新型コロナウイルスで世界が一変してしまい、自由に海外旅行などできなくなって約2年が過ぎた。2020年の正月をネパールで迎えて以来、ただの一歩も日本を出ていない。近場でいいから、たとえば台湾でいいから行きたい。
そんなことを思いながら埼玉を歩いてたら目の前に台湾の道教寺院が出現した。ここは東武東上線の若葉駅東口からまっすぐ伸びる道を駅を背に2kmあまり歩いたところ……聖天宮という宗教施設。まるで台湾に来たみたい。
振り向くと日本の田舎の光景が広がる。夢だった。台湾に行きたいと強く思うあまり日本の田舎で台湾の白昼夢を見てしまったんだ。情緒は大丈夫だろうか。いかんいかん。気を取り直してもう一度だけ振り返ると、そこに台湾があった。
どっかの女子がしゃがみ込んで写真を撮ってる。入場料500円を払うと中に入って、写真撮影などすることができる。大病して一命を取り止めた台湾の人、康國典大法師が一念発起、三清道祖のお宮を建てようとしたら台湾ではなく埼玉に建てよとお告げがあった。
昭和56年、さっき電車を下りた若葉駅もまだなく雑木林が広がっていたこの田舎を整地して台湾の宮大工を呼び寄せ、15年の歳月を費やして平成7年に聖天宮を開いたと入場パンフに書いてある。
コスプレ者たちが建物内で何らかの撮影をしていた。20年ばかり前、台湾に行ったとき道教寺院にコスプレ者はいなかったので、にわかに日本の現実に引き戻された。500円で撮り放題なら、ちんけなハウススタジオを借りるより気分が出るだろう。
露出の多い衣装を身につけたコスプレ者たちもいた。全員カラコン入れてるので、目が合うと怖い。さっきしゃがんで写真を撮ってる女子ふたり写り込むから邪魔だなと思ったけど、それは間違いで、あれくらいどうということはなかった。
いまは訪れる人もまばらだけど、お正月には混雑するのだろうか。いや、旧正月かな。参拝者の数とコスプレ者の数どっちが多いんだろう。龍は五千頭も彫刻などでお宮にほどこしてあるというから、いずれにしても人より龍の数が多いかもしれない。
天井板にも龍がびっしり。柱にも龍がびっしり。壁にも屋根にも、そこらじゅう龍がびっしりだから、15年でよく作り上げたものだと驚く。それからさらに四半世紀、雑木林だったところに東武東上線の若葉駅ができて、途中の道の両側にマンションや工場が建った。畑も多い。
鐘楼に登ると龍だらけの天門の向こうに畑が広がっており、台湾気分が一転、埼玉気分になる。まっすぐな道をまた2km以上もくもくと歩いて駅まで戻るのが面倒くさいこと限りない。どうしてここにお宮を建てよと道教の神様はお告げしたのだろう。横浜か神戸か長崎より埼玉がよかった理由は?
休憩所には台湾の飲み物やお菓子、土産物の類が自動販売機で売られている。ひょっとすると、ここがいちばん台湾気分の濃厚な一角かもしれない。飴玉やキーホルダーをバラまいて「台湾に行ってきました」と偽装することも可能だ。
龍だらけの建物の全貌が見渡せて美しいのは、むしろ入場するより遠くからのほうがいいかもしれない。それじゃ気が済まないから一度は中に入ってしまうが、前を通りながら三清道祖に一礼でもするのが最善なのでは。
若葉駅まで戻って、東武東上線を何駅かくだり、東松山で下車してやきとり食べた。東松山のやきとりは豚。それも、かしら。しかし、やきとんが普及した昨今では豚だろうと鶏だろうと問題ない。台湾もいいけど埼玉も悪くない。