柏と大宮、柏と船橋が東武線で1本につながっているのを見つけ
常磐線で帰るのをやめた。そんなわけで寄って参りました、船橋。
ここにある灯明台は、明治13年に点灯された擬西洋建築だ。木造
瓦屋根の3階建て。
船橋大神宮の小高い場所で常夜灯として、漁区の境界を見分ける
起点の役割を果たすべく建てられた。江戸の昔は篝火を焚く台が
あったのだが、明治に戊辰戦争で焼けてしまったので、洋式灯台
として地元の民が建てた。
この船橋大神宮は、旧幕軍が官軍に抵抗して本陣を構えたところ
で、江戸開城をよしとしない流浪の兵が集まって官軍の先鋒隊と
激突した。そのとき漁師が目印とする篝火の設備が炎上したので
あらためて西洋っぽい灯明台を木材と瓦で作った。
官軍からは賊軍と呼ばれ、自らは義軍と称した旧幕軍は約300名。
みんなで集まれそうな場所といったら、神社ぐらいしかなかった。
隊長の江原素六は福岡藩士小室弥四郎に組み伏せられたが味方に
助けられ、明治政府に出仕して麻布中学校長になったとか。
小室弥四郎のほうはその後、ほどなく討死したという。旧幕軍の
残党の中には会津や宮城、箱館に敗走しながら転戦した者もいた。
そんな船橋からは京成線に乗って帰った。
関連記事: 流山
常磐線で帰るのをやめた。そんなわけで寄って参りました、船橋。
ここにある灯明台は、明治13年に点灯された擬西洋建築だ。木造
瓦屋根の3階建て。
船橋大神宮の小高い場所で常夜灯として、漁区の境界を見分ける
起点の役割を果たすべく建てられた。江戸の昔は篝火を焚く台が
あったのだが、明治に戊辰戦争で焼けてしまったので、洋式灯台
として地元の民が建てた。
この船橋大神宮は、旧幕軍が官軍に抵抗して本陣を構えたところ
で、江戸開城をよしとしない流浪の兵が集まって官軍の先鋒隊と
激突した。そのとき漁師が目印とする篝火の設備が炎上したので
あらためて西洋っぽい灯明台を木材と瓦で作った。
官軍からは賊軍と呼ばれ、自らは義軍と称した旧幕軍は約300名。
みんなで集まれそうな場所といったら、神社ぐらいしかなかった。
隊長の江原素六は福岡藩士小室弥四郎に組み伏せられたが味方に
助けられ、明治政府に出仕して麻布中学校長になったとか。
小室弥四郎のほうはその後、ほどなく討死したという。旧幕軍の
残党の中には会津や宮城、箱館に敗走しながら転戦した者もいた。
そんな船橋からは京成線に乗って帰った。
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