散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

恵比寿

2014-10-11 | Weblog
恵比寿駅西口の日比谷線の出入口の側に立つ。向かいのビルの右の通り(駒沢通り)は代官山へ続くので、
通る機会はそれなりにある。ビルの左の通りをゆくと、思いがけないことになる。


左は「恵比寿銀座」、右は「駅前通り」(駒沢通り)

どんなことになるかというと、代官山に辿りつくことがなくなり、いつのまにやら上り下りが激しくなってきて、
道端に「古いもの」がいろいろ待ち構えている。


恵比寿銀座をゆくと四辻でこういうのに出くわす

江戸時代中期の安永8年(1779)に建てられたこの道しるべは、中央に南無阿弥陀佛、右側にゆうてん寺道、
左側に不動尊みちと書いてある。ゆうてん寺道とは、目黒方面から麻布を経て江戸市中へ通じる最短距離の
道、不動尊みちとは、目黒不動へと続く道……と立て看板に書いてある。


ゆうてん寺道をゆくと…

また何かある。このあたりには江戸時代、渋谷広尾町と呼ばれる小さな町並みがあり、町並みから外への道
は人家も少ない寂しいところであったというから、こういう「古いもの」を頼りに人が行き来したのか。ちなみに
これは馬頭観世音で、享保4年(1719)に悪病が流行ったときに祐天寺の祐海上人が加持祈祷を行ない、原
(このあたりを原といった)の中ほどに安置したらしい。


さらにゆくと急な下り坂になる

「新富士」というところだそうで、ここから富士がよく見えるのかと思ったらそうではなく、幕臣の近藤重蔵が
屋敷にミニ富士を拵えたのが評判になって見物人が絶えず、そう呼ばれるようになったとか。地下に何やら
宗教的な遺構が発見されたと立て看板に書いてある。


地上にも何やら宗教的な遺構が

どうやら駒沢通りよりも、こっちが江戸時代は主な道だったみたい。原と呼ばれて何もなかったようだけど、
この短距離に古いものが密集してる様子はそうとしか思えない。


そこから谷(たぶん別所坂)を下る

いまは住宅地になっているけど、ほんの百年くらい前まできっと何もないところだったんだろう。歩いていても
心細くなるような……


目黒川が普段とは違って見える

すっかり開発されているけど、ついこのあいだまで野原と木立と小川があり、ゆうてん寺道が細く続いている
だけの長閑な景色が広がっていた。その様子がありありと見えてきた。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする