高崎駅のタクシーのりばで、運転手さんが知ってるかどうか確かめてから乗ろうと思って聞いてみた。
「洞窟観音に行きたいんですけど」
「ああ、洞窟観音ね。今日は暑いから、あそこは涼しくていいよ」
タクシーに乗る。10分ぐらい走ると着いた。
大正から昭和にかけて、高崎田町の呉服商として財をなした山田徳蔵が、高崎の観光振興のため特に
外国人を誘致しようとツルハシで山肌を掘削した。鍾乳洞でもなんでもないところを、重機を使わないで
400mも掘り進み、浅間山から信越線で運び下ろした膨大な量の溶岩と、新潟出身の高橋楽山という
石彫師が生涯をかけてつくった三十三体の観音像で飾りつけた洞窟だ。
800円の入場料を払って中に入る。洞窟の中は通年17℃ぐらいに自然に保たれているから、35℃を
超える猛暑日に中に入ると涼しいのではないかと、わざわざやってきた。
入口からすでに冷んやりしている。見たところ外国人はひとりも誘致されてない(タイミングによるのか)
けれども、日本人はチラホラ訪ねてきている。入場券よれば大正8年、入場券売場の前の立て看板に
よれば大正7年に掘り始められた洞窟は、昭和39年に山田徳蔵が88歳の生涯を閉じるまで工事が
進められたそうだ。とても涼しい。横穴に観音像がありそう。
こんな感じで石像が安置されている。金網があるせいか、捕われているように見えなくもない。入口から
奥に進むにつれて、観音の表情に深みが増すという。それにしても涼しい。
先をゆく人たちが霞んで見える。冷んやりしているだけでなく、湿気もそれなりにあるようだ。歩くにつれて、
左右の横穴の観音と対面するようになってる。
景色がよいのに心をひかれて観音山(この山の名前)を選んだ山田徳蔵だが、人夫を毎日毎日集めるのが
大変で、夫婦2人でツルハシを持って掘り進んだこともあった。ツルハシで掘った石をひとつひとつ、下の谷
まで運ぶのがまた一苦労だった。そのおかげで今とても涼しい。
これが浅間山の溶岩で飾った観音の世界か……。
ほんとは800m掘りたかったそうだけど、昭和39年に山田徳蔵がこの世を去ったときには約50年がかりで
400mの洞窟ができていた。工事はそこで中断されて、いまある観音洞窟になったという話だけど、歩いて
みると400mでちょうどよかった。寒からず、遠すぎず。
そろそろいいかなと思うころ、出口が見えてきた。ここは群馬だけど、栃木でも茨城でも洞窟に入ったことある。
北関東、洞窟だらけ。猛暑になると、つい逃げ込みたくなる。
外はあいかわらず暑い。庭園を見物して、公道まで下りていく。そこでバスを待とうと思って停留所で時刻表
を見ると、バスがくるまで30分ある。じっと立ってるのも何だから、山頂まで歩いてみた。
観音像が見えてきた。高崎の名物の巨大な観音、この山だったのか。昭和11年の建立らしいから、洞窟の
ほうが先に着手されている。せっかくだから近くまで歩いて行って見物。
観音洞窟で涼んだ効果が消えて、すっかり汗だくになってしまった。高崎の人は観音とかダルマとか好きね。
山頂で待ってるとバスがきたので、それに乗って市街地に戻った。
関連記事: 地下採掘場 (宇都宮の洞窟)
「洞窟観音に行きたいんですけど」
「ああ、洞窟観音ね。今日は暑いから、あそこは涼しくていいよ」
タクシーに乗る。10分ぐらい走ると着いた。
大正から昭和にかけて、高崎田町の呉服商として財をなした山田徳蔵が、高崎の観光振興のため特に
外国人を誘致しようとツルハシで山肌を掘削した。鍾乳洞でもなんでもないところを、重機を使わないで
400mも掘り進み、浅間山から信越線で運び下ろした膨大な量の溶岩と、新潟出身の高橋楽山という
石彫師が生涯をかけてつくった三十三体の観音像で飾りつけた洞窟だ。
800円の入場料を払って中に入る。洞窟の中は通年17℃ぐらいに自然に保たれているから、35℃を
超える猛暑日に中に入ると涼しいのではないかと、わざわざやってきた。
入口からすでに冷んやりしている。見たところ外国人はひとりも誘致されてない(タイミングによるのか)
けれども、日本人はチラホラ訪ねてきている。入場券よれば大正8年、入場券売場の前の立て看板に
よれば大正7年に掘り始められた洞窟は、昭和39年に山田徳蔵が88歳の生涯を閉じるまで工事が
進められたそうだ。とても涼しい。横穴に観音像がありそう。
こんな感じで石像が安置されている。金網があるせいか、捕われているように見えなくもない。入口から
奥に進むにつれて、観音の表情に深みが増すという。それにしても涼しい。
先をゆく人たちが霞んで見える。冷んやりしているだけでなく、湿気もそれなりにあるようだ。歩くにつれて、
左右の横穴の観音と対面するようになってる。
景色がよいのに心をひかれて観音山(この山の名前)を選んだ山田徳蔵だが、人夫を毎日毎日集めるのが
大変で、夫婦2人でツルハシを持って掘り進んだこともあった。ツルハシで掘った石をひとつひとつ、下の谷
まで運ぶのがまた一苦労だった。そのおかげで今とても涼しい。
これが浅間山の溶岩で飾った観音の世界か……。
ほんとは800m掘りたかったそうだけど、昭和39年に山田徳蔵がこの世を去ったときには約50年がかりで
400mの洞窟ができていた。工事はそこで中断されて、いまある観音洞窟になったという話だけど、歩いて
みると400mでちょうどよかった。寒からず、遠すぎず。
そろそろいいかなと思うころ、出口が見えてきた。ここは群馬だけど、栃木でも茨城でも洞窟に入ったことある。
北関東、洞窟だらけ。猛暑になると、つい逃げ込みたくなる。
外はあいかわらず暑い。庭園を見物して、公道まで下りていく。そこでバスを待とうと思って停留所で時刻表
を見ると、バスがくるまで30分ある。じっと立ってるのも何だから、山頂まで歩いてみた。
観音像が見えてきた。高崎の名物の巨大な観音、この山だったのか。昭和11年の建立らしいから、洞窟の
ほうが先に着手されている。せっかくだから近くまで歩いて行って見物。
観音洞窟で涼んだ効果が消えて、すっかり汗だくになってしまった。高崎の人は観音とかダルマとか好きね。
山頂で待ってるとバスがきたので、それに乗って市街地に戻った。
関連記事: 地下採掘場 (宇都宮の洞窟)