散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

東大寺

2012-03-25 | Weblog
修学旅行って意味あるのかな? というのは、奈良にも京都にも修学旅行できたことあるのに、
どこに何があってどういうものか曲がりなりにも理解できるのって、あらためて足を運んでからに
すぎないような気がするから。


興味ないとき見てもムダなんじゃないの?

ぼくなど親に手を引かれて幼い頃から京都や奈良を見て回ったのに、やはり自分で訪ねないと
位置関係からして頭に入らない。東大寺も春日大社も興福寺も薬師寺も唐招提寺も法隆寺も
行ったことあるし、断片的な記憶もあるけど、ものごころつくまで(要するにごく最近まで……)
どこにあるのかさっぱりわからなかった。


あれが東大寺の南大門か

三十路を過ぎて何度も足を運んだから、京都はだいたいわかる。飛鳥や斑鳩も歩き回ったから、
およそ頭に入ってる。奈良は意外とわからない。おととし、遷都1300年といって盛り上っていた
ときは混雑してるだろうと思って寄り付かなかったが、そろそろいいだろう。


というわけで奈良再訪

大仏殿とか、30年ぶりぐらいかも。前回は中学の修学旅行で、その前は小学生時代……かな。
奈良公園のなかに主な見どころが集まっているなんて、大人になって近くを通っても、まったく
気づかなかった。なんだよ、わかりやすいじゃん。


覚えてないなあ……

大仏殿の入口の脇に、びんずるそんじゃの木像があるなんて、ぜんぜん知らないよ。近隣の
諸外国からきた人たちが、なでなでしてる。そこだけ、つやつやしてる。


でっかい……のか?

奈良の大仏、写真を撮っても構わないのは大らかなこと。しかし、もっと大きなのを見たことが
あるような気がする。北京のラマ教寺院のマイトレーヤの立像(ギネスブックに載ってる)は
どもかくとして、千葉の鋸山日本寺の石仏これより大きかったと思う。


大きさがすべてじゃないのはわかっているけど……

1300年前は、すごい技術だったんでしょう。こういうものは海の向こうにもなかったわけだから、
聖武天皇かなり無理したと思う。しかし、あまり美しくないせいか感慨は乏しい。

正倉院でもしばいたろか……と思って、大仏殿の裏に回り込む。正倉院ってここにあったのね。
子供のとき見物したことあるけど、いまどうなってるんだろう?


……こうなっていた!

守衛さんに聞いたら、平成23年から平成26年まで正倉院は修復工事をやっていて、春と秋しか
見学できない。希望者はホームページで応募して、当選すれば春と秋のお彼岸の時期に見学が
できるという話だった。ちなみに、この春の倍率は4倍だったそうなので、地道に応募すれば
当たらないこともないかも。

しょうがないから、二月堂でもしばいたろか……と思って、公園のなかを歩く。ウォーキングの
ついでに旧跡を見る心の余裕があれば、奈良公園は楽しい。


あれが二月堂

福井の若狭神宮寺で「お水送り」した水を、二月堂にある若狭井で「お水取り」する。そんな謎の
行事が、毎年あそこで行われている。一体なにごと?


「お水取り」の松明の燃えさし


観音様に恥ずかしくない行動で、ご自由にお持ち帰り下さい


燃やす前の松明はこんな感じらしい

「お水送り」と「お水取り」の行事は由緒が古く、古すぎて、何のことやら現代人にはさっぱり
わけがわかりません。いかなる呪法をもってして、若狭と奈良で水をやりとりする?


二月堂はなにも答えてくれない


東大寺博物館も見ていく

平成23年10月10日~平成25年1月14日って、ずいぶん長い会期だなあ~! どうなってるの、
これ。トコトコ出てきて公園を歩くと、すぐ奈良国立博物館につく。


坂本コレクション

中国古代青銅器を集めた坂本コレクションは、一見の価値ある。こういうものは、北京に行っても
見ることができない。台湾に青銅器の立派なコレクションがあるけど、台湾に行くのはそれなりに
大変だから、奈良にきたら是非ここだけは見たほうがいいと思う。


大仏より鹿せんべいより先決!


関連記事: 若狭神宮寺 
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四天王寺

2012-03-24 | Weblog
奈良に3日ほどいて飽きたので、ちょっくら近鉄に乗って大阪に行くことにした。これが近鉄奈良駅。


古都の趣とかはない

30分から40分ほどガタゴト揺られて大阪市内へ。どこへ行きたいわけでもないので、行ったことない
四天王寺でもしばいたろか? 聖徳太子が創建した日本で一、二を争う古寺。


なんだこの駅、ご年配の方ばっかり……!

地下鉄の「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」で(たぶんここだろう)と思って下りると、おじいちゃんおばあちゃん
&その予備軍がいっぱい。これはまるで東京でいうところの巣鴨のような。


エスカレーターにもぎっしり

「おばあちゃんの原宿」と呼ばれた巣鴨のとげ抜き地蔵のようなありさま。そうか、聖徳太子ということで
もともとは官寺でも庶民信仰に支えられた場所なのか。


ごくふつうの町の中

地上に出ると都会っぽい。おじいちゃんおばあちゃんの流れて行くほうに一緒についていくと、やっぱり
巣鴨の商店街みたいになってる。


まちがいなく門前町

そのまま両脇の店を眺めながら歩いて行くと、やがて四天王寺の門が見えてくる。迷わずに辿り着いて
よかった、よかった。(地図もガイドブックもスマホも持ってないから)


はは~ん、ここやな?


お地蔵さんがいっぱい寄り集まっている

ちょうど春のお彼岸の時期だからか、いつもこんな感じなのか、境内に所狭しとばかり露天商が並んでる。
つい余計なものを買ってしまった。デニムに刺繍したサイケな小物。(仕事に使ってる)


いろいろなものが売られてますなあ……!


そうそう、のびのびタイツね……アミタイツ?


あと着物ね……いつどうやって着るんだろう?

こうして露天商を見て歩いてると、一体どのあたりが聖徳太子の創建した寺院なのか、よくわからなく
なってくるというか、だんだんそんなことどうでもよくなってくる……。


これじゃないだろうな、いくらなんでも。


なになに? 戦争や災害の犠牲者を祀る英霊堂、と。


まぁ、それにしても生きてる人たち楽しそう。


このへんだろうな、1400年前からの四天王寺


亀がひなたぼっこしてる


こっちにも亀がびっしり


重要文化財の石舞台には、鳩のみなさんが


北引導鐘堂にぞろぞろと、人のみなさんが


でた! 四天王寺の金堂と五重塔

さすが古い時代の配置になってる。この目で見たら納得した。それよりお彼岸だからと大勢の人が押しかける、
この現役ぶりがすごい。楽しくなってきたかも。


傘を商ってる露天商。忘れ物(や盗品)か?


だって、安すぎるから……
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大森貝塚

2012-03-03 | Weblog
あるとき南インドのカレーを食べに大森駅のホームに降り立つと、そこに「日本考古学発祥の地」
と刻んだ碑が立っているのを見た。

明治10年にモース博士が横浜から新橋に向かう列車の窓から、大森貝塚を発見したのを記念して
ホームにわざわざ碑を立てたらしい。手の込んだことを。日を改めて散歩しよう。


そして3月になって大森を再訪……。

大森は坂が多い。こうして歩くと山間の温泉に湯治にきたみたい。江戸時代このあたり八景坂と
いったそうで、江戸湾の海岸線にほど近い風光明媚な土地だったという。


それで坂になってるのか……。

海岸段丘というやつだろうか。土地が隆起したのか海岸が後退したのか、工事で埋め立てたのか
しらないけど、こういう場所だから貝塚が見つかったにちがいない。


この門の先の階段を下りると大森貝塚。

JR東海道本線・京浜東北線の線路スレスレのところまで階段を下りると、ポツンと石碑がある。
レール敷いてあるところも、昔はきっと海だったんだろう。


これが大森貝塚か……!

モース博士が見つけたときは、べつに貝殻が露出していたわけじゃなくて、たんなる丘を眺めてて
「あれ貝塚じゃね?」って、ひらめいたんじゃないかな。


これ土器じゃね? 石器じゃね? 人骨じゃね?

それにしても、学校で習うわりにポツンと石碑ひとつだけ……大田区の3大がっかりスポットに
認定しようかと思いながら八景坂のほうへ上ると、そこには!


「品川区にもあります」?

大森貝塚は品川区にもあります(300m先)って、まるで「目黒のさんま祭りは品川区にもあります」
みたいな言いっぷり。元祖と本家で争わないでね? 一澤帆布と一澤信三郎帆布のように。


バーン! 品川区の大森貝塚のほうが立派。


こっちにモース博士がいた!


子供たちが群がっている!

地層をモチーフにした品川区立大森貝塚遺跡庭園で、小さな子たちが右往左往して遊んでいる。
大人なのに右往左往して遊んでいるのは、このわたしぐらいなものさ。


掘ったらこんなだから、「やっぱ貝塚じゃね?」と。

ただ漫然と掘ったのでは、これが貝塚だなんて思いもしないにちがいない。「ここに貝塚がある」
と思って掘るから、貝塚が見つかるのだ。


本家も石碑つくった。

最初このあたりに住んだ人たちにとって、大田区も品川区もなかったろうから、2区にまたがって
貝塚があるのも当然といえば当然なこと。


むしろ貝塚だらけ!

この界隈だけじゃなくて、目黒駅の近くにも貝塚があるらしい。ということは、目黒のあたりも
昔は海辺だったわけで、「目黒のさんま」もあながち見当違いじゃないのか。



駅をはさんで線路の反対側に下りていくと、いかにも埋立地らしい平べったい地面が広がっている。
ある人がツイッターで大森の「丸一」(写真)のとんかつがおいしいよって教えてくれたので、お昼に
とんかつ食べて「日本考古学発祥の地」を後にするのだった。
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