散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

千住

2019-01-26 | Weblog
ゴールドジム北千住東京にマッチョな方を撮影しに出かけたとき、駅の西口から路地をくねくて通り抜けて
「面白いところだな……元は畦道かな?」
と興味がわいてきた。翌日は土曜日で、午後から会社でマッチョな方を撮影することになっていたけれども
午前中は暇なので、もういちど北千住の路地をくねくね歩いた。


戦争で焼けなかったらしい


田んぼの上がそのまんま繁華街になって、畦道のあとを人が行き来する……ように見える。路地をくねくね
昨日と違う通り抜け方したら、こんな(どんな?)ところに寺が。


ぎっしり墓があり無縁塔も


これは天保8年(1837)に起こった大飢饉の餓死者の供養塔で、塔の側面に刻まれて風化しかけた碑文には、
「飢えて下民に食なし」
「この地に死せる者828人」
「370人を金蔵寺に葬り」
などとある。この寺は金蔵寺といって、本尊は閻魔大王。


葬るというより投げ込みか?


その塔と並んで建つ別の供養塔は、千住宿の遊女の供養塔で、この地で死んだ遊女の戒名が石に刻まれている
と寺の立て看版に書いてある。どの石だろう?


戒名がずらずら刻まれている石を探してみる


聞いたことがある。幕府公認の吉原と別に、品川、内藤新宿、板橋、千住などの宿場には本陣や脇本陣の他に
食売旅籠とかいう安価な非公認の遊女屋があって、そこで働く飯盛女というのが今でいう風俗嬢だったと。


これがどうもその子たちの戒名らしいな

身売りした女は人別帳(住民票みたいなもの)から外されるので、死んでも実家の墓に入ることはなく多くは
投げ込み寺に死体遺棄されたとか。


明治になって無縁仏として供養

あてもなく散歩するとうっかり墓地に入り込みがちで、今日もまた縁もない仏の集うところを用もなくうろうろ
してしまった。自分も前世は無縁仏だったのかもしれない……急いで出社してマッチョな方をお出迎えする前に
写真を整理してブログを書いてアップした。

関連記事:   二郎から寺寺へ
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樹氷

2019-01-19 | Weblog

このまま温暖化が進んだら、もう樹氷ができなくなってしまうかもしれない。以前より標高の高い場所にしか
いまではもうできない。もちろん冬山登山する体力などないから、スキー場から雪上車に乗って樹氷原まで
登って行く。1時間ほどかけて標高1700mぐらいまで上がると、だいたい吹雪で真っ白だから何も見えない。
たまに天気がよければ、こんな景色が見渡せることも。



樹氷というのは樹木に雪が降り積もるのではなく、氷点下の水蒸気が樹木に叩きつけられることで凍りつき、
エビのシッポのようになる。ヒダのスキマに雪がとりこまれ、固くなって、さらにエビのシッポができ……という
繰り返しでモンスターのように大きくなるという。



吹雪いてたら寒くて立ってられないどころか人間樹氷になりかねないが、晴れてるのでエビのシッポとやらを
じっくり観察することができる。ここは蔵王……山形と宮城にまたがる連峰の一部で、宮城側の斜面にある
すみかわスノーパークのゲレンデから厳冬期樹氷鑑賞ツアーに参加した。



見上げると入道雲のようだ。山形側の斜面にある蔵王ロープウェイで山頂まで行けば、日没後ライトアップ
した樹氷が拝めるというので、ひやかしに行ってきた。



こちらも吹雪くと真っ白で何も見えなかったり、そもそもロープウェイが運航停止になったりするそうだけど、
墓標のような樹氷を見下ろしながらロープで引っ張り上げられて行くと樹氷原に出る。



手前はライトアップされても奥のほうはライトが届かないので闇に溶け込んで、かえって無限の広がりに
思える。さすがに日が暮れるとメチャクチャ寒く、20時30分までに降りてくればいいとか思っていても絶対
無理。スマホのバッテリーも寒くて落ちるし人間樹氷になってしまう。



恐竜みたいに見えたりエイリアンみたいに見えたり、幻を見るようになったらロープウェイで降りてこないと
いけないと思った。下があったかいかといえば特にそんなこともなかった。

 

関連記事:   雲の中へ

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香椎宮

2019-01-12 | Weblog
ここで不可解な死を遂げた仲哀天皇は諡号(おくり名)からして気の毒だ。妻の神功皇后とは対照的。
碑には「死んだ場所」という意味のことが刻まれているかと思ったら、「仲哀天皇大本営御旧跡」なんて
勇ましい文字が金色に飾られて、かえって哀れ。


神の怒りに触れて死んだことになっている

仲哀天皇は非業の死を遂げた英雄ヤマトタケルの子で、ヤマトタケルが征伐した九州のクマソがまた
反乱を起こしたので鎮圧するために筑紫に大本営を設けた。それがこの場所で、戦の前に神意を問う
べく妻を神がかりの状態にすると、その口からクマソではなく海の向こうの宝の国を攻めろというお告げ
が出た。仲哀天皇はお告げを信じず、クマソを攻めることに固執。



神託を受ける部屋は真っ暗で何も見えなかった

その場にいたのは仲哀天皇、神功皇后、第一の家臣である武内宿禰の3人だけ。真っ暗な部屋で
意見が分かれ、武内宿禰は仲哀天皇を諌めたが聞かなった。そのあと神の怒りに触れて死んだ。
普通に考えたら武内宿禰か、神功皇后が殺したことになる。


その場にいた妻と第一の家臣は

仲哀天皇の死後、神功皇后と武内宿禰は力を合せて海を渡り、朝鮮半島を攻めて大勝利した。
これが三韓征伐で、1年ぐらい経ってこの地に戻ってきた神功皇后が亡夫のために建てた祠が
香椎宮の由緒。はじめは神社ではなく、香椎厩だった。


香椎の木に亡夫の棺を立てかけた

日本書紀には、神功皇后の子が父の死後11か月で生まれたと記されている。その間、遠征だ。
普通に考えたら、神功皇后と武内宿禰の子ということになる。この子が応神天皇になる。つまり、
このときすでに万世一系ではないのでは。


ずいぶんたって平安時代にやっと神社になった

「いったい誰の子だ!」ということで、仲哀天皇と先妻との間に生まれた2人の皇子は神功たちが
ヤマトに戻るのを阻止しようとしたけれども、返り討ちにあってしまう。しかし神功たちはヤマトには
入らず、河内に王朝を築く。やっぱり後ろめたかったのだ。


武内宿禰は300年以上生きて5代の大王に仕えた

長寿の秘密といわれる不老水の井戸が、住宅地を抜けたところにある。武内宿禰も神功皇后も
戦前は大人気で、お札になったりしている。ヤマトから不倫の子だと疑われた応神天皇は、後に
八幡神となってUSA……宇佐神宮に祀られ、日本全国でいちばん多くの社に分祀されている。


プラスチックの柄杓が味わい深い

不老水は日本の名水百選に選ばれているそうだが、飲んでみたら特別おいしいというわけでも
なかった。念のため煮沸してくださいと書いてあったが、生水を飲んだ。300歳以上まで生きたら
どうしよう。
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宮地嶽神社

2019-01-10 | Weblog
石段の上から海まで続く「光の道」はタイミングが合えば光り輝くという、みやじごく……
ではなくて、みやじだけ神社。


こんなかんじになるらしい

あの向こうに朝鮮が……神功皇后(オキナガタラシヒメノミコト)が三韓征伐の前に滞在し、
山の頂に祭壇を設けて祈願の上で船出したのが、この神社の由緒。


しめなわ、でっか!

出雲大社と、どっちがでっかいんだろう? 長さ11m、直径2.6m、重さ3t……この神社には
「三つの日本一」があるとか。


すず、でっか!

直径1.8m、重さ450kg……もっと大きい鈴、探せばどこかにありそうな気がしなくもないが、
どうなんだろう。


たいこ、でっか!

直径2.2m、重さ1t、牛の一枚皮で作られています。


賞品金額、でっか!

でっかいものが三つあるというけど四つあったから、どれが日本一なのか迷ってしまう……
1回1000円の新春開運くじ、なかなかの人気。


楽しませる気まんまん


ダブルチャンス応募ハガキ記入所

こうして住所・氏名などの情報を得てダイレクトメールなども送るのかどうか、うまいなあ
参拝客のあしらい。三韓征伐より、そっちのほうに興味ひかれる。


さらに楽しませる

福岡県福津市にある宮地嶽神社。いかめしい名前のわりにエンタメ魂の熱いところだった。
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宗像

2019-01-07 | Weblog
この場所に降臨したといいます。タゴリヒメノカミと、タギツヒメノカミと、イチキシマヒメノカミ
という三柱の女神が。

長女タゴリヒメノカミは女人禁制の沖ノ島にある沖津宮に、次女タギツヒメノカミはその手前
の大島にある中津宮に、三女イチキシマヒメノカミは宗像にある辺津宮に鎮座しているとか。
この三宮を総称して宗像大社というそうです。


沖ノ島、大島、宗像の位置関係

なんで三女神なんだろう、とふしぎでしたが、こうして位置関係をながめると玄界灘を渡って
大陸や半島と行き来することが、じつに恐ろしかったから、三姉妹の連携に頼りたかったと
いうわけでしょう。三兄弟だと頼りないし、いかにも仲たがいしそうだから、三女神でなくちゃ
安心できなかったんです。


宗像大社にきたらそうじゃないかと思いました

アマテラスオオミカミとスサノオノミコトが誓約をして生まれた三女神……誓約というのは交合
のことかと思いましたが、姉と弟で交合はマズイだろうということで調べたら、誓約はウケイと
読むみたいです。暴れに暴れた弟を姉が叱り、もう暴れないことを誓約したとき姉の息吹から
生まれたのがタゴリヒメノカミと、タギツヒメノカミと、イチキシマヒメノカミです。


天孫を助け奉りて天孫に祭かれよ

沖津宮、中津宮、辺津宮の拝殿には、歴代天皇をお助け申し上げることでお祭りを受けられよ
という神勅が掲げてあり、これは他の神社にない特徴だとか。海路にいちいち神勅の念押しが
してあるのは、やっぱり航海がよっぽど心細かった証です。


第二宮と第三宮は伊勢神宮から移築された神明造

皇室との結びつきが、それだけ強いということでしょう。昭和48年の遷宮のときに解体された
伊勢神宮の内宮別宮である伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の社殿を下賜されて、昭和50年に移築。
いわばリサイクルです。第二宮にタゴリヒメノカミ、第三宮にタギツヒメノカミを祀って、わざわざ
海を渡って巡らずとも三女神に参拝できます。沖ノ島はめったに行けませんし。


ちょっと変わった形の絵馬がたくさん掛けてある

境内の神宝館には沖ノ島から出土した8万点にのぼる国宝が収蔵展示してあり、玄界灘を渡る
途中で惜しみなく大陸や半島の宝物を奉納したんだろうな、よっぽど必死の航海だったんだなと
感じ入った次第です。
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