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歩くことが唯一の趣味ですから。

井戸尻遺跡

2021-01-23 | Weblog
縄文人というと黒耀石のやじりを使った弓矢でケモノを獲って食べていたイメージが
あるけれど、いまの長野県や山梨県あたりの縄文人は動物より植物を多く食べていた
らしいことが井戸尻考古館の展示をみるとわかる。



こういう飛び道具を使うのが縄文人の賢いところで、旧石器時代の人と違う特徴だと
聞いていたから、さぞかし狩りに励んでいたかと思いきや、実際そうじゃなかった。
ちなみに縄文人は磨製石器を使うから、新石器時代の人らしい。



なぜ狩りばかりしてなかったかという物的証拠がこれ。黒耀石のやじりに似てるけど、
飛び道具にしては少し変だ。こんな形の武器は見たことがない。武器じゃなかったら
何なのか……ヒントは東南アジアの農具にあった。



爪鎌という、手作業で稲を刈りやすい形にととのえた農具に縄文人の石器が似ている。
農具をもって雑穀や堅果の取り入れをしていたのではないか。そうしたことを井戸尻の
展示は物語っていた。



磨製石器を使った農具が、鉄器の農具と同じように使われていた。新石器時代人は……
縄文人は定住して農耕に励んでいた。環状列石のようなものを作るきっかけも農耕だ。
そういわれると、そうかもしれない。



先っちょだけ見てると何に使うかわかりにくい石器も、こうして農具として並べると
なかなか便利そう。石器が進化したこと、それと土器で煮炊きして何でも食べられる
ようになったことが縄文文化を支えたという、



旧石器時代の人は鍋……もとい土器を使わなかったのだろうか。新石器時代の農具が
いまのと似てるように、土鍋で調理する縄文人の食事もいまと似てる。生活にゆとり
があったのか、装飾がいまよりも凝ってるくらいだ。



奈良・平安時代にも庶民はこういう家に住んでいたというし、囲炉裏なんて現代人も
あこがれるし、鍋がちょっと深すぎるのが現代とちがう。遊び心は縄文人のほうが、
もしかしたらあるかもしれない。



バリエーション豊かな土偶をみるにつけ、近頃のアートは型にはまっとるんでないの
と縄文人が首をかしげてもおかしくない。そんな気がしてる。



水煙土器にいたっては、実用性を考えるとやりすぎでないのと感じてしまうくらいに、
5000年かそこら前の人たちは遊び心が旺盛だ。貧富の差も身分の違いもない世の中で
宗教的なリーダーがいたわけでもないのに造形がすごい。



これが黒耀石。これを産する地域の縄文人、これを手に入れるネットワークを有する
縄文人にはアドバンテージがあった。せっせと磨製石器を作る一方で、切れ味のいい
農具や飛び道具を黒耀石で作ることができた。長野県の人にいわせると、縄文時代は
まちがいなく長野が日本の中心だった。



さらに作業台にちょうどいい扁平な岩がたくさん手に入ることも、長野を先進地域に
したと長野の人は誇る。平らな岩を見つけることが他の地域では困難で、探してみる
とわかるが黒耀石を加工したり磨製石器を仕上げるのに適した台座がなかなかない。
このことも長野を縄文文化の中心地にしたと、長野の人は胸を張る。



それで暮らしに余裕ができて、ややこしい土器や土偶を作る遊び心が生まれたのか。
ミステリアスな模様が刻まれた筒形の土器が出土した場所を見物しようと、藤内遺跡
を訪ねてみると、この通りじつに何にもない。



尾根の上の風光明媚な場所で、近くに川が流れて水が得られる。やや傾斜はあるけど
平坦な土地で、戦後に開拓地として手が入ると異物がいろいろと発見された。しかし
ただの空き地にしか見えない。



近くの尾根の居平遺跡にも寄り道する。何にもない、何にもない、本当に何にもない。
縄文遺跡の眠る場所がこういう何でもない場所だということは、何でもない場所からも
これから遺跡が出てくるかもしれない。



日当たりはいい。風の通りもいい。高台だから水はけもいい。川が近いから飲み水とか、
煮炊きの水に不自由しない。どうってことないけど住みやすい土地だったかもしれない。
いまは人がたくさん住むような場所じゃないけども。



畑を耕したら、こういう黒耀石のナイフのようなものや、縄文土器の破片が出てくると
地元の人が玄関先に無造作に転がしてるのを見た。そういうつもりで見ないと見逃す。
そう思った。

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