佐原は2度目だ。1度目は水戸の帰りに寄った。茨城かと思ったら千葉で、県境に近いらしい。
上の写真みたいに捨てられた建物や、古看板に興味を抱きつつ歩いたら、江戸の堀端のような
街並みが開けて驚いた。あれから2年……いや3年か? ふらっと寄った佐原は変わってない。
時間がゆっくり流れてる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/1d/3d7e8552471ecec3b386f658cff0ef3a.jpg)
水の郷・佐原……写真映えする星……じゃなくて 町
小江戸と呼ばれる町がいくつかある中でも、佐原はじつに写真映えする。そう、写真映えする
ということは実際に訪れると? (答. )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/cd/e899a8a892d0c973532add4fbb7d2ff3.jpg)
いまのは正解のない設問
もういちど訪ねたくなる……というのが、あたりさわりない回答かも。実際その通りだったし。
古い町並みが残る忠敬橋のあたり、観光客がゆっくり行き来して悪くない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/80/d5242489ae19299a5181037cad0ac945.jpg)
こういう舟で川を上り下りしようと思えばできる
忠敬橋(ちゅうけいばし)は、あの伊能忠敬にちなんだ名前。どの伊能忠敬かっていうのなら、
説明せねばなるまい。大日本沿海與地図を江戸時代につくったエライおじさんだと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/7c/5187c3a2ccb8a2d07ea1ccbfc726860b.jpg)
そのエライおじさんの家が佐原に実在する
生家ではない。生家は千葉の九十九里だもん。18歳で佐原の伊能家に婿養子に入り商才を
発揮。伊能家の商売を立て直し、50歳で隠居すると江戸にでて今度は測量を学び、南蛮人も
舌を巻く精密な日本地図をつくりあげた怪人。それが伊能忠敬だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/9b/5fcd31e0acc7bf3b26d3bc5023f69978.jpg)
忠敬の家の前にかかる橋(裕福だった証拠)
写真映えする町といったが、昨年(2011年)3月の東日本大震災で、ここは千葉だけど屋根の
瓦が落ちたり家が崩れかけたりして、写真に写ってないところに被害の跡がめだつ。それでも
景観を保全して、また人の足を向けようと努力してるのがわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/16/29ecfc6f361d653308de096e0d979c9b.jpg)
JRの駅舎もめずらしく特徴あり
上の写真みたいに捨てられた建物や、古看板に興味を抱きつつ歩いたら、江戸の堀端のような
街並みが開けて驚いた。あれから2年……いや3年か? ふらっと寄った佐原は変わってない。
時間がゆっくり流れてる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/1d/3d7e8552471ecec3b386f658cff0ef3a.jpg)
水の郷・佐原……写真映えする星……じゃなくて 町
小江戸と呼ばれる町がいくつかある中でも、佐原はじつに写真映えする。そう、写真映えする
ということは実際に訪れると? (答. )
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/cd/e899a8a892d0c973532add4fbb7d2ff3.jpg)
いまのは正解のない設問
もういちど訪ねたくなる……というのが、あたりさわりない回答かも。実際その通りだったし。
古い町並みが残る忠敬橋のあたり、観光客がゆっくり行き来して悪くない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/80/d5242489ae19299a5181037cad0ac945.jpg)
こういう舟で川を上り下りしようと思えばできる
忠敬橋(ちゅうけいばし)は、あの伊能忠敬にちなんだ名前。どの伊能忠敬かっていうのなら、
説明せねばなるまい。大日本沿海與地図を江戸時代につくったエライおじさんだと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/7c/5187c3a2ccb8a2d07ea1ccbfc726860b.jpg)
そのエライおじさんの家が佐原に実在する
生家ではない。生家は千葉の九十九里だもん。18歳で佐原の伊能家に婿養子に入り商才を
発揮。伊能家の商売を立て直し、50歳で隠居すると江戸にでて今度は測量を学び、南蛮人も
舌を巻く精密な日本地図をつくりあげた怪人。それが伊能忠敬だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/9b/5fcd31e0acc7bf3b26d3bc5023f69978.jpg)
忠敬の家の前にかかる橋(裕福だった証拠)
写真映えする町といったが、昨年(2011年)3月の東日本大震災で、ここは千葉だけど屋根の
瓦が落ちたり家が崩れかけたりして、写真に写ってないところに被害の跡がめだつ。それでも
景観を保全して、また人の足を向けようと努力してるのがわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/16/29ecfc6f361d653308de096e0d979c9b.jpg)
JRの駅舎もめずらしく特徴あり