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歩くことが唯一の趣味ですから。

函館

2024-08-23 | Weblog

函館山にのぼって街を見下ろした。旭川から陸路で東京へ戻る途中、1泊することにしたのだ。飛行機なら1時間半ほどで羽田につくのに、列車だと旭川から函館まで特急で5時間半か6時間かかる。函館から東京までは新幹線で4時間そこそこ。北海道が広いのか、新幹線がすごいのか。10時間ぐらい列車の座席で辛抱すれば1日で帰宅できるのだが、急ぐわけでもない(急ぐなら飛行機に乗る)ので、新幹線に乗り換える前に函館をぶらぶら。

夕方のぼってきて、日没まで1時間あまりツッ立ってるのも何だから、夕陽が沈んで街の灯が点るのを眺めつつ山頂のレストランで夕食を済ませる。ゆっくり、おつまみを頼んで、ビールを時間かけて飲む。写真ではちょっとわからないかもしれないが、だんだん日が翳り電灯の光が空気の動きで揺らめくのを眺めるのは楽しい。夜景より夕景が見応えあるかもしれない。

北海道の南に伸びた半島の先に、ぽっかり浮かんだ島がこの函館山だったんだろう。島と半島が陸でつながった低い土地が函館の市街地で、夜になると街の灯が狭い低地にひしめき合うのが箱館の夜景だ。明日どこかへ寄ろうか。函館には何度か来たことがあるので、まだ行ったことない場所……おそらく、あの街の灯のいちばん奥の右手にありそうな……?

厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院にやって来た。明治31年(1898年)に、フランスのウプシーにある修道院から8名の修道女が伝道のために訪ねてきたのが始まりだという。敷地に入ると大天使ミカエルの像が建っていた。裏側の説明を読むと、ミカエルは悪魔が神に叛逆したとき「ミ・カ・エル」(ヘブライ語で『神のように振る舞う者は誰か』の意)と叫びながらこれを破ったので、聖ミカエルと呼ばれるとか。英語だとマイケル。

順路に沿って敷地の奥まで進むと聖堂がある。年に1回だけ公開されるが、それ以外の日は外から眺めるだけ。修道院の建物は大正14年(1925年)の火災で大部分が焼けた後、昭和2年(1927年)に再建されたものであるという。そうなんだ。Ora et Labora(『祈れ、そして、働け』という意味のラテン語)を掲げて、修道女が毎朝3時半起きで夜7時45分就寝まで読書と祈りと仕事をする修道院のメインの建物。

創立当初は、こんな建物だったらしい。資料が展示されている建物(売店も併設)で展示を見物した。草創期の修道女たちの生活は困難を極め、それを見かねたフランスから引き上げを勧められるほどであったとパネルに書いてあった。どんな人たちなんだろうと思ったら、8人の修道女たちの当時の写真があった。

厳律シトー会というのがどういう会で、天使の聖母トラピスチヌ修道院がどんなところか記した本(パンフレット)が200円で売られていたので、買って読んでみることにした。

マダレナ(たぶんマドレーヌの原型)という、小麦粉と有塩バターと上白糖で作ったケーキ(卵は使わないのだろうか)も買った。トラピスト修道院のクッキーが函館名物として有名で市内いたるところで箱売りしてるけど、トラピスチヌ修道院はマダレナ推し。(他にクッキーとホワイトチョコレートも作って売ってる)

修道院を出たところに地図の掲示があり、トラピスチヌ修道院はだいたい思った通りの位置にあった。トラピスト修道院は半島の反対側(北斗市)にあるようだ。確か行ったことあるのに場所が全然わかってなかった。新幹線の函館駅は「新函館北斗駅」という名称で、よくわからないが北斗市にあるのだろう。そこまで移動して、新幹線で今日こそ帰らなければ。

 

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