恵比寿駅西口の日比谷線の出入口の側に立つ。向かいのビルの右の通り(駒沢通り)は代官山へ続くので、
通る機会はそれなりにある。ビルの左の通りをゆくと、思いがけないことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/e4/ef2de1fb3c467d8a0ccc5abf619aa26d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/51/b5fff1e4ad257a5d71bb3757805b7ca9.jpg)
左は「恵比寿銀座」、右は「駅前通り」(駒沢通り)
どんなことになるかというと、代官山に辿りつくことがなくなり、いつのまにやら上り下りが激しくなってきて、
道端に「古いもの」がいろいろ待ち構えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/17/001bae3533af67173f65a3876d077faf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/da/e5daede5a20ee7b507fd0abf1169b4b5.jpg)
恵比寿銀座をゆくと四辻でこういうのに出くわす
江戸時代中期の安永8年(1779)に建てられたこの道しるべは、中央に南無阿弥陀佛、右側にゆうてん寺道、
左側に不動尊みちと書いてある。ゆうてん寺道とは、目黒方面から麻布を経て江戸市中へ通じる最短距離の
道、不動尊みちとは、目黒不動へと続く道……と立て看板に書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d5/350ac40d043d0aa4d2db4549152fa285.jpg)
ゆうてん寺道をゆくと…
また何かある。このあたりには江戸時代、渋谷広尾町と呼ばれる小さな町並みがあり、町並みから外への道
は人家も少ない寂しいところであったというから、こういう「古いもの」を頼りに人が行き来したのか。ちなみに
これは馬頭観世音で、享保4年(1719)に悪病が流行ったときに祐天寺の祐海上人が加持祈祷を行ない、原
(このあたりを原といった)の中ほどに安置したらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/48/8e8094c2da05fcaba159e4274703ffd6.jpg)
さらにゆくと急な下り坂になる
「新富士」というところだそうで、ここから富士がよく見えるのかと思ったらそうではなく、幕臣の近藤重蔵が
屋敷にミニ富士を拵えたのが評判になって見物人が絶えず、そう呼ばれるようになったとか。地下に何やら
宗教的な遺構が発見されたと立て看板に書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d6/212b36b3c0b60bc19f2c5c6f8b59c7d6.jpg)
地上にも何やら宗教的な遺構が
どうやら駒沢通りよりも、こっちが江戸時代は主な道だったみたい。原と呼ばれて何もなかったようだけど、
この短距離に古いものが密集してる様子はそうとしか思えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/55/13c0d61138abe436273d8729926b52c5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/9a/8bb4a1cff41f6c56f5f06bccb5cb97ca.jpg)
そこから谷(たぶん別所坂)を下る
いまは住宅地になっているけど、ほんの百年くらい前まできっと何もないところだったんだろう。歩いていても
心細くなるような……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/98/9b6e6bce5359dc08e8f1582ad3819309.jpg)
目黒川が普段とは違って見える
すっかり開発されているけど、ついこのあいだまで野原と木立と小川があり、ゆうてん寺道が細く続いている
だけの長閑な景色が広がっていた。その様子がありありと見えてきた。
通る機会はそれなりにある。ビルの左の通りをゆくと、思いがけないことになる。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/51/b5fff1e4ad257a5d71bb3757805b7ca9.jpg)
左は「恵比寿銀座」、右は「駅前通り」(駒沢通り)
どんなことになるかというと、代官山に辿りつくことがなくなり、いつのまにやら上り下りが激しくなってきて、
道端に「古いもの」がいろいろ待ち構えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/17/001bae3533af67173f65a3876d077faf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/da/e5daede5a20ee7b507fd0abf1169b4b5.jpg)
恵比寿銀座をゆくと四辻でこういうのに出くわす
江戸時代中期の安永8年(1779)に建てられたこの道しるべは、中央に南無阿弥陀佛、右側にゆうてん寺道、
左側に不動尊みちと書いてある。ゆうてん寺道とは、目黒方面から麻布を経て江戸市中へ通じる最短距離の
道、不動尊みちとは、目黒不動へと続く道……と立て看板に書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d5/350ac40d043d0aa4d2db4549152fa285.jpg)
ゆうてん寺道をゆくと…
また何かある。このあたりには江戸時代、渋谷広尾町と呼ばれる小さな町並みがあり、町並みから外への道
は人家も少ない寂しいところであったというから、こういう「古いもの」を頼りに人が行き来したのか。ちなみに
これは馬頭観世音で、享保4年(1719)に悪病が流行ったときに祐天寺の祐海上人が加持祈祷を行ない、原
(このあたりを原といった)の中ほどに安置したらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/48/8e8094c2da05fcaba159e4274703ffd6.jpg)
さらにゆくと急な下り坂になる
「新富士」というところだそうで、ここから富士がよく見えるのかと思ったらそうではなく、幕臣の近藤重蔵が
屋敷にミニ富士を拵えたのが評判になって見物人が絶えず、そう呼ばれるようになったとか。地下に何やら
宗教的な遺構が発見されたと立て看板に書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d6/212b36b3c0b60bc19f2c5c6f8b59c7d6.jpg)
地上にも何やら宗教的な遺構が
どうやら駒沢通りよりも、こっちが江戸時代は主な道だったみたい。原と呼ばれて何もなかったようだけど、
この短距離に古いものが密集してる様子はそうとしか思えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/55/13c0d61138abe436273d8729926b52c5.jpg)
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そこから谷(たぶん別所坂)を下る
いまは住宅地になっているけど、ほんの百年くらい前まできっと何もないところだったんだろう。歩いていても
心細くなるような……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/98/9b6e6bce5359dc08e8f1582ad3819309.jpg)
目黒川が普段とは違って見える
すっかり開発されているけど、ついこのあいだまで野原と木立と小川があり、ゆうてん寺道が細く続いている
だけの長閑な景色が広がっていた。その様子がありありと見えてきた。