白峯神宮に用があって京都にきたついでに、そのへんを歩いていると堀川にかかる一条戻橋についた。
一条戻橋というのは延喜18年(918年)に三善清行という文章博士が亡くなったとき、報せを聞いた子の
浄蔵が熊野から急いで帰ってくると、葬列がこの橋の上を通っていたとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/2d/de525f6eb1c1b0e971942424b407364d.jpg)
橋の下の流れはこう。ほたるが出るらしい。
浄蔵は父・清行の柩にすがって激しく泣き、神仏に熱く祈りを捧げたところ、不思議にも清行が一時蘇生して
言葉を交わすことができたという伝説がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b8/beab5dcc79c7dd92a4ec835a13d36820.jpg)
それがこの一条戻橋。
すぐ近くに陰陽師の安倍晴明を祀った晴明神社がある。ついでだから、そっちのほうへトコトコ歩いていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/fa/3314e27d243b4144a5273c3f848ee67c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e8/385d2b1967ef234a4b27f3547ce5bb4e.jpg)
鳥居に五芒星がついてる。そして、その向こうにまたまた一条戻橋が……!
なんだこりゃ~と思ったら、この橋は大正11年から平成7年まで実際に使われていたもので、今の橋がかかる
とき、境内に復元したと木の札に書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e7/cd3215b59a29b5bebf2b462cbce48ad7.jpg)
晴明神社の客寄せのひとつになってるみたい。
なかなか人気のある晴明神社の境内には、日本人だけでなく、近隣の国々からも観光客が訪ねてきていて、
記念写真や動画を熱心に撮っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/7c/efc827d20066a791859f740ea15c2310.jpg)
そして陰陽道のグッズを授与してもらっている。
晴明神社があったところは、平安時代どうだったかは知らないけど、そのあとで秀吉が天下を取るころには
千利休が屋敷を構えていたって石碑に書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/ba/cc6965e8e3be944452a0e4fd0f228cd1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/6b/4c941ea9f6a40cf110290f481afc999d.jpg)
鳥居の横に、千利休居士聚楽屋敷跡っていう石碑が。
その時代には、晴明神社はとっくに廃れていたか、存在しなかったにちがいない。いまみたいに晴明神社が
流行るようになったの、いつぐらいからなんだろう?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7f/72bfcb651c9c081079752d8aa86650f8.jpg)
パチもんっぽい雰囲気の土産物屋さんも繁盛。
一条戻橋というのは延喜18年(918年)に三善清行という文章博士が亡くなったとき、報せを聞いた子の
浄蔵が熊野から急いで帰ってくると、葬列がこの橋の上を通っていたとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/2d/de525f6eb1c1b0e971942424b407364d.jpg)
橋の下の流れはこう。ほたるが出るらしい。
浄蔵は父・清行の柩にすがって激しく泣き、神仏に熱く祈りを捧げたところ、不思議にも清行が一時蘇生して
言葉を交わすことができたという伝説がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b8/beab5dcc79c7dd92a4ec835a13d36820.jpg)
それがこの一条戻橋。
すぐ近くに陰陽師の安倍晴明を祀った晴明神社がある。ついでだから、そっちのほうへトコトコ歩いていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/fa/3314e27d243b4144a5273c3f848ee67c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e8/385d2b1967ef234a4b27f3547ce5bb4e.jpg)
鳥居に五芒星がついてる。そして、その向こうにまたまた一条戻橋が……!
なんだこりゃ~と思ったら、この橋は大正11年から平成7年まで実際に使われていたもので、今の橋がかかる
とき、境内に復元したと木の札に書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e7/cd3215b59a29b5bebf2b462cbce48ad7.jpg)
晴明神社の客寄せのひとつになってるみたい。
なかなか人気のある晴明神社の境内には、日本人だけでなく、近隣の国々からも観光客が訪ねてきていて、
記念写真や動画を熱心に撮っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/7c/efc827d20066a791859f740ea15c2310.jpg)
そして陰陽道のグッズを授与してもらっている。
晴明神社があったところは、平安時代どうだったかは知らないけど、そのあとで秀吉が天下を取るころには
千利休が屋敷を構えていたって石碑に書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/ba/cc6965e8e3be944452a0e4fd0f228cd1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/6b/4c941ea9f6a40cf110290f481afc999d.jpg)
鳥居の横に、千利休居士聚楽屋敷跡っていう石碑が。
その時代には、晴明神社はとっくに廃れていたか、存在しなかったにちがいない。いまみたいに晴明神社が
流行るようになったの、いつぐらいからなんだろう?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7f/72bfcb651c9c081079752d8aa86650f8.jpg)
パチもんっぽい雰囲気の土産物屋さんも繁盛。