羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世を表すとされる出羽三山では、修験者が「三関三渡の行」と称する
生まれ変わりの旅をする……と本物の山伏(≒修験者)が地図を指しながら話した。羽黒山を開いた蜂子皇子
(はちこのおうじ)は飛鳥時代の皇族で、父の崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されたので自分の身が危ないと思い、
はるばる飛鳥から出羽まで船で逃げてきた。ずいぶん遠くまで逃げたもので、よほど蘇我馬子が怖かったのだ。
蜂子皇子が船旅をしていると、八人の美女が手招きするので上陸した。そこへ三本足のカラスが出てきて
蜂子皇子を山へ導き、皇子はその山で修験道の修行をすることにした。羽の黒いカラスに案内されたから
羽黒山。物部と蘇我の神仏争いに巻き込まれて飛鳥を逃れた蜂子皇子は修行によって超常的なパワーを
身につけ、古修験道の開祖となった。山伏はみな蜂子皇子の流れを汲んでいる。
杖で指し示す石畳にお猪口らしき線刻が。隋神門から羽黒山頂まで二千数百段の石段に三十三の彫刻が
あり、すべて見つけると願いがかなう。そんなこといわれても薄れて消えかけてるから見つからないし願いも
とくにない。蜂子皇子は仏教に帰依する蘇我馬子より強大なパワーを得たかったのか、修験道は山岳信仰
と仏教が結びついた神仏習合の道……明治まではそれでよかった。
川にかかる赤い橋を白装束の人が渡るのを後ろから見てると、三途の川を渡って生まれ変わる人のようだ。
きっとそういうことなんだろう。
西の「お伊勢まいり」と対になり「東の奥まいり」と称された出羽三山には江戸時代、じつにおびただしい
お堂やお社があった。しかし、出羽には滝がなかった。そこで「西になど負けるもんか」と対抗心を燃やし、
月山から水を引いてきて羽黒山に人口の滝をこしらえた。それがこの須賀の滝。
おびただしいお堂やお社は、明治政府の神仏分離令……廃仏毀釈でたくさん壊されてしまった。しかし、
平将門が創建したという白木造りの五重塔は、崇りを畏れて破壊されずに済んだ。蜂子皇子に平将門。
中央がひどいめに遭わせた人物というか神というか、そういうものに縁のある山だ。
明治維新から150年を迎えた昨年、五重塔の内部が150年ぶりに特別拝観されて大好評だったので、
今年も夏季に特別拝観が催されている。来年はどうかわからない。せっかくだからお祓いを受けて拝観。
京都の東寺の五重塔の内部と同じように、仏像で立体曼荼羅が組まれているかなと思って中に入ったら、
それらは廃仏毀釈のときに隠されて秘仏となり、五重塔の中には神道の祭器が配置されていた。
そうか、廃仏毀釈をきっかけに秘仏になることもあるのか。この夏は鈴鹿の林光寺の秘仏とか、四日市の
竹成大日堂の秘仏とか、なにやら秘仏づいてるけど秘仏はだいたい撮影禁止だからブログ書く気しない。
そういえばこの石仏に頭がないのも、もしかしたら廃仏毀釈で首狩りに遭ったのかも。
414mの羽黒山頂に登ると、蜂子皇子の墓があった。蘇我馬子から逃げてきて、この地で古修験道の
開祖になり、この地で死んで葬られた。修験者は羽黒山と並び月山と湯殿山も開いて修行の地とした。
1984mの月山と1504mの湯殿山は冬季に大雪で閉ざされてしまうので、年間を通じてお参りできる
手前の羽黒山に三社を合祀した神社がある。
そのわきで三山の秘仏が公開されていたから、せっかくなので拝観。いまは冬季ではなく夏季なので、
月山と湯殿山にも行ってみる。
山の天気は変わりやすい。五合目ぐらいまで晴れてるのに、そこから上だけ台風10号の連れてきた雲が
風といっしょに暴れてる。八合目の弥陀ヶ原なんて、涼しくて見晴らしがよくて快適だろうなと期待したのに
この通り。何も見えないし、寒いし、びしょびしょで気持ち悪い。
苦行でしかない。むしろ遭難かもしれない。こんな日に山頂に行ったら死ぬ。
八合目の中宮が見えてきた。急いでお参りして帰る。五合目から下はやっぱり晴れてる。なんなんだ一体。
月山は前世を表すと聞いたが、前世あんな荒れ模様?
来世を表すという奥宮の湯殿山は晴れていた。脚がいっぱいある、あのタイプの鳥居があったら神仏習合
と思っていいことに大体なってる。厳島神社とか。さて、湯殿山は「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた
神秘の世界で、そこで見たものを人に伝えてはならない。
現代ではさらに「撮るなかれ」「拡散するなかれ」という戒めも加わった(?)から、あの丸出しのご神体の
ことは書けない。どうしても見たければ、Googleとかで画像検索してみると大体わかる。あそこから来世に
生まれ変わるということだろうか? お祓いを受けて裸足で歩き回った。
松尾芭蕉は奥の細道で出羽三山を訪ねて、湯殿山にも登り、たぶん同じものを見たが「語るなかれ」で
何も語らず、句だけ詠んでる。羽黒山に句碑があった。暗号のような漢字書き。
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
上の写真は「かたられぬ」、つぎが「ゆどのにぬらす」、最後が「たもとかな」
生まれ変わりの旅をする……と本物の山伏(≒修験者)が地図を指しながら話した。羽黒山を開いた蜂子皇子
(はちこのおうじ)は飛鳥時代の皇族で、父の崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されたので自分の身が危ないと思い、
はるばる飛鳥から出羽まで船で逃げてきた。ずいぶん遠くまで逃げたもので、よほど蘇我馬子が怖かったのだ。
蜂子皇子が船旅をしていると、八人の美女が手招きするので上陸した。そこへ三本足のカラスが出てきて
蜂子皇子を山へ導き、皇子はその山で修験道の修行をすることにした。羽の黒いカラスに案内されたから
羽黒山。物部と蘇我の神仏争いに巻き込まれて飛鳥を逃れた蜂子皇子は修行によって超常的なパワーを
身につけ、古修験道の開祖となった。山伏はみな蜂子皇子の流れを汲んでいる。
杖で指し示す石畳にお猪口らしき線刻が。隋神門から羽黒山頂まで二千数百段の石段に三十三の彫刻が
あり、すべて見つけると願いがかなう。そんなこといわれても薄れて消えかけてるから見つからないし願いも
とくにない。蜂子皇子は仏教に帰依する蘇我馬子より強大なパワーを得たかったのか、修験道は山岳信仰
と仏教が結びついた神仏習合の道……明治まではそれでよかった。
川にかかる赤い橋を白装束の人が渡るのを後ろから見てると、三途の川を渡って生まれ変わる人のようだ。
きっとそういうことなんだろう。
西の「お伊勢まいり」と対になり「東の奥まいり」と称された出羽三山には江戸時代、じつにおびただしい
お堂やお社があった。しかし、出羽には滝がなかった。そこで「西になど負けるもんか」と対抗心を燃やし、
月山から水を引いてきて羽黒山に人口の滝をこしらえた。それがこの須賀の滝。
おびただしいお堂やお社は、明治政府の神仏分離令……廃仏毀釈でたくさん壊されてしまった。しかし、
平将門が創建したという白木造りの五重塔は、崇りを畏れて破壊されずに済んだ。蜂子皇子に平将門。
中央がひどいめに遭わせた人物というか神というか、そういうものに縁のある山だ。
明治維新から150年を迎えた昨年、五重塔の内部が150年ぶりに特別拝観されて大好評だったので、
今年も夏季に特別拝観が催されている。来年はどうかわからない。せっかくだからお祓いを受けて拝観。
京都の東寺の五重塔の内部と同じように、仏像で立体曼荼羅が組まれているかなと思って中に入ったら、
それらは廃仏毀釈のときに隠されて秘仏となり、五重塔の中には神道の祭器が配置されていた。
そうか、廃仏毀釈をきっかけに秘仏になることもあるのか。この夏は鈴鹿の林光寺の秘仏とか、四日市の
竹成大日堂の秘仏とか、なにやら秘仏づいてるけど秘仏はだいたい撮影禁止だからブログ書く気しない。
そういえばこの石仏に頭がないのも、もしかしたら廃仏毀釈で首狩りに遭ったのかも。
414mの羽黒山頂に登ると、蜂子皇子の墓があった。蘇我馬子から逃げてきて、この地で古修験道の
開祖になり、この地で死んで葬られた。修験者は羽黒山と並び月山と湯殿山も開いて修行の地とした。
1984mの月山と1504mの湯殿山は冬季に大雪で閉ざされてしまうので、年間を通じてお参りできる
手前の羽黒山に三社を合祀した神社がある。
そのわきで三山の秘仏が公開されていたから、せっかくなので拝観。いまは冬季ではなく夏季なので、
月山と湯殿山にも行ってみる。
山の天気は変わりやすい。五合目ぐらいまで晴れてるのに、そこから上だけ台風10号の連れてきた雲が
風といっしょに暴れてる。八合目の弥陀ヶ原なんて、涼しくて見晴らしがよくて快適だろうなと期待したのに
この通り。何も見えないし、寒いし、びしょびしょで気持ち悪い。
苦行でしかない。むしろ遭難かもしれない。こんな日に山頂に行ったら死ぬ。
八合目の中宮が見えてきた。急いでお参りして帰る。五合目から下はやっぱり晴れてる。なんなんだ一体。
月山は前世を表すと聞いたが、前世あんな荒れ模様?
来世を表すという奥宮の湯殿山は晴れていた。脚がいっぱいある、あのタイプの鳥居があったら神仏習合
と思っていいことに大体なってる。厳島神社とか。さて、湯殿山は「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた
神秘の世界で、そこで見たものを人に伝えてはならない。
現代ではさらに「撮るなかれ」「拡散するなかれ」という戒めも加わった(?)から、あの丸出しのご神体の
ことは書けない。どうしても見たければ、Googleとかで画像検索してみると大体わかる。あそこから来世に
生まれ変わるということだろうか? お祓いを受けて裸足で歩き回った。
松尾芭蕉は奥の細道で出羽三山を訪ねて、湯殿山にも登り、たぶん同じものを見たが「語るなかれ」で
何も語らず、句だけ詠んでる。羽黒山に句碑があった。暗号のような漢字書き。
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
上の写真は「かたられぬ」、つぎが「ゆどのにぬらす」、最後が「たもとかな」