ほぼ天下統一した猿によって、最後の最後に落とされた北条氏の小田原城を通りかかったら、
しかえしのつもりか猿が檻に入れられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/59/4d34a215ccae4b641321aca76d5e0924.jpg)
「猿め……、猿め……」
その猿が小田原城を見下ろす山の上に、一夜にして築いたように見せかけたという石垣山城を
ちょっくら訪ねることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/6a/256dbe5e7f63db7a23d8037ce1fc1cf4.jpg)
小田原駅から一駅の早川駅へ
JR東海道線に乗って、早川駅で降りる。これまであまり意識したことのない駅だけど、どこへ
行くのか人が思ったより降りる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/2b/260d76aa60fe3ade6db7aff429f3a3a4.jpg)
一夜城として道路標示に
山だから当然あっちだろう、と思った方に、一夜城歴史公園として表示されている。新幹線が
走る低い高架をくぐり、坂を上がっていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f1/6d9265036029f19aca8dae3adcd410ab.jpg)
こっちの看板は太閤一夜城址と
坂を上がるのは好きではないけど、何にもない(と思われる)場所へ行くには歩いて上るしか
ないから今日は覚悟してきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/16/c2deec0e19b119a6507f1580d6c75542.jpg)
誰もいない急坂を上る
地中海にいる錯覚する。振り向くと海が見える。花粉かPM2.5がとんでるらしくて、悲しくも
ないのに涙がでてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d1/e1cae809aa985aa5e848e2a46f8f33cf.jpg)
駅から2kmあまり、あと340m
淀殿が秀吉に呼ばれて石垣山の一夜城にやってきたと書いてある。小田原攻めに集まった
諸大名も、長期戦に備えて妻を呼び寄せたと書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4d/7f0da5cc7f5a673e726bca4137abcca7.jpg)
石垣山一夜城までいよいよ50m
なかったらどうしよう? と思ったけど、看板がこれだけ出てるということは、この先に何か
あるってことだからホッとした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/b4/6912e3f609698fdd02ec0ed64b5c4fd3.jpg)
一夜城 すぐ左 ってそっち右?
ちょっと心配になったけど、矢印のほうを見たら城っぽい地形になってるし石も転がってる
から、ここが石垣山の一夜城址だろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/62/802eee8f442643117b9e0a66cc5a9815.jpg)
関東で初めての、石垣のある城
信長・秀吉の全国統一の過程で広まった石垣は、当時まだ関東になかったというから、この
山が石垣山と呼ばれるのは意味のあることだった。もとは笠懸山とか、松山だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/07/4038e7b64a6cc6afdf977550fce17b32.jpg)
小田原城は土の城だったという
3km先の山の上に、一夜にして石垣の城が現われたら、北条氏政もびっくりしただろうな。
木で覆われた山に城を隠して建て、いっぺんに木を伐ったというけれども。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/aa/287e8b84c4ee85ca0ae269ab1ab1f09f.jpg)
やれやれまた上るのか
ここまで歩いて上ってきたけど、着いたらバスがいた。期間限定で、うめまる号という名前の
観光回遊バス(500円で乗り降り自由)が小田原駅から出てるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/58/7a4dc23b1b491ff9d44a0485e1707ca9.jpg)
あの人たち、うめまる号かな?
帰りは500円払って、うめまる号で小田原駅まで戻ろうと思った。しかし、高齢者ばかりに
見えるのは気のせいか。自分の趣味は高齢者と同じ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/fe/f7289677b128d26be27f3de965a13284.jpg)
二の丸の曲輪、広々としている
あの高台の上が本丸なんだろうけど、ほとんど何にも残ってない。それにしても、最新技術の
石垣をもった城がここから小田原城を見下ろしたら、威圧感あったに違いない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/80/1818a50a8fdffe56e7dbd8da789342aa.jpg)
関東の連れションを誘った景色
写真にするとわからないけど、肉眼だと小田原城がよく見える。関東の連れション創始者(?)
秀吉も家康も関東人でも何でもない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/39/3ef2669bffe344cfcccc3a144ed79b7a.jpg)
緑が北条氏の小田原城で、赤が豊臣の包囲網
左下の角にあるのが秀吉の石垣山城。いまここにいるわけ。水軍もいるし、これだけ囲われたら
いくら何でも持たないだろう……全国を敵に回したようなものだから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/23/dfb2c6066afa1eb0e422bfcb88bf96dc.jpg)
おしゃれ横町の北条氏政の墓
小田原駅前のおしゃれ横町には、自刃した北条氏政の墓がある。夫人の墓と弟の氏照の墓も
一緒に並べてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/dd/100ca568d58bac708e47de93adb38349.jpg)
鈴がいっぱい墓所にかけてある
関連記事: 小田原 ←1年前の4月
しかえしのつもりか猿が檻に入れられていた。
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「猿め……、猿め……」
その猿が小田原城を見下ろす山の上に、一夜にして築いたように見せかけたという石垣山城を
ちょっくら訪ねることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/6a/256dbe5e7f63db7a23d8037ce1fc1cf4.jpg)
小田原駅から一駅の早川駅へ
JR東海道線に乗って、早川駅で降りる。これまであまり意識したことのない駅だけど、どこへ
行くのか人が思ったより降りる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/2b/260d76aa60fe3ade6db7aff429f3a3a4.jpg)
一夜城として道路標示に
山だから当然あっちだろう、と思った方に、一夜城歴史公園として表示されている。新幹線が
走る低い高架をくぐり、坂を上がっていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f1/6d9265036029f19aca8dae3adcd410ab.jpg)
こっちの看板は太閤一夜城址と
坂を上がるのは好きではないけど、何にもない(と思われる)場所へ行くには歩いて上るしか
ないから今日は覚悟してきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/16/c2deec0e19b119a6507f1580d6c75542.jpg)
誰もいない急坂を上る
地中海にいる錯覚する。振り向くと海が見える。花粉かPM2.5がとんでるらしくて、悲しくも
ないのに涙がでてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d1/e1cae809aa985aa5e848e2a46f8f33cf.jpg)
駅から2kmあまり、あと340m
淀殿が秀吉に呼ばれて石垣山の一夜城にやってきたと書いてある。小田原攻めに集まった
諸大名も、長期戦に備えて妻を呼び寄せたと書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4d/7f0da5cc7f5a673e726bca4137abcca7.jpg)
石垣山一夜城までいよいよ50m
なかったらどうしよう? と思ったけど、看板がこれだけ出てるということは、この先に何か
あるってことだからホッとした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/b4/6912e3f609698fdd02ec0ed64b5c4fd3.jpg)
一夜城 すぐ左 ってそっち右?
ちょっと心配になったけど、矢印のほうを見たら城っぽい地形になってるし石も転がってる
から、ここが石垣山の一夜城址だろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/62/802eee8f442643117b9e0a66cc5a9815.jpg)
関東で初めての、石垣のある城
信長・秀吉の全国統一の過程で広まった石垣は、当時まだ関東になかったというから、この
山が石垣山と呼ばれるのは意味のあることだった。もとは笠懸山とか、松山だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/07/4038e7b64a6cc6afdf977550fce17b32.jpg)
小田原城は土の城だったという
3km先の山の上に、一夜にして石垣の城が現われたら、北条氏政もびっくりしただろうな。
木で覆われた山に城を隠して建て、いっぺんに木を伐ったというけれども。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/aa/287e8b84c4ee85ca0ae269ab1ab1f09f.jpg)
やれやれまた上るのか
ここまで歩いて上ってきたけど、着いたらバスがいた。期間限定で、うめまる号という名前の
観光回遊バス(500円で乗り降り自由)が小田原駅から出てるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/58/7a4dc23b1b491ff9d44a0485e1707ca9.jpg)
あの人たち、うめまる号かな?
帰りは500円払って、うめまる号で小田原駅まで戻ろうと思った。しかし、高齢者ばかりに
見えるのは気のせいか。自分の趣味は高齢者と同じ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/fe/f7289677b128d26be27f3de965a13284.jpg)
二の丸の曲輪、広々としている
あの高台の上が本丸なんだろうけど、ほとんど何にも残ってない。それにしても、最新技術の
石垣をもった城がここから小田原城を見下ろしたら、威圧感あったに違いない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/80/1818a50a8fdffe56e7dbd8da789342aa.jpg)
関東の連れションを誘った景色
写真にするとわからないけど、肉眼だと小田原城がよく見える。関東の連れション創始者(?)
秀吉も家康も関東人でも何でもない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/39/3ef2669bffe344cfcccc3a144ed79b7a.jpg)
緑が北条氏の小田原城で、赤が豊臣の包囲網
左下の角にあるのが秀吉の石垣山城。いまここにいるわけ。水軍もいるし、これだけ囲われたら
いくら何でも持たないだろう……全国を敵に回したようなものだから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/23/dfb2c6066afa1eb0e422bfcb88bf96dc.jpg)
おしゃれ横町の北条氏政の墓
小田原駅前のおしゃれ横町には、自刃した北条氏政の墓がある。夫人の墓と弟の氏照の墓も
一緒に並べてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/dd/100ca568d58bac708e47de93adb38349.jpg)
鈴がいっぱい墓所にかけてある
関連記事: 小田原 ←1年前の4月