秦野の駅で小田急線の電車を降りると見える丘にのぼったら湖があった。震生湖という名のとおり、地震で生まれた湖らしい。地震でどうして丘の上に湖ができるのか。ふしぎに思っていたら「震生湖の生い立ち」を記した立札があった。わりと新しい湖で、およそ100年前の関東大震災のとき地滑りで生まれた。
これがその震生湖。ちょうど桜が咲いていた(対岸の駐車場あたり)。1923年(大正12年)9月1日の大地震で市木沢の北斜面が250mにわたって地滑りし、沢を堰き止めて湖ができた。堰塞湖(えんそくこ)というそうだ。1930年(昭和5年)には東京帝国大学地震研究所の寺田寅彦らが測量調査を行った。2021年(令和3年)に国登録記念物になった。
花見がてら湯を沸かし長期保存食のカルボナーラをふやかして食べた。いつ震災が来ても困らないように備蓄してる食糧をストックローテーションのために消費したわけだが、ちょっと足りないんじゃないかと思ってパン屋さんで買ってきたカレーパンが保存食より美味かった。どうやら保存食だけでは、健康で文化的な最低限度の生活を営むことが難しいとわかった。
およそ100年前の震災でも、今年1月1日に起きた能登の震災でも、被災者はプライバシーのない避難所で雑魚寝だった。ナチスがユダヤ人をガス室で大量虐殺する目的で作った収容所(アウシュビッツとか)でさえタコ部屋のような寝台で休むことができたのに、日本の避難所の設備は3か月後もそれ以下だった。台湾で大地震が起きると3時間後に食料も電源もあるテントで被災者が保護されたのと比べて、雲泥の差だ。
それにしても震生湖のあたりは花盛りだった。そのわりに人がいなくて、のんびり、ゆったり過ごせる。穴場というものかもしれない。もしも覚えていられたら、来年もぶらぶら歩きにこようと思い、メモがわりにブログを書いておくことにした。秦野の駅の反対側には丹沢の峰々を望むこともできる。その気になれば登山もできるけど、その気になることは多分ないだろう。
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