散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

小岩

2015-11-28 | Weblog
小岩、わたしの小岩。ピンキーとキラーズの「恋の季節」が、総武線の黄色い列車に揺られると
自然に口をついて出てくる。小岩、わたしの小岩……


空を染めて燃えたよ~♪

そんな小岩の駅のホームから、ミシン屋さんが見えた。昭和だ。昭和。いちども降りたことない
わたしの小岩で下車して、ちょっと歩いてみる。


昭和通り商店街

うってつけの通りをみつけて通り抜ける。酒飲みが、小岩はいいよと言っていた。安そうな店が
ちらほら目に入るが、朝なのでシャッター下りてる。ホッピーもサワーも飲めない。


ペアで御招待って

男同士でくる店じゃないのか。巨人戦より、日ハム戦ばかり当たりそう。それはともかく、5時
から6時まで、酎ハイやサワーが100円。なんてハッピーアワーだい。5時まで待とうかなと
思ったけど、あと7時間もあるし、夕方には帰宅して子供にごはん食べさせないと飢えちゃう
からムリ……「当店と同名のお店がございますのでお間違いのないように」って書いてある。
もしかしてあの有名な全国チェーンのことか?


電気屋さんにワーゲンの抜け殻

ビートルの抜け殻が5台も連なっている意味がわからん。商店街を抜けると住宅街だった。
かまわず歩いていくと、たしか禁止になって十ウン年になるが……?


ゴミを焼いていた

まいっか。ダイオキシンがどうのこうので、庭で日記も燃やせなくなって、しかたなくブログ
が発生したんだっけ。違ったかな。


エミューがつっつくよ!

近寄ると、本当につっつきそうな顔しやがるからエミューは油断も隙もあったもんじゃない。
どうして小岩のこんなところに、エミューがいるんだろう?


影向の松?

道路標示になにやら御大層なことが書いてあるっぽい。どういうんだろう、「影向の松」って。
善養寺とやらに立ち寄ってみる。


これのことか……


随分と枝を伸ばしてるな

ようごうの松と読むらしい。樹齢六百年、国天然記念物。へー。樹高は8メートルほどでそう
高くないが、地上約2メートルのところで枝を四方に伸ばし、82本の支柱が重みを支えてる。
繁茂面積は800平方メートル以上に達して日本一だとか。


なんか碑がある

影向の松ともうひとつ、天明三年浅間山噴火横死者供養碑って書いてある。浅間山といえば
軽井沢のほうなのに、また遠く離れた小岩でどうして横死者の供養を?


天明三年といったら232年前

浅間山の噴火で小岩にも火山灰は降ってきたけど、それで人が死んだわけじゃなくて、火砕流
で群馬の吾妻川が堰き止められて流域の村が押し流され、水死者が利根川から江戸川を流れ
小岩にたくさん漂着したと。その十三回忌にあたる寛政七年に、小岩の村人が建てた供養碑が
いま善養寺にあり、それが写真の右端の碑。ふーん。(ちなみに中央は傘張りの碑)


墓地の向こうは江戸川だから

あのあたりに流れ着いた遺体がたくさん積み上げられた様子を思い浮かべてみる。自動車が
通るのも差し支えるほど死屍累々、そりゃ小岩の村人も供養したくなるかも。


いちめんに土左衛門がみえる

さて、やみくもに小岩を歩いたから、駅まで戻る道がわからない。エミューとかワーゲンとか
たどって帰るしかない……


小岩駅はこちらです

ねじれているのが気になるが、親切な案内が道端にあったので、それを頼りに住宅地を歩く。
小岩の住人は昔も今も優しいな、水死者は供養するし道案内は出すし。


花火屋酒店

売ってるのは花火なのか、それとも酒なのか。花火屋酒店。まぎらわしい。酒なんだろうけど、
夏は花火も置いてたりして。


健康ランドで大衆演劇やってる

都内で唯一って書いてある。寄って行こうかと思ったけど、そういう気分じゃなくてやめた。
いつか静岡の焼津で似たような施設に入ったっけ……小岩、濃いわ。



関連記事:  焼津 (健康ランドで大衆演劇)

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田端

2015-11-23 | Weblog
このあたり、70年前の空襲で焼けるまで文士村だったそうだが、焼けたせいか全然そういう
感じがしない。101年前(大正3年)に芥川龍之介が田端に住んで、88年前(昭和2年)に
田端で自殺するまでに、羅生門、鼻、河童、歯車などが書かれたというから、芥川龍之介の
作家生活ほとんど全部だ。


駅前ビルに、田端文士村記念館

芥川龍之介のほか、直木三十五、室生犀星、平塚らいてう、サトウハチロー、菊池寛、堀辰雄、
林芙美子、萩原朔太郎、小林秀雄などなど、多くの文士が大正から昭和初期にかけて住んだ
と、田端文士村記念館の年表に書いてある。入場無料。今年10月1日リニューアルオープン
したばかりなんて、まったく知らなかった。


昭和8年当時の田端文士村

芥川龍之介が暮らした家を30分の1ほどのスケールで復元した模型などもあり、見どころが
多いんだけど撮影禁止なので載せられない。


現在の田端の散策マップを入手

田端駅から見上げる丘の上に芥川龍之介が住んでいたらしい。足を延ばせば萩原朔太郎の
寓居跡もある。ちょっくら歩いてみよう。


この切り通しの上に芥川の家が

ぼんやりとした不安を感じて芥川龍之介が服毒自殺したのは昭和2年、切り通しができたのは
昭和10年だから、芥川が生きているうちは切り通しがなかったことになる。


どうやらここか……

芥川が自殺を遂げたところは、グランディール田端という建物になっていた。アパートというか、
マンションというか。建物の前にカッパの標示があった。


こんなところでまた河童に遭遇

またというのは、この秋、多治見と牛久と志木で河童に出くわしたから、田端でもか! と。
もっとも芥川の家と聞いたときから、うすうすそうじゃないかと思った。


だいたいこんな感じだったのが


こんな集合住宅になっちゃった

さて、萩原朔太郎が住んでいた場所も訪ねてみることに。前橋でも馬込でも朔太郎の家を
探したことあるから、田端でも探さなきゃ。


朔太郎の家も近いようだな……

田端には震災のあと越してきて、8か月ほどいたらしい。そのあと馬込に移ったんだろう。
萩原朔太郎のほうは、標示もなんにもない。だから見つけるのが難しい。


おそらくここじゃないかと思う

関連記事:  前橋  ← 萩原朔太郎の家探し (前橋、さらに馬込へ)
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池田町

2015-11-03 | Weblog
霧がすごくて紅葉が見えない。そこがいい、来てよかったと霧の中で思った。長野県北安曇郡の
池田町、標高およそ1000mの大峰高原に生えている大カエデ。大きすぎて葉がいちどに紅葉
せず、徐々に色づく様子が七色の輝きと形容される樹齢250年の大カエデ。


乗ってきたバスも見失いそう

ふりむけば、マイクロバスが霧に溶け込んで消えつつある。このあたり、農地にすべく昭和22年
春に大峰高原開拓団が開墾したときカエデをはじめ広葉樹が林立していたとか。大カエデだけは
根がどうにも抜けなかったので、耕地の中央に幹を1m残して伐採……したものの、耕地としては
水が不足とわかり開拓団が撤収。そのまま忘れ去られ……


観光協会の方の話

20年ほどして牧場ができた昭和43年、盆栽のような枝ぶりに育った大カエデが再発見された。
ドラマチック。牧場がなくなった今も観光名所になっている。


すぐ近くの八寿恵荘に泊まった

翌朝、もういちど大カエデを見にいく。山の霧はすっかり晴れて青空が広がってるから、紅葉も
きっと目にすることができるだろう。


葉が大分落ちてる

おじいちゃんだからなのか、時季がもう終わりかけだからか、あまり葉っぱがない。霧の中で
見たときも、薄々そんな気がした。この大カエデの種から育った、子カエデたちが近くにいた。
(大カエデは正式名称だが、子カエデは今つけたニックネーム)


樹齢10年の子カエデたち

さて、もうちょっと標高の高いところに生えている、中カエデという仲間を見にいく。大カエデは
要介護だから柵で囲まれているけれど、中カエデは柵がないので近寄っておさわりOK!


下から覗き込んでも怒られない

感激のあまり抱き着いたりするお客さんも少なくない。それで癒されるなら構わないと中カエデ
も大人しく風にそよいでる。サービスがいい中カエデは人気あって……


お客さんが木の下に集まってる

これから大峰高原を支えていくのは、実質的に中カエデかも。なんて思ってたら、ライバルが
意外なところから出現した。


わたくしアズキナシと申します

「民さんは野菊のような人だ」でおなじみ、『野菊の墓』の映画化の際、松田聖子と桑原正が
この木の下でロケしたという。「花一色~野菊の囁き~」ですね。


カモミールの苗を植えた畑だ

紅葉も楽しんだところで、泊まってる八寿恵荘のほうに下りてくるとカモミール畑があった。
どうしてあれがカモミール畑とわかるかといったら……


前の晩にカモミール食べたから

右にカモミールの天ぷら、中央のサラダにもカモミールが、まるいコロッケにもカモミールが
刻んで入っておりました。カモミールは秋に種をまいて苗を育て、畑に植えた苗は雪の下で
冬を越すとか。春にぐんぐん成長して、夏までに花を咲かせる。


だから今は苗を植えたばかり

夕食に出たのも貴重な苗だったのかな……ああ、おいしかった。八寿恵荘は今年、日本初の
「 BIO HOTELS 認証 」を取得したばかり。オーガニックという言葉が今ほど知られていない頃
から、カモミールを育てて、隣の工場でそのエキスを作ってきたという。


霧が晴れたから看板が読めた

せっかくなので工場も見学させてもらう。工場といっても宿の感じに近い。木の床でやさしい
雰囲気。カモミールのエキスを作る場所だから、操業中も静かなんだろうな。


カモミールには種類がありまして

ローマンカモミールとジャーマンカモミールに大きく分かれ、こちらで育てて原料にするのは
「しんせいカモミール」と呼ばれるジャーマンカモミール……「しんせい」ってどういう字を書く
んだろう? 新生カモミール? ドイツならば、神聖カモミールもありうる? そう思って後で
質問したら、真性カモミールだった。


池田町の道祖神は防寒してる

華密恋としておなじみのカモミールエキス(カミツレエキス)の他に、池田町で作ってるもの。
やきものがさかんということでアツムイ窯を見学した。アツムイはアイヌ語で安曇のことだと
北安曇郡の池田町で陶芸を営む森田光男さんの、名刺代わりの紙に書いてある。


地元の方かな?

と思ったら神奈川県の逗子出身で、新潟県から古民家を移築して窯を築いて陶芸している
そう。すごい……自分の感性で生活を完成させているようにお見受けした。


窯の中は高温になるんだろうな

800度とか1000度とか、そんな窯にもし閉じ込められたら肉は焼けるし骨も粉になるかも。
小説のネタにならないかな? と余計なこと考えてしまった。


地元で愛される日本酒、大雪渓

その蔵も見学した。余談だが杜氏に3タイプあり、昔ながらの出稼ぎ杜氏。これが減っていて
何とかしなきゃということで、酒造会社の社員の杜氏が増えている。オーナーが杜氏を兼ねる
ケースも増えていて、イメージ重視の売り方になりがち。3者3様に得手不得手があり、お互い
負けたくないと思っている。(ベテランに学んだ社員杜氏さん談)


若き専務が製造工程を見せてくれた

日本酒が発酵するとき、タンクの中は酸素がないから不用意に覗き込んだら気絶してしまう
し、落ちたら死んでしまう。お酒の好きな人なら覗き込むかも……小説のネタにならないかと
余計なこと考えてしまった。


池田町でも河童を見つけた!

八寿恵荘のロビーに陶器の河童が3体いた。よく見たら、頭のお皿がカモミールの花だった。
これで河童の目撃情報は、長野、岐阜、茨城、埼玉に広がった。

関連記事:  多治見の河童
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