散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

日本平から久能山東照宮

2021-02-20 | Weblog
前回(いつだったか確認すると2011年の秋)ここへ来たときはサンダル履きで山を歩いて登った
ので足の裏にマメができて、それがつぶれたもんだから、痛くて痛くて参拝どころではなかった。
そんな久能山東照宮へ、日本平から9年ぶりにロープウェイでやってきた。



なかなか立派な楼門だ。徳川家康が1616年に死んだあと、亡骸を久能山に葬れという遺言の通り
ここに埋葬し、2代将軍秀忠の命で翌年、家康を祭神とする久能山東照宮が出来上がった。その
とき、後水尾天皇が書いた「東照大権現」の文字が額にして掲げてある。



埋葬したというのは、たぶん土葬だろう。増上寺に埋葬された歴代将軍は土葬だった。それらは
戦後、掘り出されて調査が行われた後、あらためて火葬して埋め直された。だから家康も土葬に
ちがいない。その亡骸は一周忌をもって日光に改葬されたと信じられてきた。



改葬したと天海が書き残したから遺体をわざわざ日光に運んだと思われてきた。しかし分霊した
だけだという説が近年は有力らしい。一周忌をもって改葬せよと家康が遺言したことになってる
のも、天海がそのように嘘をついて天下を納得させただけで、家康は慣れ親しんだ駿府の久能山
にずっと眠りたかったのではないだろうか。



家康の手形が神社に展示してあった。どうしてこんなのがあるんだろう? 不思議に思ったので
説明書きを読むと、由来は何も書いてない。家康38歳のときのもので推定身長155~159㎝程度、
手形を写した色紙は授与所にて1500円ということしかわからない。背はぼくのほうがずっと高い
が、手形の大きさは変わらなかった。おかしいんじゃないだろうか。



結婚式をやっていた。社伝によると久能山東照宮、主祭神は徳川家康だけど相殿として豊臣秀吉
と織田信長も一緒に祀られている。そんな勝手ができるものだろうか。できないんじゃないか。
ここは元々、武田信玄が築いた城らしいが武田信玄はもちろん祀られていない。


関連記事:  草薙神社から日本平へ
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 尖石縄文考古館 | TOP | 柏から »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | Weblog