散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

羽賀寺

2011-06-30 | Weblog
いつまで、福井のお寺ばかり回っているかって? 心外だなあ、お寺だけじゃないよ。
ひとやすみして水分補給するために、土間を利用したカフェに入ったりもするさ。


外側から見るとこういう感じ

小浜には、重要伝統的建造物群保存地区があって、古い町並みを修繕しながら残している。
お寺を回るのに飽きたら、そのへんぶらぶらしても楽しい。


町並み保存資料館

おじいさんが実際に住んでいて、このときはラジオを聞いていた。丹後街道に面した家で、
丹後街道をちょっと歩くと、鯖街道につながっている。

もうひとつだけ、お寺を見たら小浜を離れることにした。歩いて行ける場所じゃないので、
駅前からタクシーに乗った。


羽賀寺

716年創建だそうで、元正天皇の勅願で行基が開山したというのは、本当なんだろうか?
この道を左に上っていくと、1447年に奥州十三湊日ノ本将軍に再建された本堂がある。


重要文化財だらけ

本尊の十一面観世音菩薩は女帝元正天皇の等身像と伝えられていて、最近まで秘仏だった
せいか彩色が鮮やかに残っている。なんかファン心理みたいなものを見せつけられたような、
千年を越える時の流れと人の思いに気が遠くなるような。他に誰もいないし。

お寺に酔ったので人に頼んでタクシーを呼んでもらい、駅まで戻って電車に乗った。
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常高寺

2011-06-27 | Weblog
小浜市がいまオバマ氏よりもプッシュしている、戦国三姉妹のポスターが町のそこかしこに
貼ってある。NHKの大河ドラマ『江』のヒロイン、お江……じゃないよね。上野樹里ではなく
水川あさみが笑顔で写ってるということは、お江の姉で浅井三姉妹の次女、お初だよ。


お初が眠る常高寺

宮沢りえが茶々、水川あさみが初、上野樹里が江ですね。織田信長が豊川悦司で、その妹の
市が鈴木保奈美で、時任三郎の演じる浅井長政と市のあいだに生まれた三姉妹がそれぞれ、
上から順に豊臣秀吉、京極高次(小浜藩主)、徳川秀忠に嫁ぐわけ。


ややこしいな、もう

いつかは、みんなくたばるさ……じゃなかった。いつのまにか、信長も秀吉も家康もみんな
親戚どうし、滅びた浅井の血を受け継いだ家と家が血で血を洗う戦をしたのさ。


しあわせの道?

初はキリスト教の洗礼を受けていて、常高寺所蔵の初自筆書状に「金剛の正体と帝釈天とは
同じことだと思っていましたが、別なのでしょうか。詳しく教えてください」と記されているそうで、
ものごとを深く考える人だったっぽい。


これが初のお墓

徳川の世になってから、江の姉として江戸城に出入りして、秀忠や家光に大阪の陣のことを
「半ば恨み、半ば欣ぶ」と述懐したという話もある。いっぱい親族が死んだんだもん、100%
恨んでもいいくらいだけど、妹の夫や子が将軍で平和が保たれるなら半ば欣ぶかも。


真向かいに7人の侍女のお墓

向かって右から、祖旭(そせん)、ちやほ、新大夫、小少将、たき、しも、楊林(ようりん)。
ひとつ多く見えるけど、小少将が筆頭侍女だそうだから真ん中の大きな墓に違いない。
右端は何か別の墓なんだろう。


ぐるりと墓が取り囲む

それにしても墓がよく出るブログだなあ。常高寺は平成13年(2001年)に再興したお寺で、
それまで墓地はあるけど本堂その他は荒れ果てていたみたい。20世紀は不遇の時代で
ようやく21世紀に再興し、今年にわかに大河ドラマで脚光を浴びた。


おいしい滝の水

山門を出て右の方に小さい祠があって、滝の水が飲める。初のお墓が意外に山の上で、
んもう喉がカラカラだったから有難いこと有難いこと。


飲めば頭が良くなるとか

お初もやっぱり飲んだんでしょうな。ペットボトルに水を詰めにくる人も、ちらほらいた。
「この滝の水源はどこにあるのか。誰も知らない」って掲げられていた。

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小浜

2011-06-26 | Weblog
小浜といえば、まず思い出すのはアメリカ大統領選挙のとき、オバマ候補を応援したこと。
いまでも街角にオバマ像が建っている。


商店街もオバマ、オバマ

聞くところによると来年またアメリカで大統領選挙があるとか、ないとか。小浜はオバマを
やはり推薦するのだろうか? そんな権利ないか。


ちりとてちん

町おこしに熱心なところで、「ちりとてちん」のロケ地を案内する立て札や地図があちこちに
用意されている。貫地谷しほり主演のNHKの朝ドラね。


………金品を要求?

ここでどんなシーンが撮られたのか、「ちりとてちん」をまったくみたことがないもんだから
全然イメージできないけれど、海はきれいだ。


でも、なんで人魚?

それにはわけがあるみたい。奈良の都もないころに、この地で「人魚の肉」を食べた娘が
16歳の若々しさのまま年老いることもなくなって……。


高橋留美子のマンガを思い出すね

120歳のとき出家して、比丘尼の姿で諸国を巡り歩いたけど、生まれ故郷の小浜に戻ってきて
800歳で洞穴に入って死んだ。


その穴がこちらです

古い寺の多い町は古い言い伝えもあるね。小浜は歩き甲斐あるよ。そういえば、商店街には
さば街道の起点というのも。


京は遠ても十八里

つまり、京は近いと。さば街道をエイヤッと運んで京の都にさばを送り届けたから、あんなに
さば寿司が有名なのね、京都で。


商店街も鯖街道、鯖街道

やっぱり町おこしに熱心なところ。起点のそばの鯖街道資料館には、京まで峠を越えていく
ルートマップがあったけど、それなりに大変そう。


トレイルランニング……


こんな装備で山走り

小浜がいま町おこしの目玉にしているのは、オバマ大統領でもなければ「ちりとてちん」でも
八百比丘尼でも鯖街道でもなく、大河ドラマの「江」に出てくる姉の「初」だ。


水川あさみ演じる初姫

浅井長政とお市の次女・お初の菩提寺が小浜にあって、お初ゆかりの品々が展示されており、
お初の墓参りができるということで……「常高寺」につづく。
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国分寺

2011-06-19 | Weblog
奈良時代、全国に国分寺と国分尼寺がつくられたって歴史の授業で習ったとき、それらは
いったいどうなったのか不思議だったんだけど、荒れ果てて跡形もなく消えたんだろうね。

たとえば、東京にも国分寺という地名が残っているけど、国分寺の建物はどこにもない。
東京の国分寺を訪ねると敷地の跡に石が転がっているだけで、そこに国分寺があった
ことを想像するのは、よほど物好きでないと無理。


ところが、若狭の国は違う!

東小浜駅の近くに、国分寺がちゃんと建っている。「全国にこんなのがあったのか~!」
と誰でもイメージできる佇まいで、東京の国分寺もこんな感じだったのかな?


あっちは薬師堂

なんて思いながらレンタサイクルを降りると、幼稚園児をつれたお母さんが国分寺に
入っていく。昭和47年から49年の発掘調査で、寺域218m四方を擁する国分寺であると
確認された……なんて解説を読んでみたり。


いわれてみれば四角い

現在の釈迦堂(国分寺の看板を掲げた建物)をひとまわり大きくした金堂を初めとして、
塔や講堂や回廊、南大門、中門、参道などもあったが、戦国時代に焼けたと。

あと、誰の墓なのか直径45mの円墳が寺域にあり、若狭姫神社ということになっていて、
江戸時代にお寺が再建されるまでそっちの方が目立ってたんじゃないかと思う。


中に入ってみると……

さっきのお母さんが、拝観料と引き換えに小さいパンフを渡してくれて、釈迦堂と薬師堂
を案内してくれた。釈迦堂(金堂)の屋根は元々、写真の地面の溝のとこまで伸びていて、
建物全体の規模もそれに応じて大きかった話とか、あっちには国分尼寺があったとか、
聖武天皇の詔勅により正式名称を「金光明四天王護国之寺」と定められ……

……普通の主婦の話し方をしていたお母さんが、説明するときだけ急に改まった口調に
なるの、団体さんが相手なら多分しっくりくるんだろうけど、マンツーマンで聞く場合には
どう対応していいものやら。(黙って聞いて、ハァとかホォとか相槌うったけど)


中門跡

「ゆっくりお参りください」と、お堂に残されたあとも外で様子を伺っているのがわかる
から、そんなにゆっくりはできない。けど、すぐに出るのも何だし、頃合いが難しい。

一通り拝観したので、またレンタサイクルをギシギシいわせて国分寺をあとにした。
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明通寺

2011-06-16 | Weblog
ひきつづきレンタサイクルをギシギシいわせて寺を回る。神宮寺から東小浜のほうへ下り、
松永トンネルをくぐって、松永川に沿って上ると「ひとやすみ」の銅像が。


そうだね(ゼエゼエ)

トンネルを抜けたところにあった自動販売機(オアシス)でペットボトルの緑茶を入手したから、
ひとやすみして喉を潤し、またママチャリをギシギシいわせる。


けっこう遠かった…

小浜には古いお寺がいっぱいある。都のあったところよりも、保存がいいんじゃなかろうか?
都といっても京だけじゃなくて、奈良の都のころからだからね。


すごいよなー

806年に坂上田村麻呂が創建したんだって。征夷大将軍として蝦夷の住む地を攻めた後かな。
京都の清水寺にも坂上田村麻呂は縁があるそうだけど、あっちは江戸時代の再建。こっちは
鎌倉時代だからね。


急だな…

都のお寺はほとんど江戸時代になって再建されたもので、昭和になってからのも結構ある。
それを考えると小浜はすごいよ。応仁の乱より前の建物に、奈良・平安の仏像だもん。


燈籠にミニだるま

おみくじがだるまさんで、枝に結びつける代わりに置いてあるみたい。上ってきたところを
振り返ると、こんな感じ。


(ゼエゼエ)

本堂に入ると、NHKかなんかのディレクターみたいな感じのカツラーのおじさんがいて、
お坊さんにやたらと質問していたよ。ぴたっとくっついてお坊さんの解説に耳を傾けつつ
薬師如来坐像とか坂上田村麻呂の像とか拝んだ。


三重塔

塔はケータイ(本当はPHS)のカメラじゃ、うまく写せないね。いろいろやってみたけど、
これがいちばんまし。


桧皮の森

本堂も三重塔も桧皮葺の屋根だから、葺き替えて修繕するため桧皮の森に囲まれている。
立て看板にそう書いてあった。


たぬき
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若狭神宮寺

2011-06-12 | Weblog
福井県の小浜市まで、東京から行くには電車で5時間ぐらいかかる。駅でレンタサイクルを
借りて、ギシギシいうのも構わずに漕ぎだす。


かすれてるけど…

東小浜から若狭神宮寺までは一本道だから、迷いっこない。ずう~っと上り坂で、両腿を
だるぅ~くしながらママチャリをギシギシ漕いでいく。水を買っておけばよかった。


でも田んぼしかない

途中に自動販売機ぐらいあるだろうと思ったけど、ぜんぜんなかった。そのうち、目的地に
ついた。喉かわいた。


若狭神宮寺

大陸や半島に近いから、若狭は白鳳以前からひらけた土地だったそうな。奥にある門を
正面から見ると、こう。


仁王門

門をくぐると、向こうの丘まで一本道になっている。ゆるい傾斜になっていて、せせらぐ
水の音がきこえる。喉かわいた。


神社みたいな寺だな…

あの山がご神体だったんだろうけど、そのうち仏教が盛んになって、お寺になったのかな。
神宮寺っていうくらいだから。


砂利道になって丘を登る

水のせせらぐ音をずっと耳にしながら歩く。寺についたら、手水で口をすすいで喉を潤すんだ。


本堂

注連縄あるし、紙垂ついてるし、やっぱり神社みたいだな…。奈良の東大寺の二月堂にある
若狭井で「御水取り」の行事をやるころ、その水源があるという若狭神宮寺で「御水送り」の
行事が行われるそうな。


そのときの護摩壇(焚火)のあと


そして件の井戸は…


こんな井戸です

大陸や半島からの文物と同じように、ここで取った水は若狭街道を通って奈良へ送られる
のかと思ったら、お寺の説明書きには「地下水脈を通して奈良へ送る」と書いてあった。


なんですと!

ものすごいパワーじゃないの、それ。腰が抜けたので、本堂に座って古い仏さんを眺め、
よっこいしょっと重い腰を上げて自転車のあるところまで戻った。このあとも引き続き、
レンタサイクルで若狭のお寺めぐりを続けるんだ。


じゃあね!
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サンタモニカ

2011-06-08 | Weblog
3泊5日の出張で、機内泊して帰る前の晩、ロサンゼルス空港の近くに泊まったほうが
便利だからということでサンタモニカで1泊した。

それまで3日間、ずっと通いつめた会社は丘の上にあったので、従業員や関係者以外の
人と会う機会がなかったし・・・・・・


会うのは従業員ばかり

そこから近いヨットハーバーの町に宿泊していると、会う人みんなリタイアしたお金持ち。
というわけで、雑踏に紛れて歩き回ることがなかったもんだから・・・・・・


会うのは熟年ばかり

聞いたことある町についてダウンタウンを散歩したら、じつに多種多様な人が歩いていて
ホッとしたというか何というか。


普通の人がいっぱい往来してる!

サンタモニカにくることなんて一生ないと思っていたけど、足まかせに歩く時間ができて
せっかくだから徘徊してみる。


江の島みたい

地元で配ってる観光地図には「世界で十指に入るビーチ」って英語で堂々と書いてある。
予備知識がなくて、サンタモニカといったら桜田淳子がうたう「サンタモニカの風」ばかり
脳内で無限ループするのを止めることもできない。


ビーチにクルマびっしり

来て来て来て来てサンタモニカ~、来て来て来て来てサンタモニカ~、サンタモニカから~
愛を込めて~風の言葉を送ります~♪ (五十億回くりかえす)


雑踏は人に無関心だから落ち着く

アメリカを横断する幹線道路で、ポピュラー音楽のタイトルにもなっている「ルート66」は
ここの海岸が終点らしい。西海岸だし、ありそうなことではある。


終点の看板

世界の果てまで辿り着いてしまった。桜田淳子が愛を込めて送る、風の言葉に誘われて
はるばる来たみたいに歌声が脳内でエンドレス再生されるのを、なんとかしようとしたら
曲が「気まぐれヴィーナス」に変わってしまった。


回る回る

去年のトマトは青くて固かったわ~、だけどいかが、もう今年は赤いでしょ? 味もきっと
くちびるとろかすはずよ~♪ こんな言葉~突然いわれたら~♪ あなたはどうしますか?
プピルピププピルAh・・・・・・


なにをしにきたんだっけ?

夕方の風が冷たく身にしみてきたので、うろ覚えの「気まぐれヴィーナス」を口ずさみながら
世界で十指に入るビーチを後にした。

気まぐれヴィーナスが素肌を熱くして
この夏はおまかせなの・・・

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