画でなぜ? と思ったら、場内アナウンスの説明を録音したくて動画モードにしてるのだった。安土桃山時代にこのようなモダン美がすでに確立していたとか、この緞帳の提供は竹中工務店ともう一社だとか、そんなようなこと。幕間なので人が出入りして動画に入るのを、おばちゃんは嫌がっていた。
3枚目の緞帳は三井住友カードがスポンサーだったのを覚えている。緞帳のことなどどうでもいい。文楽を鑑賞してると人形が人間にしか見えなくなる。リアルさの極みで、それが人形なのだと気づかせるシーンが時折あり、緊張と緩和(あるいは同化と異化)で場内が笑いに包まれる。うつむいた人形遣いも微笑んでいる。そこがいいんじゃないか。「人形遣いの顔が見えると作品世界に入っていけない」なんて、とんでもない。
悲劇的な場面は人形だからこそ容赦なく、人間がやるより切ない。人間がやるより哀しい。人間がやるより残虐、非道、冷酷。そこがいい。首を引きちぎって投げ飛ばすなんて、人形じゃなきゃできない。千穐楽の前の日、国立劇場の裏手にある伝統芸能情報館で文楽の人形かしらを見物しながら、そんなことを思った。千穐楽で実際に悪役が部下の首を引きちぎって投げるシーンがあり、退治されて当然という流れを作るために必要なことながら、歌舞伎であれをやるのは無理だと思った。やると作り物めいて滑稽になる。
伝統芸能情報館も国立劇場と一緒に取り壊されるのかもしれない。取り壊されるに違いない。おそらく見納めだろう。そう思ったから、いちおう写真に撮っておいた。近ごろは工事の人手が不足しているから、計画通りに建て替えが進むとは限らないし、つぎに国立劇場で文楽を楽しむのはいつのことだろう。公演自体は場所を変えて、確か北千住のホールで12月にやったり、年明け外苑前のホールでやったりするらしい。場内アナウンスで宣伝していた。