散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

サウナ東京ドーム

2013-08-24 | Weblog
東京ドームがAKBの公演で熱気につつまれてサウナのようになっている……という話ではなくて、
東京ドームのとなりの青いビルにある関東の名門、サウナ東京ドームの話。


これが青いビル (奥が東京ドーム)

青いビルには後楽園ホールがあり、よくボクシングの試合やヒーローショーなどが催されている。
そのビルの3階にあるサウナ東京ドームを、何か月かぶりに訪ねてみた。


スパ ラクーアより空いてそうだし

スパ ラクーアというのは同じ東京ドームシティにある温泉入浴施設で、サウナもあるし飲食店も
充実しているんだけど、ことによると混雑するので回避した。


ん? なんか看板が置いてある

エレベーターで3階に上がると、なにやら立看板が……「サウナ東京ドーム」営業終了のお知らせ
記 営業終了日:2013年8月31日(土)


おまえもか…

犬も歩けば棒に当たる。小樽の旧日本郵船ビルも、渋谷のたばこと塩の博物館も、東京タワーの
ろう人形館も、この夏でさよならだったけど、サウナ東京ドームもそうか。


最後の鍵は243

スパが増えるのに反比例して、テアトルサウナもなくなったし、東京駅のサウナもなくなったし、
サウナ東京ドームもなくなってしまう。2007年の秋にサウナ・スパ協会の人に聞いたら、都内で
おすすめのサウナはまず、サウナ東京ドームだったのに。


なくなると知るや写真撮ったりして

とあるライターさんの誕生日に、ここでサウナおごったことあったっけ。なんて思い出しながら
カメラを取り出す。裸の人を撮るわけにいかないので要注意。


脱衣所 左が浴室で、サウナが3種類ある

いろいろなサウナに入ったけど、たしかにここのは気持ちいい。入口の立看板に「ビル耐震工事
に伴い、下記日程をもちまして営業を終了させていただきます。昭和37年の開業以来、51年間
にわたり皆様からご愛顧いただきましたこと、従業員一同、心より御礼申し上げます。」とあった
けど、おしいなあ。


マッサージは扉の奥……ポスターで想像して

耐震工事が済んだら営業再開する、と書いてないから、きっとこのまま消えてゆくにちがいない。
またひとつサウナの火が消える。


こちらがテレビなど視聴できる休憩コーナー

だいたい競馬とか野球を見ている人がほとんどで、ついこないだまでは高校野球をみんな見てた
にちがいない。再放送のドラマとか見てる人もちらほら。ごらんのとおり全員男。


飲食コーナーもやっぱり競馬中継

「マリアお願い!マリアお願い!」って切ない声を出してるおじさん、どうしちゃったのかと思ったら
馬の名を呼んで身をよじらせてるだけで、よかった大事にいたらなくて。タバコが煙い。


かき氷でも食べよ

サウナでかき氷……完全におっさん。まわりじゅう、おっさんだらけでキツイけど、自分もおっさん
のひとりにすぎない。かき氷の向こうの、あの知らないおっさんのように。
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小樽の北側

2013-08-18 | Weblog
小樽で初めて1泊した。これまで何度か来たことあるけど泊まったのは初めて。札幌に近いのが幸いなのか
不幸なのか、小樽を訪れる観光客は2~3時間そのへんチョロチョロして帰っちゃう……というのが、地元で
観光に力を入れている方々の悩みらしい。たしかに、そうなりがちなのかも。


あれが『蟹工船』の北海製缶

小樽を観光する人の流れは、駅から海のほうへ下って右に曲がる(ぼくも実際これまでそうだった)けれども、
ほんとに小樽らしい小樽はそっちではなく、左に曲がったところにあるという。写真で運河の右手に建ってる
ビルは、小林多喜二の『蟹工船』の北海製缶小樽工場。


近くで見るとこう (人力車が見切れてる)

この先には、工部大学校の第1期卒業生の佐竹七次郎が設計して、地元の大工棟梁の山口岩吉が施工
した旧日本郵船株式会社小樽支店がある。この建物が、なかなかすごい。


明治39年に建てられた石造2階建建築

岩崎弥太郎の三菱系の海運会社に対抗心を燃やし、三井系の海運会社が激しい価格競争を仕掛け、
共倒れしそうなところで当時の政府が介入して明治26年に日本郵船株式会社として合併……その後、
小樽支店の木造建築が明治36年に焼失したとき、証書がなくなったのをいいことに過剰な取り付けが
殺到したため、やむをえず全額払い戻して、二度と焼けないように石造建築をつくったとボランティアの
ガイドさんが説明してくれた。


入口に日本郵船の旗印が

旗には「三菱と三井が仲よく海運業やりますよ」というメッセージが込められているとか、いないとか。
そして石造建築にしてからも、内側は木材だし、火気には細心の注意を払ったという。


「金持ってんど~」と勢いを示す内装には建築家・佐竹七次郎のこだわりも

ガイドさんの話によると、この建物は今年の8月いっぱいで見学できなくなり、調査と修復に丸5年の
月日をかけることになっている。こんど見学できるのは、2018年の予定。


こういうものを1本の木から彫りだす技は棟梁と大工が立派


金庫の壁の厚さを語るガイドさん……内部にはナゾの扉が!

小さい扉は「人孔」といって、不慮のできごとで人が金庫に閉じ込められたとき、脱出するための
扉らしい。あとで日本銀行小樽支店を見学したら、そこにも「人孔」があった。

 
左の小窓は「人孔」の出口です……右は日本銀行の金庫にあった「人孔」です

日本郵船の小樽支店は、国際的な貿易港の拠点としての機能と偉容を誇るべく、当時の最新技術
を駆使して建設された。日露戦争に勝ってポーツマス条約が結ばれた翌年、明治39年に落成した
この建物の2階会議室で、日露の樺太国境画定会議が行われたと、ガイドさんが教えてくれた。


その会議室がこちら!

帝都までお越しいただかなくても、小樽にこれほどの設備がある日本は強国なのですぞ、といった
暗黙のメッセージが込められているとガイドさんは教えてくれた。


そのときの写真がこれ!

柱のないつり天井で、これだけの広さを支えるのは大したことだと、もし教えてもらわなかったら
気づかなかったにちがいない。ガイドさんに深く感謝……。国境画定会議終了後は、隣の貴賓室
で祝杯が交わされたという。


その貴賓室がこちら!

あちらの貴族社会では、暖炉があってはじめて人を招くことができるということで、左に暖炉が
一応あるけど、火事がこわいので最新式のラジエーターで暖をとった。壁には大蔵省印刷局製
の高級輸出品、「金唐革紙」が使われている。


北緯50度のところに複数あるはずの国境碑(複製)はいま?

ところで会議室と貴賓室の外の廊下に、なにやら不思議なものが。まさか「人孔」じゃないとは
思うけど、これはなんだろう?


これ……ここ……この廊下の横長の戸みたいなの

のぞき窓にしては大きいし、食事の出し入れをする戸にしては……刑務所でも食堂でもないから
それはおかしいし、いったいなんだろう?



正解は……





電灯のスイッチが入ってます

なかなかしゃれたことを。設計者の佐竹七次郎という人は、明治の東京に鹿鳴館やニコライ堂など
をつくったコンドル氏の門下生第1号で、同期には赤レンガの東京駅や全国の日本銀行を設計した
辰野金吾がいる。けど、辰野さんより佐竹さんのほうが優れているとガイドさんは力説する。


同期生の辰野さん設計の日銀小樽支店はこちら

辰野金吾のほうが有名のような気はするけど、くわしく説明を聞いていると佐竹七次郎のほうが
偉大かもしれないと思えてくる。それと棟梁の山口岩吉がえらい。


従業員用の出入口に……

後付けで玄関フードを取り付けてある。冬場、吹雪になっても玄関で従業員が寒い思いをせずに
雪を払って出入りできるように。北海道のおうちによくある、玄関フード。


(例)玄関フード

聞けば聞くほど他にも工夫が凝らされていて、設計と施工がうまく調和してることに感銘を受けた。
当時、建設に5億円から6億円かけたという話だけど、海外から部品を運んでくるのは郵船会社で
タダだから何とかなったものの、運賃かけたら一体どうなってたかとガイドさん。


100年前はヒルズ以上だったかも

旧日本郵船の建物のまえは公園になっているが、昔は運河だったから荷物の上げ下ろしができて、
建物の裏に鉄道が通っていたから、そっちでも上げ下ろしできた。小樽と札幌の間には、日本で
3番目の鉄道が通った。(1番は新橋と横浜の間、2番は大阪と神戸の間と聞いた)


前は海(運河公園)、後ろは鉄道(旧手宮線……歩いてるのは知らない人)

もっと北へ行くと、幕末から昭和30年代まで、にしん漁で栄えた場所があり、貿易港として小樽が
栄える以前から漁港として景気が大層よかったらしい。


おびただしい鰊(にしん)が獲れて、贅沢を凝らした「にしん御殿」も建った


中には美術品がいっぱい(残念ながら撮影禁止)


そこまで贅沢しなくても素敵な木造のお家が点在

もっと北へ行くと、AKY(あんかけ焼きそば)が名物の「塩谷食堂 海坊’s」というお店が。
小樽は近ごろAKY48といって、あんかけ焼きそばのお店が48(以上)ある。そのひとつ
……というか、すごいボリューム感!




関連記事: 小樽  南側のことなど
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桐生

2013-08-05 | Weblog
日曜日、なんとなく桐生をぶらぶら歩きたくなって出かける。着いたら「第50回桐生八木節まつり」をやっていた。
聞くともなく聞いた会場の放送によると「昭和39年にはじまって、半世紀たった今回は満を持して週末ヒロイン、
ももいろクローバーZが」どうのこうのという話だったけど、まつりを見にきたわけではないのであまり気にせず
そこらをうろつく。


ば そ き や

あとで知ったことだが、前橋でも高崎でも夏まつりをやっていた。そういえば世間はすっかり夏休みなのだった。
関東は梅雨明けから1か月、東北や北陸は前日(だったかな)梅雨明けしたばかり。1か月の開き、おそるべし。


いべんせきがくら

桐生に着いたのは、まだ11時くらいだったから、まつりは準備中。だんだん盛り上がってきたのは午後からかな?
この夏は割合に涼しいみたいだけど、歩き回ってると汗をかく。まつりが準備中なせいか、普通の店が開いてない。
そして桐生は、どうも自動販売機が少ない町みたい。辛抱して歩いてたら熱中症気味に。

  
町ごとに山車かなんかスタンバイしてる

なんで桐生にきたかったのか、自分でもよくわからない。20年ほど昔、前橋自動車教習所に合宿して普通自動車の
運転免許とったとき、週末は休みだから合宿所を抜け出し、西は下仁田にいったり、東は足尾銅山にいったりした。
そのときついでに桐生も歩き回って、いい町だなと思った記憶がある。


どんなふうにいい町なのかは少しも覚えてない

おぼろげなイメージくらいあったけど、実際に訪れたら記憶と全然ちがった。桐生にきたことあるのかどうかさえ、
だんだんあやしくなってきた。まつりの効果で町が別の顔してるのか、約20年で別の町になったのか……もしや、
前橋自動車教習所で運転免許とったことも全部まぼろし? ここはどこ、わたしはだれ?


この道はいつかきた道……

古い町並みが残っている、ということをアピールするようになったのは、この20年のうちに新しく起きた動きかも
わからない。細い路地をくねくね歩き回ると迷子になったようで楽しい。(実際、迷子になってる)


坂口安吾 千日往還の碑

裏側の碑文によると、「堕落論」「白痴」などで戦後文学の旗手となった坂口安吾は、1952年2月閏日(29日)、
旧友南川潤の世話でここ書上邸に居を構えた。「夜長姫と耳男」を生み、人の子の親となり、「新日本風土記」
を執筆の最中、取材旅行から戻った直後に急逝。55年2月17日早朝、48歳4か月だった。通夜には小林秀雄、
尾崎士郎、石川淳、壇一雄らも駆けつけた。(平成8年11月吉日建之)……やっぱり20年前これなかった。


坂口安吾は「風博士」とか「不連続殺人事件」もおもしろい(余談)

桐生というところは幕末から戦後にかけて、繊維産業で栄えた町なのかもしれない。いたるところに蔵があって、
その先の神社には渡辺崋山が紀行文を書いた記念の碑が建っている。


土蔵というのは明治・大正になって江戸趣味で盛んに作られたというけれど……

渡辺崋山は田原藩の武士であり、優れた蘭学者、画家でもあった。天保2年(1831年)10月、華山は妹 茂登の
嫁ぎ先である桐生を訪れて、25日間滞在し、桐生の各所を訪れた見聞を紀行文「毛武游記」に著述した……と、
神社の石碑に刻んである。


ノコギリ屋根が桐生名物

20年くらい前はぜんぜん気づかなかったけど、ノコギリ屋根の建物(たぶん繊維工場の跡)が桐生の名物として
有名で、観光案内所でくれる地図の上にはノコギリ屋根の建物がいっぱい。こんなにいっぱいあるのにひとつも
見たことないのは、桐生きたことないかも? それとも20年前は、まだ名物じゃなかった?


この建物はカフェになっている

ちょうど熱中症ぎみだから、なかに入ってアイスコーヒーを注文し、氷いっぱいのお冷やにガムシロップ入れて
飲んだら元気でてきた。アイスコーヒーのほうは無糖で吸引する。ズズズズズ……


ノコギリ屋根は木製らしいな

壁はレンガ造りで屋根は木製、という建物が明治のころは多かったみたいだから、ノコギリ屋根もそうだろう。
ノコギリの歯の部分が明かり採り窓になってる。


あそこから採光して作業したんだ

鉄筋で補強してあるのは最近の工事にちがいない。ノコギリから光が入ってくるので、外観から想像するより
ずっと明るい。これなら蚕ゆでたり糸とったりするのに都合よかったはず。


よくできてるなあ、ノコギリ屋根

南に向いてるんだろうな、窓が……。ここは桐生駅から2km弱、歩いてきたところ。まつりのほうがそろそろ
盛り上がってきているみたいだから、駅まで戻りながら見物して帰ることに。


みこしをかつごうとしているおにいさんたち


道にながながと龍がのびてる


覚醒剤の売買が盛んなのかな?


・・・思い思いの衣装でパレードするわけですね


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Coffee

2013-08-04 | Weblog
窓ガラスに、COFFEE と大きく書いたあと、アピールが足りないと思ったのか、もういちど小さく
Coffee!! と書いてあるのが見えますか。

散歩の途中で写真を撮って、 Facebook にアップ……それから何か月か経って、忘れたころに
同じところを通ったら窓ガラスの文字が増えていた。


チャーハン 焼そば ピザ

ただそれだけのこと、どうしても写真2枚ならべて書きとめておきたくて。
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たばこと塩の博物館

2013-08-01 | Weblog
あと1か月ということになる。東京タワーのろう人形館も9月1日で営業終了だけど、渋谷を通ったら
たばこと塩の博物館も、9月1日で35年の幕をおろす。それなら最後に見ておこう。


入館料は100円

2015年の春までに墨田区横川に移転するとか。それなら展示品は、二束三文で売りさばかれることも
処分されることもなさそう。


こういう面白い喫煙具とかも

墨田区横川といったら、きっと東京スカイツリーの近く。あっちのほうに移転するのか。ろう人形館も
あっちに移転すればいいのに。


たぶん江戸時代のたばこやさん

たばこ吸うわけじゃないんだけど、塩の展示よりたばこの展示のほうが興味をひく。たばこ吸いそうな
人たちが昔のパッケージを穴の開くほど見つめてる。


お子さまも混ざってるけど……

じぶんが子供のとき売られていたやつなんかは、いま目にするとなつかしい。吸ったことあるやつも、
いくつかある。


だいたいこのあたりかな

ひさしぶりに、たばこの1本も吸ってみようかなという気持ちになった。でも結局、めんどうになって
吸わずじまい。荷物ふえるし、ちかごろ吸う場所ないし、もういいや。

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