散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

銀座

2012-02-22 | Weblog
歌舞伎座のビルはいま、鉄骨が組み上げられて見上げるばかりになっています。真下の地下鉄出入口
が閉鎖されてしまい、2013年3月まで使えない(あと1年もある……)ので、近くに職場がある者としては
ついふらふらと銀座駅のほうまで歩いていくことになりがち。


昔の銀座4丁目交差点

見えている角にはいま三愛のビルが建っていて、1階と2階にドトール系列のカフェが入っていますね。
その角に建っている小屋は、交番でしょうか? いまもそのあたりに交番があります。


いまの銀座4丁目交差点

ここをまっすぐいくと日比谷です。日比谷とか銀座とかは昔は海で、江戸城の堀をつくるとき出た土砂で
埋め立てたんだそうですね。どうりで地面が平らだと思った。東京のまちは普通もうちょっとデコボコです。


こんなペッタンコな場所ないもん

バブルのころなど鳩居堂まえの地価がよく日本一だといわれて、値段がどんどん上がるって新聞やテレビが
報じるのを他人事のように眺めながら大人の階段を一歩ずつ上ったものです。そこが埋立地だっていうのは
なんだか東京らしいや。


日曜日は歩行者天国

今週末は、またまた東京マラソンで3万人がここを走りぬけます。その10倍の人数が抽選に外れている
みたいですね。どことなくバブルの空騒ぎにも似ています。東京らしいやって思いながら、他人事のように
きっと見て見ぬふりをします。


関連記事: 歌舞伎座(工事中) 
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町田

2012-02-16 | Weblog
田町という町は、田んぼを埋め立てたから田町というそうだが、それじゃ町田という町はどうなの?
……ということで町田にやってきました! 複雑に入り組んだ駅の、北口から地上に出ます。


するとこういう道に出ます。

線路を右手に見ながら、まっすぐ道を歩いていきます。すると間もなく、ひとつめの踏切があります。
そのまま線路脇をずっと歩いていくと、ふたつめの踏切がじきにあります。

 
ひとつめの踏切は渡らない。そして、ふたつめの踏切も渡らない。

ふたつめの踏切に背を向けて、つまり左折して歩いてゆきます。すると目に入るのはカレー屋さん。
かの有名チェーン店、CoCo壱番屋です。


しかし、ここでカレー食べるわけにはいかない。

この道をまっすぐいくと、見えてくるのは……くせになる! ジャスミンライス&スパイスカレーの
モコモコです! カレーのモコモコ。町田はカレー屋さんが多いですね。


モコモコでもカレー食べるわけにはいかない。

右手に見えてくるモコモコを背にして、つまり左折して歩いていくと、町田市役所のまん前に出ます。
そのまま市役所を素通りします。ずんずん、ずんずん歩いていくと……?


あった! カレーの店。

しかし、シャッターが下りています。休みなのか? 電話してみると、昼の12時には店を開けるそう。
あと10分……時間通りに開くのでしょうか? (結果、12時03分ごろオープン)


カレーの鍋2つで商売しています。

まもなくカウンター10席が満席に! 医食同源ということで、マスターがしゃべりながらカレーを
作って出してくれます。信濃毎日新聞で月イチ連載してるそうです。


本日のメニューはこちら!

東インドの代表的な、魚カレーをいただきました。この日はサンマカレー。人気メニューだそうです。
居合わせたお客さんが頼んでるのは、魚カレーも多いけど、Bセットにスパイス納豆のせたやつ。
コフタというのは豚の肉団子です。

魚カレーを食べたら、すっかり満足したので、なにをしに町田までやってきたのか忘れてしまって
そのまんま帰りました。どうして町田というのか、結局わからずじまいです。
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江戸の水道

2012-02-11 | Weblog
新宿御苑のちかくに四谷大木戸門跡の石碑がある。大木戸というのは文字通り、大きな木の戸。
これがついた門が江戸の内と外を区切っていて、四谷だけじゃなく高輪にも大木戸門跡がある。
板橋にも大木戸門があったらしい。防犯のため、夜になると大木戸が閉ざされたそうな。

つまり四谷より外、高輪より外、板橋より外は江戸じゃなかったわけだから、大江戸って小さい。
大木戸の外に街道の宿場がある。四谷の外に甲州街道の新宿、高輪の外に東海道の品川宿、
板橋の外に中山道の板橋宿。それぞれ町奉行の目が届かない盛り場になったとか。


四谷の大木戸門は特別。

四谷大木戸門には「水番所」が付設されていて、多摩川から羽村取水堰で取水され玉川上水を
流れてきた飲み水が、ここから地下の水道を通して江戸城をはじめ町人の長屋にまで分配された
……といったようなことが、漢文で刻まれているにちがいない(読めないけどね)。

ちなみに羽村から四谷まで標高差100mほどしかないそうだから、その間43kmも水を引いてくる
技術たるや、ものすごい。古代ローマ人もびっくり!?


もっとびっくりするのは……。

四谷大木戸門より内側では、こういう木製の水道を作って地下にはりめぐらせていたという事実。
もちろん、将軍が暮らす江戸城のなかにも水道が行き渡っている。


模型で見ると、こんな具合。

江戸時代の中期(18世紀半ば)には、江戸の人口は100万人を突破していて、この江戸上水道の
給水技術・給水面積・給水人口は世界一だったという。19世紀初めのロンドンは人口90万人で、
丸太をくりぬいた木管を地上に配列して飲み水を流す水道があったが、給水は月・水・金の週3回、
それも7時間ずつだった。同時期のパリには水道そのものが1830年ごろまでなくて、セーヌ川から
水車で汲み上げた水を、水売り人が手押し車で売り歩いていたらしい。


江戸の水道は年中無休、24時間いつでもOK!

維新後に明治・大正・昭和の人たちが“徳川の世は暗黒時代”って歪んだ歴史教育を徹底したから、
江戸のすぐれた技術がすっかり隠蔽されてしまったけど、そろそろ見直していい頃かも……。

じつは松の木で作られたこの水道(伏樋っていうんだって)、こっそり明治・大正・昭和も戦後しばらく
使われてたっていうから、江戸のおかげで帝都の繁栄があったんでい!


土中から掘り起こされた水道の木管

こういうので水を通さないと、台地や埋立地ばかりの東京……江戸では井戸水なんか汲めやしねえ!
時代劇で見る井戸端会議の井戸水も、じつは木管を通した水道の水だったわけ。


東京都水道歴史館に展示されている

JR水道橋駅からJRお茶の水駅のほうへ歩いて8分くらい、JRお茶の水駅からJR水道橋駅のほうへ
歩いても同じくらいのところにある、東京都水道歴史館にいくと江戸の水道の遺物が見られる。


これが江戸の先進技術、上水井戸だ!

加熱も殺菌もしていないナチュラルミネラルウォーターだからね、よくも悪くも。カルキの臭いが
することは絶対なかっただろう。維持費用それなりにかかったと思うけど、おそらく水道料金は
無料だったんじゃないかな?


「21世紀のほうが暗黒時代よね~、奥さん!」


関連記事: 芝・高輪 
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フランス

2012-02-04 | Weblog
SDカードを整理してたら、フランスの写真が何枚か出てきた。これはブルターニュの町の広場に
きていた移動遊園地のメリーゴーランドだと思う。町の名前は忘れた。2005年の夏だと思うから、
手帳を見ればわかるだろうし簡単な日記もつけてるかもしれない。でも探さない。


これはロワールのブドウ畑に立ってるところ

サンダル履きでフランスに出かけたことがわかる。吸汗速乾のアディダスの機能性ウェア着てる。
いつもアンダーアーマーなのに珍しい。舟形ショルダーを肩にかけ、トライアスロン用のウォッチを
左腕につけてる。しかし、運動の「う」の字もフランスでしなかったはず。ただ単にラクチンだから
軽装でほっつき歩いている証拠写真。いまの散歩スタイルと変わらない。


これは当時4歳の娘が地元の子供と遊んでる

言葉がまったく通じなくても、子供どうしは「待てー!」とか強引に意志の疎通をとって遊ぶことが
できるというのは驚きだった。大人はどうしてそれができないんだろう。


関連記事: ぶどう寺 (ロワールと甲州のブドウ畑を見比べよう)
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