散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

飯綱高原

2016-11-12 | Weblog
東京には紅葉がない。黄葉ばかりで紅葉がない。銀杏の黄葉もきれいだけど紅葉を見るには
山にでも入らないと見られない。長野にきたから紅葉でも見ようと思ったら色づきが今ひとつ
だから飯綱高原まで上ってみる。


気づいたら戸隠。

アルピコ交通の「戸隠高原フリーきっぷ」というバスの券を買って飛び乗ったら、うとうとして
戸隠まで登ってきてしまった。標高が高すぎて、完全に冬景色……吐く息が白い。寒い!!
たぶん戸隠は3度目だが、以前5月にきたとき雪が残っていた。


5月の奥社の写真

あのときよりも、いまのほうが雪はないけど寒い。あのときは、かたくりの花とか咲いていた
けど、いまはそれどころじゃない。


5月のかたくりの花

バスがくるまで、そばでも食べて、飯綱高原まで下りる。途中、紅葉がきれいだ。戸隠あたりは
それでもまだ日が射していたけど、飯綱にきたら曇天というか小雨まじり。寒い!!


健康ウォーキングフェスティバル

あんまりお客さんがいない。この寒さでは仕方ない。それでもバンド演奏とかやっている……
がんばれ! 寒いから聴かないけど、それでもがんばれ。


大座法師池っていうのは……?

パンフレットで見るのとちがって変てこりんな池が目の前に広がっている。パンフレットで見る
のとちがって、池のまわりを歩きたいと思わない。でも、池に近づいてみた。


水辺にぶよぶよ何か変なものが

紅葉なんか目に入らないほど水辺の茶色っぽい異物が気になる。その上を歩いてる人がいる
から乗っても大丈夫らしい。湿地のような植物のような……何だこれ。


水鳥たちは全く異物にお構いなし

踏み心地が悪いので、ほどほどにして陸に上がる。ここは標高1000mぐらい。もうちょっとだけ
標高あるほうが紅葉の盛りという感じだった。でも、いまさら戻るのも何だし……。


水草が大量に発生

「大座法師池は水草が大量に発生したため、池の水を抜いて駆除しております。」……と看板に
書いてあった。水辺の茶色っぽい、ぶよぶよの異物は水草だったのか。水草を「駆除する」って、
あまり聞いたことない言い回しだけど、それより池の水どうやって抜いたんだろう?


あっ神社みっけ!

飯綱高原の神社だから、当然のことながら飯綱神社だろうと思ったら、よく見ると飯縄神社って
書いてある。飯綱高原の上にそびえるのが飯縄山で、飯綱も飯縄も「いいづな」と読むらしい。


カムイ外伝に出てくる飯綱落とし

このへんも忍者の里だったんだろうか? 飯綱の奥の戸隠もやっぱり忍者の里だったようだし
……というか飯綱も戸隠も修験道の霊場なんだろう。


すいぶん心細い

「いいづな」はイタチの一種らしい。カムイ外伝の飯綱落としは「いづな」と発音していたけど
飯綱は飯綱だろうな。


飯縄神社がみえてきた……

飯縄山を登ると頂上に飯縄神社の奥社があって、全国の飯縄神社の総社らしい。登山道には
死者を司る仏13体からなる十三仏が各所に安置されているとか、観光案内板に書いてある。
よく意味がわからないけど物々しい。早くバスに乗って人里に戻りたい。


善光寺までバスで下りてきた

ここに来るのも何度目かわからないけど標高が下がると多少あたたかいし、人が大勢いるのも
悪くない。紅葉も案外きれいだった。

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松代

2016-11-07 | Weblog
松代にも2012年まで鉄道が通っていたそうだけど、いまは長野からバスで行くしかない。
「善光寺・松代1dayパス」というバスの乗り放題切符を1400円で買って、さっそく松代へ。
ついたところは松代駅の廃駅で、臨時の観光案内コーナーとして使われていた。


大河の『真田丸』で観光客がくる

廃駅のホームをつっきると松代城跡への近道だ。おばちゃんが教えてくれた。『真田丸』で
ここが賑わうなんて、廃線になったときは予想できなかったに違いない。線路跡の砂利道
を歩くと、すぐ松本城跡についた。


石垣ぐらいしか残っていない…

『真田丸』で大泉洋が演じてる真田信之が、1622年に移封されてきたのが松代。つまり
大阪冬の陣、大阪夏の陣より後に移された場所で、明治の廃藩置県まで真田家の居城
だった。ちなみに父の昌幸が築いた上田城は、仙石氏の居城になった。


主役の信繁(幸村)の兄が信之

だから、『真田丸』に松代が出てくるわけじゃないと思うんだけど、長野では松代の宣伝が
とても盛んなので、うっかりバスに乗ってきてしまった。


もともとは武田信玄が築いた城

川中島で上杉謙信と戦うために、武田信玄が作った海津城がこの城の始まり。そういえば
ここまでバスでくる途中、犀川と千曲川を渡ったけど、あの川と川の間が川中島の古戦場
だったのかも。


あとで川中島にも行ってみよう

城跡をぶらぶらして、歴史的道すじと呼ばれている通りに出ると真田邸とか、真田宝物館
とか、文武学校が目と鼻の先にまとまっている。


着物女性の集団が

そこらを着物の女性がやたら歩き回っているのは何だろう。遠巻きに巨大なレンズのカメラ
を下げた中高年の男性たちがシャッター切りながら追跡している。


真田邸は幕末に建てられた屋敷

だから『真田丸』とは何にも関係ない。中に入ると大河ドラマ関連の展示が行なわれていた。
写真を撮ってはいけないといわれたとき、ちょうど撮ってたのがさっきのキャスト紹介。


旧樋口家住宅にて

真田邸と真田宝物館と文武学校は入場料を取った。他にも特に入場料を取らずに公開してる
屋敷などがあって、真田丸で活気づいてる。


松代の人が育てた菊なのかな?

ちょうど菊の時季で、やっぱりというかなんというか『真田丸』の菊人形が並んでいた。意外に
というか当然というかメインは真田信之で、ドラマの主役の信繁(幸村)は脇役だった。


堺雅人の真田幸村


大泉洋の真田信之


吉田羊の小松姫…


わざわざ熟女って

たしかにジャニーズの男の子を虜にしたり、すごいもんね。さて、宝物館も文武学校も見たし
川中島の古戦場までバスに乗ろう。


川中島古戦場…

中洲みたいなところをイメージしていたけど、バスを降りてみるとけっこう広いな。川中島って
川中平野じゃん。地形が変わったのか、地名がおかしいのか。


林檎とか実ってるし

どこで武田と上杉は戦った? 400年以上たってるから、もう誰にもわからないかもしれない。
とりあえず探してみる。


もしやこれは信玄を襲う謙信?

ここだったのか……山本勘助のキツツキ戦法を見破った上杉謙信が手薄な武田信玄の陣地に
切り込んで、あわやという事態になった場所は! (ほんとかな)


地図でも川中島は島じゃない

さっきまでいた松代城(海津城)が左上にあって、現在地が左下で……キツツキ戦法の拠点が
後の世の真田の居城だったとは! (ほんとかな)


執念の石とやらが転がっていた

謙信が信玄の陣地に切り込んだとき、原大隅という武田の中間頭が槍で謙信を突いたけれど
肩の上にそれて、もういちど切りつけたら馬を傷つけたので謙信を乗せたまま馬が走り去って
信玄は一命をとりとめたが、無念やるかたない原大隅は槍でこの石を突き通した。 (うそ~)


あらためて見回すと土塁の跡が

いたるところで土が盛り上がり、土塁の跡のようになっているので、ここが古戦場だというのは
本当なのかもしれない。とか思いながら歩き回ってバスで長野に戻った。



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