散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

布袋が好き

2015-02-28 | Weblog
これは布袋です。この布袋は黄檗宗萬福寺という、京都の宇治の禅寺にあります。この禅寺はなかなか素敵です。


明の時代の雰囲気が色濃く残っていて、木魚の原型なんかもある

京都にいながら大陸の失われた文化に包まれることができる、タイムカプセルのようなところ。黄檗宗萬福寺には
時間さえあれば京都にいくたび訪れたいと思うけれど、なかなか機会に恵まれない。


萬福寺の布袋さん


北京の布袋さん?

雍和宮という北京のラマ教寺院の門前で見かけた布袋さん(?)も、なかなかのパンチ。布袋は弥勒なのだそうで、
雍和宮にそういえば世界最大の弥勒(マイトレーヤー)の像があったっけ。


白檀の香木で彫った弥勒像として世界最大とギネスブックが認定

それはそれとして、東京の白金に黄檗宗のお寺があるとわかり、萬福寺みたいに素敵だったらいいいなと思って
訪ねてみた。八芳園のとなりにある、紫雲山瑞聖寺。


宇治の萬福寺と感じが似てる……木魚の原型もちゃんとある

これはもしかして、どこかに布袋さんもいるのではないか? きっといるにちがいない! 国重要文化財だという
大雄宝殿のなかをのぞく。


キンキラキンだが布袋じゃない

残念だなあ……黄檗宗だからって布袋さんがいるとはかぎらないのか。京都の宇治と、東京の白金じゃテイスト
ちがって当然かも? とあきらめかけて、大雄宝殿の右のほうを見たら。


キンキラキンじゃないけど布袋!
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二郎から寺寺へ

2015-02-21 | Weblog
朝、ラーメン二郎の三田本店を通りかかったらジロリアンが並んでいた。まだ9時にもならないというのに
旺盛な食欲の人たち。でもぼくはラーメンを食べにきたわけじゃないので素通り。


寺へ・・・  (というか墓へ・・・)

二郎のあたり、やたら寺が多い。二郎には入ったことがあるけど、寺は素通りしてばかり。そこでたまには
寺寺を巡ろうと発心したでござる。二郎の向かいといっても、あながち間違いでない場所にある大松寺へ。
お掃除してる人に会釈して墓地に入る。


曽根吉正墓……これかな

サド奉行として寛文11年(1671)から延宝8年(1680)まで在任中、洪水によって停止していた佐渡金山
の復興や、生産増加など幕政に尽くしたとか、尽くさなかったとか。このあたり、寺も多いけど江戸の立派な
人の墓も多い。


マンションと一体

となりの長延寺はマンションの1階というのか、半地下というのか、ビルと一体になっている。都会だけに
不動産経営もなさっているのか、いないのか。それはわからない。次の寺へ……。


象の像かわいい

石像につられて足を踏み入れた慈眼寺。お庭にいろいろ石像があって楽しい。奥のほうにはミニ五重塔まで
ある。もっとも、じつのところミニというつもりでないかもしれない。


立派な五重塔


天上天下唯我独尊


これも象の石像

慈眼寺の手前、願海寺との間の坂を上り、つきあたりを右へずーっと歩いていくと左手に常林寺があるはず。
……あった。


丘の上の常林寺

そしてまた墓地に入り、「円理」の研究や「三斜三円術」など、直線と円の接触関係図形の研究をしたとか、
しなかったとかいう安島直円の墓を探す。直円って名前、研究内容そのもの。

「どちらへお参りですか?」
「あの、その、安島直円さん……」


お寺の方に声かけられて、しどろもどろに来意を説明したらお墓の場所を教えてくれた。教えてもらわないと
わからなかったかも。


安島直円墓

墓石の横に、花のようにも見えるし、直線と円の図形にも見える、浮彫がしてあった。常林寺から下りてきて
左にずーっと歩いていくと、つきあたりが玉鳳寺。そこには……!


御化粧延命地蔵尊

「更なる美人へ導いてください」「肌をきれいに!」といった美容系の願いや、「母の足がよくなりますように」
といった健康関連の願いなど、たくさん書き込まれたノートが横にあったので熟読。


私の心の傷も体の傷も
なおしてくださいお願い
します


ノートを読み終わったところで、玉鳳寺を出て左の細くて長い坂を下る。この坂もまた実に……いやなんでも
ない。(全力坂の見すぎ)


幽霊坂っていう名前だったのか

お寺ばっかりだから幽霊が出そうってことで、幽霊坂になったみたい。有礼坂の説もあるなんて木の立て札に
書いてあるけど、こじつけすぎるwww! 幽霊坂が都内に七つあるそうで、江戸の町は淋しかったっぽい。


こんどは上り坂

幽霊坂を下って左に歩いていくと、長松寺へ上る坂がある。曽根吉正も、安島直円も、正直よく知らないけど
長松寺に眠る荻生徂徠はそれなりに有名だから、なんとなく聞いたことあるかも。


……この古そうなやつかな?


なにやら墓碑を整理したようなこと書いてある




このあたりに十数基あったのを

三基にまとめたとか、そういうことらしい。荻生徂徠くらい有名な人になると、一族の墓がずらっと並んでいた
ということか。ふーん……と感心していると、また別の表示に何か?


さっきのはご令室のお墓みたい


荻生徂徠墓こっち

柳沢吉保に用いられ、将軍綱吉にもしばしば儒学を講義……臨終に際し枕頭の人に、「聖人が死ぬときは
5色の雲が出るから早く表へ出てみろ」といったとか、いわなかったとか。


三味線を初めて作った人?

長松寺から下りて左、魚籃坂を少し上ると大信寺。ここに三味線の始祖とされる石橋近江が眠るときいて、
やってきました。三絃、琵琶、三線、蛇皮線……いろいろあって三味線になった、その始祖?


立派な顕彰碑が!

なんか今日いちばん立派かも……これは墓石ではなく新しい顕彰碑だから、墓地に入って墓碑を探さねば。
( 探さなくてもいいんだけど )


本堂の裏かな?


愛猫塚しかない

これって皮を剥がれて三味線になった猫たちの塚? 石橋近江の墓を探し、見つからないのであきらめて
戻ると、さっきの顕彰碑のわきに墓石が移してあった。


これだったのか

そういえば……立派な顕彰碑の写真の右側に小さく写り込んでいる。そろそろお墓にも飽きてきたけれど、
最後にもうひとつ大久保彦左衛門の墓だけ見たい。


大信寺の向かいはピーコック

魚籃坂を下り、白金高輪駅のほうへ歩いて、陸橋を渡り、松秀寺に寄る。そこで一遍上人の銅像を眺める。
時宗の開祖。鎌倉時代の人だけど知り合いに似てる。


リアルだからか

松秀寺のすぐ先に、大久保彦左衛門の眠る立行寺……不遇をかこつ老人のイメージがある彦左衛門だけど、
お寺はずいぶん派手!


うるさ型のご意見番にしては

どちらかというと栄達してる感じ。荻生徂徠どころじゃなく、三味線の始祖より大々的に顕彰されてるかも。
昭和二年に建てられた石碑、でかい!


手前に一心太助

昭和の初めに講談で人気が爆発したのかな? 一心太助と大久保彦左衛門……講談あまり聞いたことない
から、よく知らないけど。そして大久保彦左衛門の墓、探すの大変かと思ったらとんでもない!


一目瞭然の立派さ


この奥に違いない


もしかして土葬?


一族と一緒に眠っている……
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腹切りやぐら

2015-02-15 | Weblog
こわいもの見たさで鎌倉の武士870人が自害したという「腹切りやぐら」をわざわざ見にいく。鎌倉駅から
にぎやかな小町通りを浮かれ歩き、左右に連なる商家もそろそろ終わりかな? というあたりに「鉄の井」
(くろがねのい)があるから、その角を右に曲がる。


これが「鉄の井」

なんでも鎌倉十井のひとつで、かつて扇ヶ谷の新清水寺にあった鉄観音像の首が、いつかこの井戸から
掘り出されたので「鉄の井」の名がついた、と立て札に書いてある。


すぐに鶴岡八幡宮

へーなんて思ってるうちに鶴岡八幡宮の鳥居の前に出る。はじめから鶴岡八幡宮の前にきて右折すれば
話が早いのかもしれないけど、楽しげな小町通りも素通りできない。ちなみに鶴岡八幡宮にいたる参道が
高く盛土してある「段葛」は、平成28年3月まで工事中であと1年あまり歩けない。


右つきあたりに宝戒寺(はぎ寺)

はぎ寺に向かって右に歩いていく。鎌倉は道が狭いわりに車がよく通る、なんて考える間もなく案内表示
が目に入る。そこで左に曲がる。


東勝寺跡をめざす

東勝寺は、鎌倉幕府の執権になった北条泰時が建立したという北条氏の菩提寺で、幕府が滅びるときに
北条一門が立てこもったらしい。そこまで歩いていく道は車も人も通らないので散歩するのにちょうどよく、
ふと気づけば鳥がさわがしく鳴いている。


どこかと思えばあんなところに……


陽気もいいし梅なんかも咲いている

立てこもった北条一門は、討幕をはかる後醍醐天皇に呼応した新田義貞に追いつめられ、なすすべもなく
みんなで腹を切り、自分たちの身元がわからないようにするため寺に火を放ったとか。


東勝寺跡の石碑

跡地にあるのは石碑ぐらい。『太平記』には、第14代執権の北条高時ら一門あわせて870人が自害した
とあり、その東勝寺跡に隣接する山腹に「腹切りやぐら」がいまもあった。


870人も葬られているのか?

こういう「やぐら」は鎌倉の切り通しとか、ハイキングコースを歩くとたくさん見かける。あれは横穴式の墓
なのね。ずいぶん、おびただしいこと……とか反芻しながら待っていたら見物人がぞろぞろ。


霊処浄域につき参拝以外立入禁

この先は祇園山ハイキングコースになっているみたいだったけど、足元がぬかるんでいて、町履きの靴で
来てたから引き返した。帰り道で猫を撮った。



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