祈れるさまに浮かぶ入道。ここは岐阜県、揖斐郡にある横蔵寺。あまりの暑さに空を見ると
両手を合わせて祈る入道のような雲が……この寺には入道のミイラがあるという。ちょうど、
あんなかたちだったらこわいなー。
入道の呼び名は妙心上人という
この舎利堂に妙心上人のミイラ(舎利仏)があると聞いて見にきた。横蔵に生まれた妙心は
両親の没後、仏道修行の旅に出て、西国、坂東、秩父の三十三ヶ所、四国八十八ヶ所を巡り
信濃の善光寺で受戒されたのち富士山に登り、自ら「富士大行者」と称して富士講の先達を
勤めたと寺で配る資料に書いてある。
どう撮ってもハレーションを起こす
山梨県都留郡鹿留村に住み、御正体山の洞窟で断食して文化12年(1815)あるいは
文化14年に入定し、まったく人工の処置をせず自然にミイラとなった。ずいぶん最近の
できごとじゃないか……即身仏になるのはもっと昔の修行かと思った。
撮影禁止なので寺の配布物から
入道雲に似てないこともないこともない。妙心の俗名は古野小市良といい、遺体は山梨の
村人によって祀られていたが、明治の初めに山梨県庁へ移され、明治23年に出生地の寺
でこのように安置されることになった。山梨での祀られ方が気になるところである。
両手を合わせて祈る入道のような雲が……この寺には入道のミイラがあるという。ちょうど、
あんなかたちだったらこわいなー。
入道の呼び名は妙心上人という
この舎利堂に妙心上人のミイラ(舎利仏)があると聞いて見にきた。横蔵に生まれた妙心は
両親の没後、仏道修行の旅に出て、西国、坂東、秩父の三十三ヶ所、四国八十八ヶ所を巡り
信濃の善光寺で受戒されたのち富士山に登り、自ら「富士大行者」と称して富士講の先達を
勤めたと寺で配る資料に書いてある。
どう撮ってもハレーションを起こす
山梨県都留郡鹿留村に住み、御正体山の洞窟で断食して文化12年(1815)あるいは
文化14年に入定し、まったく人工の処置をせず自然にミイラとなった。ずいぶん最近の
できごとじゃないか……即身仏になるのはもっと昔の修行かと思った。
撮影禁止なので寺の配布物から
入道雲に似てないこともないこともない。妙心の俗名は古野小市良といい、遺体は山梨の
村人によって祀られていたが、明治の初めに山梨県庁へ移され、明治23年に出生地の寺
でこのように安置されることになった。山梨での祀られ方が気になるところである。
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