散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

東京タワー

2018-12-24 | Weblog
東京で暮らしてると東京タワーにのぼる機会がめったにない。東京スカイツリーにのぼる機会も
なかなかない。スカイツリーには一生のぼらない気がする。それにくらべると東京タワーのほう
は年に1回か、2年に1回か、数年に1回ぐらい気まぐれに立ち寄ることがあるから、自分などは
案外のぼってるほうかも? それでも大展望台(150m)までだ。上の特別展望台(250m)には
行ったことがないので、天気もいいことだし、ひやかしてみることにした。


地べたを歩いて東京タワーに向かう

おそらく立ち入るのは5年ぶりだ。ろう人形館がなくなる前に、見納めにでかけたのが最後なのでは
と思う。現在その場所はワンピースの展示が大規模に催されている。興味ないので特別展望台へ
直行しようとすると、今年60周年を迎えた東京タワーの特別展望台は「トップデッキ」と改称されて
完全予約制になっていた。スマホで予約して立ち入る。ちなみに大展望台のほうは「メインデッキ」と
呼び名を変えていた。


白い部分をエレベーターが上がる

厚さ12mmのガラス板のほかに外界と隔てるものがないエレベーターに乗って「トップデッキ」まで
上がる前に、まず「メインデッキ」に上がらねばならず、そこから別のエレベーターで1階分上がって、
さらに別のエレベーターを待たなければならない。強風で徐行しているせいもあるのかもしれないが
地上250mの「トップデッキ」まで上がるのに、予約時刻から40分ぐらいかかるのだった。


そこまでして拝む特別な景色がこちらになります

ラーメンでも何でも並んでまで食べる気にならないタイプの人間にとって、上までのぼるのに40分は
ちょっと長かったから、せっかく上がってもすぐ下りたくなってしまうのだった。星空を鑑賞しにきたら
美しいかもしれないと思ったけれど、地上が明るくて星なんか見えないかもしれないし、また40分も
かけて確かめにくることは、たぶん一生ないだろう。


60年前はこれらの高層建築がなかったはず…

スカイツリーをつくるとき東京タワーの高さの2倍の666mにすることが検討されなかったとは到底
思えないのだが、どうしても『オーメン』のダミアンの頭に記された数とか連想して怖くなっちゃうから
634mに加減して「ムサシ」なんて語呂合わせでお茶を濁しただろう顛末について思い巡らせつつ、
150mの「メインデッキ」までエレベーターで下りてくると、こっちのほうが何を見ても迫力あることが
判明した。展望台は高ければ高いほどいい、というものでもないようだ。


歴代ユニフォームの展示なども行われていた

さんざん貶されている高輪ゲートウェイ駅のほうを見下ろしていると、おのずから思い出されるのは
公募したのに結局「東京スカイツリー」にされちゃった顛末とか、都電荒川線が「東京さくらトラム」
になっちゃたときの、まったく作為を隠さない選択肢の設け方とか、そういうこと。


いちばん手前のユニフォームが現在のデザイン

こんな調子で改憲の発議なんか行われたら一体どうなってしまうのだろうと案じないではいられない。
大阪の地下鉄なんかも、ひどいリフォームが行われてしまうのだろうか。ところで60周年ということは
昭和を30年、平成を30年のりこえた勘定になるらしい。平成など昭和のおまけかオプションか何か
ぐらいに思っていたのに、存命の人の人生の大半か、控えめにみて3分の1いつのまにか占めてる。
変わらないようで大きく変わった東京の景観のように、目に見えない何かも大きく変わってしまったん
じゃないかな? と思いながら地べたに下りてきた。


おめでとう東京タワー開業60周年


関連記事:  ろう人形館
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末弘ヒロ子

2018-12-10 | Weblog
箱根・仙石原のポーラ美術館に「モダン美人誕生 岡田三郎助と近代のよそおい」展を見に行く途中、
小田原駅前に看板が出てる「さんせん」でビントロ満腹丼を食べた。800円でこれは御立派。ついでに
お城のほうへブラブラ歩いていくと、12月なのに銀杏が散りもせず真っ黄色。


はやく散れ師走も深し銀杏の葉

思わず俳句みたいなのをひねる。平成最後の落葉は遅い。昭和なら11月で落葉樹は丸裸になったけど、
ちかごろは年を越すことも珍しくない。お堀端を歩いていくと、さすがに桜の紅葉は残り少なくなっている。
また俳句もどきが浮んだ。


桜の葉むかしめきたる紅葉かな

なにをしてるんだろうか。そのままお堀端を歩いていったら、二宮金次郎を祀る報徳二宮神社についた。
うっかりすると俳句っぽいのができちゃうので気を引き締めてお参り。


なんちゃって俳句なしよ

あるある、薪を背負って本を読む金次郎の銅像。あれは立札によると昭和3年、昭和天皇の即位大礼の
記念に神戸の中村直吉氏が寄進したもので、制作者は三代目・慶寺円長。その後、あれと同じ像が全国
の小学校などに向けて約1千体、制作された。


どうりで見覚えあるわけだ……

と思いきや、戦時中すべて兵器にすべく供出されて鋳潰され、現在残っているのはこれ1体だけらしい。
じゃあ見たことある像は全部、戦後に作られたレプリカか。どうりで何か違うと思った(後出し)。


いかめしい大人になりもうした

子供のイメージしかないけれど、大きくなって金次郎から尊徳と名を改め、報徳仕法という独自の理念で
幕末の世のために尽くしたとか。69歳まで生きたらしい。神社ができたのは明治27年。


そろそろ散歩を切り上げて美術館へ

明治生まれの洋画家、岡田三郎助が婦人雑誌や少女雑誌、デパートの宣伝物に関わってファッションの
流行を生み出してきた足跡をたどる企画展を楽しみにきた。


自ら所蔵して絵に描いた着物も展示

肩をあらわにした女性が身につけている着物なども見ることができる。明治、大正、昭和のはじめには
女性の生き方が激変して、よそおいも激変したけれども、西洋美術を学んだ画家が積極的に流行作り
に関与しているのが面白い。


女性の描き方に今っぽさがある

目がクリッとして、ひたいと鼻とあごの比率にたぶん西洋の人物画の比率が生かされているんだろうけど
浮世絵に描かれる女性とは決定的に違う。


洋行したい明治女性の浮世絵

さっきの目がクリッとした絵は明治41年ごろ、美人写真コンテストの地方予選の募集のために描かれた
「少女像」で、地方で1位の女性に賞品として贈られるルビーの指環を左手につけてる。


全国で1位になるとダイヤの指環がもらえる

どちらも岡田三郎助が「こんな女性がいたら……」という理想を描いたもの。モデルは芸者さんらしい
けど玄人っぽさを排除してあるように見える。このポスターを見て美人写真コンテストに応募してきた
全国1位の小倉のお嬢さんが、ポスターそっくり。


末弘ヒロ子という、変わった名前の子だった

いまのアイドルと同じ系統だと思う。描いた絵に近い雰囲気の子が実際に現われて、後の世まで影響を
及ぼしてしまう岡田三郎助の画力がすごい。末弘ヒロ子は学習院の学生で、親戚が知らないうちに写真
を応募して知らないうちに全国1位になってしまい、家に主催者が結果を通知にきたとき困ったという。
しかし、優勝賞品のダイヤモンドの指環を見たら目の色が変わったとか。


こちらが岡田三郎助の肖像写真

ダイヤの指環のことを知らなかったということは、実際、本人が応募したわけじゃないのかも。しかし、
末弘ヒロ子が美人写真コンテストで全国1位になったことが学習院に知れると、けしからんと判断され
学校を退学になった。そのあと本人は活動してないから、残ってる写真は応募用のもの。とても自然。
カメラが珍しい時代に、写真撮られることを意識していない。そういう環境のお嬢さんだから、勝手に
応募された何げない写真が全国1位になったんだろう。


退学にした学習院の校長は……

当時の学習院の校長は、軍人の乃木希典だった。末弘ヒロ子がやめたあと、気の毒だと思ったのか、
軍人の中で有望なのを結婚相手として世話した。明治天皇が崩御したあと殉死したけど、その数年前
ということになる。違う校長だったらどうなっていたんだろう。


結婚して家庭は円満だったらしい

姉の孫がジャズ演奏家で、ヒロ子のことを身内の気安さもあってか、化物と表現したことがあるそうだ。
いつまでもアイドルみたいな容姿ではなかったに違いない。美人コンテスト(しかも写真…)の顛末が、
とても印象に残ってしまった。末弘ヒロ子とか、広末涼子とか、広瀬すずとか、ヒロのつくトップアイドル
そういえば多いな……薬師丸ひろ子もそうか。


せっかくなので、すすきを見て帰る

その日は近くに1泊して、翌日、仙石高原のすすきを見物した。10月にきたときは青々としていたが、
さすがに12月ともなると茶色くなっている。うっかり、俳句もどきが浮かんでしまった。


見どころのありや師走のすすき原


関連記事:   すすき草原
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クリムゾン・キングの宮殿

2018-12-01 | Weblog
サインを求めたら、ロバート・フリップはアルバムジャケットの左下に小さく署名したあと、「自分はいつもメガネを
かけているから……」と笑ってメガネの絵を描いた。「甘いものが好きだから……」と笑って、歯を1本黒く塗った。
気難しいかと思ったら、目の奥に笑みをたたえたユーモアのある人だった。笑いながらCDの盤面に、このような
バツ印を書いて、


「このレコード会社は嫌いだ。悪いレコード会社」

とつぶやいた。やっぱり気難しいかも。キング・クリムゾンがアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を世に問うて
30年になる、1999年のこと。雑誌のインタビューで会って話をしてから、かれこれ20年近い月日が過ぎた。
2012年だったかに引退宣言をして、音楽活動をやめたはずなのに、2015年だったかに活動を再開している。
宮崎駿か。「キング・クリムゾン結成49周年になる2018年は、50周年より意義深い」と、ややこしいコメントを
発表してツアーを回り、11月27日から日本公演が始まった。さっそく行ってきた。


トリプル・ドラムの8人編成バンドになっていた

ステージの前列にドラムセットが3台ならび、後列にその他の5人がならぶ。ロバート・フリップは向かって右端。
90年代にライブをみたときは、ダブル・トリオの6人編成で、ドラムセット2台をドカドカやっていたけれど、いまは
ドラムセット3台でバカスカやっている。この、2階席でもS席16000円でけっこういいお値段がする。8人もいる
から、それぐらい取らないと成り立たないのか? 8人もいるのに、誰も何もしゃべらない(MCなし!)でひたすら
演奏し続ける。20分の休憩をはさんでトータル3時間。


それにしてもお客さんの年齢層がすごく高い!


写真撮影はすべての演奏が終了したあと、ベーシストのトニー・レヴィンがカメラで客席を撮影しているあいだ
だけ許される。ステージの上も高齢者ばかりだけど、客席も高齢者ばかりだ。20分間の休憩のとき、トイレに
長蛇の列ができていた。女子トイレはがらがら。普通は逆なんだけど、さすがクリムゾン・キングの宮殿。


ロバート・フリップすっかりおじいさんになってた


髪も真っ白だし、ずっと座ってるし……ずっと座ってるのは90年代のダブル・トリオのころもそうだったけど、
あのときは真ん中に座っていた。いまはステージの隅っこ。座ってギターや、サウンドスケープ、キーボード
を操作している。他のメンバーも8人中、5人が座りっぱなし。お客さんも3時間ずっと座りっぱなし。


1999年は髪が黒かった

こっちも若気のいたりで金髪だった。当時ロバート・フリップは、キング・クリムゾンのライブのお客さんたちが
「みんな座って難しい顔をしている」といって笑い、「間違って連れてこられた若い女性はキョトンとしている」
と笑っていたけれども、あれから20年。若い女性がいなくなって、おやじばかりが難しい顔をして座っていた。
おとなしくカラダを揺すりながら感動していた。


札幌、仙台、金沢、大阪、福岡…

1か月ほどかけて全国を巡回する。ドラムセット3台もあるから移動が大変だろうと思う半面、映像設備などが
まったくないから身軽かもしれない。過去の名曲もたくさん聴けて、いちどは満足したんだけど、2日、3日目の
演奏曲がぜんぜん違う(セットリストが変わる)と聞いて、追加公演の当日券の列に並んでみたのが11月30日。
平日に勤め人の行列をみて仕事は大丈夫なのかと心配になったが、自分もその一部なのだった。しかも前から
2人目。


当日券のほうが千円高い

A席でいいのに、S席しか売ってない。1階12列目の中央が買えてしまった。予約よりいい場所じゃないか。
なんだこれは……会場を見回すと、追加公演は2階席・3階席がないようだった。


ファインダーのぞくスキンヘッドがトニー・レヴィン

トリプル・ドラムは迫力あるけど、70年代や80年代の曲はドラム1台でたたけるから、ゆずりあってたたく場面
もあったように思う。気がつくと真ん中のドラマーが横を向いてキーボード弾いてたり。


何もしゃべらないけど深々とおじぎするフリップ

もうひとりのギターがときどき歌うんだけど、その声はグレッグ・レイクでもないし、ジョン・ウェットンでもないし、
エイドリアン・ブリューでもないから、演奏はいいのにボーカルが入るとコピーバンドっぽくなる。8人の編成は、
後列右から
ROBERT FRIPP ギター、サウンドスケープ、キーボード
JAKKO JAKSZYK ギター、ヴォーカル
BILL RIEFLIN キーボード
TONY LEVIN ベース、スティック、バッキングヴォーカル
MEL COLLINS サックス、フルート
前列右から
GEVIN HARRISON ドラムス
JEREMY STACEY ドラムス、キーボード
PAT MASTELOTTO ドラムス



初日も追加公演も「クリムゾン・キングの宮殿」はお客さんが喜んでいた。追加公演だけ「21世紀の精神異常者」
をやって、最年少らしいGEVIN HARRISONの長い長いドラムソロがあり、他の7人がみんな座ってその熱演ぶりを
眺め、「すごいね」「やるじゃん」といった感じで顔を見合わせたり、笑ったりしてるのが微笑ましかった。

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