散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

練馬区高松

2013-01-27 | Weblog
お正月にアルバムを見たら、中学3年生のとき通った学習塾の写真が出てきた。ごらんのとおり木造平屋建ての
町塾で、1984年ごろ通っていたのを懐かしんで1999年ごろ、十数年ぶりに通りかかって撮った写真。


その名も山田塾……分詞の活用とか習った覚えあり

そのときは場所もわかったし、建物もあったけど、さらに十数年たった2013年の現在はどうだろう? さすがにもう
営業してないとは思うけど、建物はあるだろうか? 道は覚えているだろうか? そのうち訪ねてみようと思ってて、
今日は天気がよかったので実行してみた。


並木が成長して高い!!

当時の最寄駅は成増。いまは光が丘という駅が近くにできて、その気になればアクセスは容易だ。15年か25年の
あいだに街路樹の背が伸びて、ものすごく高く感じる。月日の経つのは怖ろしい。


大根畑の隅にコンビニが!

いまだに畑があるのも驚きだけど、畑の隅っこに「サンクス」ができてる! コンビニエンスストアのひとつやふたつ、
練馬にあっても不思議じゃないんだけど意外。こうして歩いてると、少しぐらい様子が変わっても道さえ同じだったら
そう迷うこともない。道なんてめったに変わるもんじゃないし……


知らない道路できてる!!

こんな一直線にどこまでも見渡せる道、20世紀はなかった。複雑に曲がりくねった路地がないと、どこに何があったか
思い出せなくなってしまう!

完全に目的地を見失って、ぐるぐるそのへんを歩き回った。どうしても見つからないので、いっぺん中学校を訪ねる。
さすがに中学校の場所まで見失うことはなかった。(ちょっと迷ったけど)


中学校からの帰り道をたどれば、塾がみつかるかもしれない

逆方向からのアプローチを試みる。ベクトルがちがうと、景色の印象もちがう。もしかしたら勘で塾にたどりつくかも。
マンションになっていたり、建売住宅になっていたり、コンビニになっていたりするかもしれないけど、場所の見当さえ
つけば気がすむ。


ネリマ サンドレス の看板

なんかこれ、見たことある。いまはもう営業してないようだけど、中学生のころは ネリマ サンドレス といったら……
なんだかよくわからないけどみんな知ってる存在だった。どうやら塾もちかい。


このあたりがそうだったんじゃないかな……?

なんの根拠もないけれど、位置関係とか土地の感じとか、このへんが昔は塾だったんじゃないかと思えてならない。
たぶん勘違いだろう。ともかくもう、この世から消えてなくなってしまった。バスで成増に出る。


1914年にできた「不二越」

歩き疲れたので、成増で喫茶店に入る。小樽に昭和8年からある喫茶店は観光名所になっているけど、この成増に
大正3年からある喫茶店はごく普通に営業している。消えないで、ずっと続けるのってたいへんなことだと思った。
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日本昭和村

2013-01-23 | Weblog
平成記念公園こと日本昭和村は2003年オープンということで、明治村(1965年)や大正村(1984年)に比べて
新しい。けど昭和30年代っぽくて懐かしい。よく考えたら昭和30年代、まだ生まれてないけど……。


昭和30年代って、こうだったんですかね?

JR高山本線の美濃太田駅から4km……タクシーでいくしかないかと思っていたら、駅からバスが出ていた。
所要10分かそこら。明治村、大正村にくらべてアクセスがいい。


山の中に作った公園だから歩いて回ると空気がおいしくて気持ちいい

ほかには説明することがあまりない。行けば楽しいと思う。動物もいるし、子連れなら明治村や大正村より
もしかしたら昭和村がいちばん遊べるかも。


村長の中村玉緒さんがお出迎え。家電の古いやつがゴロゴロ転がってる


フォークソングのコンサートがあったり、学校に怖い人形があったり


アルパカがいたり、ヤギやウサギがいたり、あそびのひろばがあったり


里山っぽい散歩道に、何やら格言を記した杭が打たれていたりする……

平成村をつくるなら展示するのはポケベル、ピッチ、ガラケー、スマホとあとはジュリ扇、おやじギャル、
ルーズソックス、SMAP、PRIDE、銅メダルラッシュ、郵政民営化、叶姉妹、イスラム原理主義、牛丼戦争、
宇多田ヒカル、留守録、クールビズ、ずばり言うわよ、洋服の青山……ま、ま……途中から、しりとりに
なっちゃった!
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日本大正村

2013-01-19 | Weblog
日本大正村は実際の町(岐阜県恵那市明智町)をそのままテーマパークにしていて、入場料というものがない。
ただし、主要な4施設に入るには共通券(500円)を買う必要がある。


こんな電車に揺られていく

明智光秀ゆかりの明智町(大正村)にいくには、名古屋・岐阜まわりか、長野の塩尻まわりで中央本線に乗り、
恵那という駅で下りて、そこからさらに明知鉄道で50分ほど揺られなければならない。本数も少ないことだから
なかなか覚悟がいる。何年も前から興味はあったが、おいそれと向かえなかった。


切符を買うと入鋏して渡され、改札はとくにない

単線を一両編成の電車がゆく。いやがおうにも期待が高まるけど、あらかじめホームページを見たら、1984年の
オープン当初に日本大正村を訪ねた客が「ただの町じゃないか」とクレームをつけたという心温まるエピソードが
堂々と載っていたので多少不安もある。


やっと明智駅に着いた……

駅から出ると大正村、ということなのだが、ただの町といえば平成の田舎町にしか見えない。しかし、努力して
大正らしいところを見つけようとすれば意おのずから通ず。


大正時代の郵便局舎のとなりに平成の郵便局舎が!

ほらね。こんなふうに、現在の町に大正の町が顔を出すのが日本大正村……ということらしい。うっかりすると
明智光秀ゆかりの井戸とか神社とか、戦国時代が顔を出しかねない怖さもあるが、つとめて大正気分に浸る。


大正期の建物が明智町に散在している……

赤囲みの建物4つが有料で、共通券を買えば見学できるというわけ。なんで大正時代の建物が残っているのか?
それはどうやら、こういうことらしい。


養蚕で大正時代に栄えたから

富国強兵・殖産興業のプロセスで繊維工業がさかんになったとき、養蚕によって現金収入がはいるようになり
繁華街ができた。そのなごりで、さっきの鉄道も当時つくられたものじゃないかな……?


うかれ横町っていうのは当時の盛り場にちがいない

いまはぜんぜんうかれていない。それでも昔はここに芸者さんがいたり、カフェーの女給がいたりしたんだろう。
俯瞰で見ると、だいたいこんな町だったらしい。


バーン! (いまはもっと住居が増えている)

さて、500円の共通券も買ったことだし主要な建物でも見物するか……「おもちゃ資料館」が2013年春まで
改装中っていうのは少し痛い気もするが、まあいいや。「大正時代館」へ。


営業中の喫茶「天久」に入って、中に通してもらう仕組み

どっから入るか、しばし考えちゃうけど、喫茶店を経由して入るしかない。コーヒー飲まなきゃいけないかと
いうと、そんな雰囲気でもない。なんかちょっと戸惑う。これが大正村の醍醐味? さらっと見学して、次は
「日本大正村資料館 大正の館」へ。


大正村のなかでも、いちばんそれっぽい雰囲気かもしれない……

おばちゃんたちの客あしらいがいいから、欲しくもない大正村バッジを気持ちで買って帰ってしまったぐらい。
展示物も、ここがいちばん充実している。その気になれば半日ぐらい眺めてられそう。その気にならなければ、
10分ぐらいでザッと通り抜けて出てくることも可能。


狭くて急な階段を上ると、大正(じつは昭和も)の玩具やら何やらがいっぱい


大正時代の10大ニュース、1位は桜島大噴火 (ちなみに関東大震災は7位)

第一次大戦、ロシア革命、シベリア出兵、米騒動、原首相暗殺、有島武郎の心中、大杉栄の暗殺、そして
ラジオ第一声……。


レコードがいっぱい。流行歌はあったっけど、いわゆる演歌はなかった


教科書を黒く塗りつぶすのは昭和の敗戦後でしょ


そとをぶらぶら歩きまわると、大正なのか昭和なのか古い建物が多い


このへんはいかにも昭和な感じがするけど、それでも大正なのかな


新しく普請したかもしれない石畳の道のわきに、日本大正村役場が


ウインクの相田さん、司葉子の息子と結婚してたのね

村役場で年表を眺めてたら、初代村長の高峰三枝子は1985年に就任して1990年に逝去。2代目の村長には
司葉子が1999年に就任したという。


丘の上の大正ロマン館へ


故 高峰村長の愛車 ニッサン プレジデント

「主に成田空港から田園調布の自宅までの送迎に利用されました」って、そんなにも頻繁に海外へ……?
しかし、さすがですな。


『青い山脈』って恵那市でロケしたんだ……

なんども映画化されてるみたいだけど、司葉子が出演したのは1975年のやつみたいだから、恵那市のロケは
そのときかな?


村長室から村を見下ろす

明知線に乗って恵那まで戻る途中、一両編成の車両に老人が大勢ドカドカ乗ってきて、何事かと思ってると
次の「極楽駅」で全員下りて記念撮影してる。変わり種の団体ツアーで観光バスが先回りしてるわけか……。
いなくなってくれてホッとした。
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博物館明治村

2013-01-17 | Weblog
平成25年は明治146年、大正102年、昭和88年にあたる……みたいなことを思いながら、岐阜県にある
日本大正村(恵那に1泊)と日本昭和村(美濃太田に1泊)を訪ね、帰りがけ愛知県の博物館明治村へ。
大正村も昭和村も交通が便利とはいえないから、明治村に寄る時間ないかもと思っていたけど、意外に
昭和村と明治村が近いので、いちばん奥地の大正村まで最初に踏み込むのが、三村を回るコツだった。


(回るつもり元々なかったけど)

昭和村のある美濃太田から高山本線で2駅、鵜沼で名鉄の新鵜沼につながり、2駅先の犬山で下りると
バスで30分のところに明治村がある。(写真は鵜沼から見た犬山城)


来てみると、明治村はやっぱり充実してる

全国から明治期の建物を中心に移築してきた博物館明治村。昭和40年(1965年)に開村したここへは以前
来たことあるけど、昭和59年(1984年)に立村した日本大正村、平成15年(2003年)オープンの日本昭和村
を見たあと再訪すると、規模の違いを実感する。大正村が500円、昭和村が800円、明治村が1,600円という
料金の設定が、ちょうどそれくらいになるだろうとなっとくできる。(大正村は主な施設以外は無料)


村の奥に移築された帝国ホテルの中央玄関

ここまでバスに乗ってみた。以前は歩いたけど、バスに乗ってみると園内の随所で面白い説明が聞けて、
いちど乗ってみるのもいいと思った。明治村には、本物のSL、本物の市電も走っていて、古い乗り物が
実際にお客を乗せて動くのはすごい。

 
乗り物は1日券もあって、うまく使うと広い村の中を回りやすい

明治村は有名だから、あらためて説明することもないのかもしれないが、1日でちょうど回りきれるぐらい
だから散歩にうってつけ。都会を離れた山の中で空気がおいしい。明治の遺物に囲まれて独特。

 


明治のカレーは昭和のカレーとそんなに変わらない


監獄の独房は、修道院で見た修行僧の個室とそんなに変わらない


聖ザビエル天主堂では、年に何十組だか結婚式を挙げる


この床屋さんの2階で石川啄木が『一握の砂』を書いた


鴎外や漱石が実際に住んだ家(時期は違う)…『吾輩は猫である』もここで書かれた


代官山の西郷山公園にあった西郷従道(隆盛の実弟)の洋風の屋敷


聖ヨハネ教会堂……(プロテスタントだから絵や彫刻がない)

ほかにもいろいろあるけれど、きりがないからこれくらいに。
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東京の雪

2013-01-14 | Weblog
まとまった雪が東京にふりつもるのは珍しいから、写真4枚ならべておく。


1月14日 だいたい11時ごろ


1月14日 だいたい13時ごろ


1月14日 だいたい15時ごろ


これも だいたい15時ごろ
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名鉄バスセンター

2013-01-10 | Weblog
名鉄バスの「都市間高速バス」に乗って終点「名鉄バスセンター」に到着するとき、とんでもない光景をまのあたりにして
すっかり度肝を抜かれてしまった。名古屋に在住の方や中京圏にお住まいの方にとって常識以前なのかもしれないが、
「名鉄バスセンター」はカッコいい!


場所は名古屋駅に隣接しています

隣接というのが、ひとつのポイントなので覚えておいてください。犬山の博物館明治村から「都市間高速バス」で
終点の「名鉄バスセンター」に到着すると、交差点からビルの「バス専用入口」に吸い込まれる。


あんなところにバスの入口!

これぐらいなら、どこのバスターミナルでも見かけることだから、たいして驚きはしない。しかし、その後、人工の急斜面を
バスが登り始めたとしたら?


わー斜面にバスの入口が開いてる~!

しかも、あれは2階の入口にすぎなくて、脇を素通りして3階の入口までバスが上がっていく。
そのとき、左を見ると複数の線路を列車が行き来している。


こんなところは他で見たことがない……

立体的にデザインされた基地みたいなバスターミナルは、東京にはない(と思う)。平面を利用したターミナルばかり。
「名鉄バスセンター」は2階と3階にバスのりばが広がっている。


人工の急斜面に開いた入口のなかは、こんなふうになっている


人が歩くところとは仕切られている


バスの降車口は、名鉄百貨店のメンズ館にエスカレーターで直結している

ミニカー基地みたいな「名鉄バスセンター」は名古屋名物
だと思う。
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ざしきわらし

2013-01-07 | Weblog
お正月ひまだったから古い写真を眺めていたら、ざしきわらしが出るという宿に泊まったときのがあった。2006年か、2007年か、盛岡の民宿。おもちゃがいっぱいあるのは、ざしきわらしを喜ばせるためで、宿泊客が持ってきたのも多いらしい。ざしきわらしはどこにいるかというと、画面の中に白い丸がたくさん浮遊している、それが正真正銘ざしきわらしだと宿の人が教えてくれた。「お子さん連れだから一緒に遊びたいんでしょう」という話だった。
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馬込

2013-01-03 | Weblog
大森駅で電車を下りて、お昼だけやってるカレーの店に久しぶり行く前に、ちょっと神社で絵馬を見て
お腹を空かせようと思ったのが間違いの元です。道に迷ってしまいました。


馬込のあたりは坂だらけ

あとで知ったことですが、このあたりは昔から九十九谷と呼ばれたそうで、谷と丘が複雑に入り組んだ
ややこしい土地です。道も曲がりくねって、どこにつながるか感覚的につかみにくい。ずんずん進むと、
あらぬところへ出てしまいます。


ここは萩原朔太郎が住んでいたところらしい

“私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の「錯誤」に過ぎないといふことを。”……
といった語句がある朔太郎の散文詩を、坂だらけの馬込で迷うと思い出します。


まさか当時とおなじ建物ではないだろうけど

昭和のはじめの住居がそのまま残っているとは思えませんが、場所はここなのだそうです。パリとかだと、
おなじ場所におなじ建物があっても不思議じゃないどころか、むしろ当然といえるかもしれないですけど、
東京ではそんなこと望むべくもない。文化の違いですね。


川端康成と石坂洋次郎はご近所さんだったのか

ごく普通の住宅地の路地に、ひょっこりプレートが出ているから、まさしく犬も歩けば棒にあたるように
馬込を歩くと文士の住居にあたる。“馬込文士村”っていう言葉もあるくらい。だけど、“村”と呼ぶには
まばらに点在していて、ひとかたまりになっていない。探せば迷う。迷えばあたる。


あやしい人を見たらすぐに110番……

このマンションがあった場所に、どんな建物かわからないが、川端康成と石坂洋次郎が住んでいたらしい。
たぶん同棲していたわけじゃなくて、きっと別々に。


しかし、ほんとに坂だらけ

関東大震災のあと、とてもじゃないけど都心に住めなくなって、大根畑と雑木林に囲まれたこの九十九谷に
だんだん大勢の人が住みだした……そのなかに文士も多かった、ということかな。


衣巻省三という人は知らないけど、裕福でダンスを文士に広めたらしい


ともだちの稲垣足穂も、ここに転がり込んでダンスを踊ったりしたそうな

バスが通ってる臼田坂という坂のまわりに、萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎、稲垣足穂、衣巻省三らが
ぽつりぽつりと住んでいた。その先に尾崎士郎と宇野千代の夫婦が住んでいて、馬込に画家や作家や詩人が
集まりだしたのは、尾崎士郎の声がけもあったとか。


尾崎士郎と宇野千代がなかよく住んでいたところ


いまはこんなふうになっている

カレーを食べにきたはずが、なんで作家の住居跡めぐりに。馬込というのは、おそろしいところだ……。で、
たまたま小林古径という人と、室生犀星の家があったところも通りました。


小林古径の住居跡は公園と児童館になっている


室生犀星の住居跡はアパートになっていて、看板のところに猫がいる


猫アップぎみに写しておきました。 おわり
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