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歩くことが唯一の趣味ですから。

青森・野辺地

2024-09-07 | Weblog

青森にくるたび三角のあれは何だろうと思いながら近づかないでいたけど、あの三角こそ「ねぶたラッセランド」といって青森ねぶた祭のねぶたを建造しては、保管しておく場所らしい。

ちゃんと役割あったのか、と三角ねぶたラッセランドに近づいていく。当日19:45から21:30まで青森ねぶた祭が開催されるため、夕方ともなればドックのような倉庫から青森ねぶたが引っ張り出されて市内のねぶた運行コースの方へ移動しだす。

元来お祭とか集会とか人々が熱狂する場所は好きじゃない(音楽や演劇の会場は例外で好き)なので、ねぶた祭よりも楽屋のようなラッセランドの光景に心を惹かれる。満足したから、ねぶた祭の本番を見ずに帰ろうかな? という気になってきた。大抵イベントは開始前に面倒くさくなる。

法被のようなものを着てむらがる男女はやじうまではなく、ラッセラー! ラッセラー! と市内ねぶた運行コースを踊り歩く参加者だった。新町通りを練り歩き、八甲通りに折れたあと市役所の前などを通って平和公園通りをラッセラー! ラッセラー! ねぶたの前後を集団で押し通る。

こんな具合だ。市内の目抜き通りを交通規制して我が物顔にラッセラー! ラッセラー! と行進するのが非日常的で楽しいのだろう。時折ねぶたを止めてグルグル回すのを沿道で眺めていると壮観だった。8月の初めごろ数日にわたって実行される。

1日こっきりではなく何日もやる行進だから、その気になれば見物ぐらい比較的容易にできるのに、その気になることが生まれてこのかた一度もなかった。ふと今年の夏ねぶたを実際この目に焼き付けようなんて思い立ったのは、もしかしたら死亡フラグかもしれない。

青森ねぶた見て終わりも何だから、県内どこか行ったことない町へ行ってみようと考えて、どうしても通過しがちな野辺地を訪ねた。駅貼りのポスターを眺めるかぎり、北前船の寄港地として設置された石造りの常夜燈がいちばん観光の目玉みたい。

野辺地の駅に隣接する町の観光物産PRセンターで観光・史跡ガイドマップをもらい、電動アシスト自転車をレンタルして常夜燈(町指定史跡)ほか2ヶ所を見物することにした。歩いて行けそうに思えたのだが、実際に足を運ぶとなかなか遠い。上り下りも多く電動アシスト自転車を使うのが妥当だった。

この常夜燈は幕末の文政10年(1827)野辺地の廻船問屋、野村治三郎が上方の商人の援助を受けて港に建てたもの。駅のポスターに「三百余年の街道の足跡」とあったわりに新しい。野辺地の港が急速に発展したのは明和2年(1765)に南部藩が始めた大坂回銅(後述)がきっかけという。そこから数えても三百余年に足りない。

南部藩が始めた大阪廻銅というのは、幕府が全国の主要銅山に割り当てた御登銅(おのぼりどう)の供出のことで、幕府は御登銅を長崎貿易の重要輸出品とした。鎖国なんかしてなかったのだ。南部藩では銅を牛の背に乗せて野辺地へ運び、北前船で大坂へ登らせた。大豆を藩の事業として大坂へ送ったのも、このころからだという。

常夜燈のそばに復元された北前船があった。大坂廻銅より前にも、貞享2年(1685)から清朝への輸出品として俵物(煎海鼠、乾鮑、鱶鰭など)が大坂へ送られたというから、そこから数えれば三百余年になる。そのころは常夜燈もなく北前船が寄港したのだろうか? 常夜燈ができてからは毎年3月から10月まで(航海がある時期)毎夜、灯りがつけられ標識になった。大坂からは木綿や塩など日用品が南部藩に届いた。

南部と津軽は昔から仲が悪い。戦国時代に南部が津軽を乗っ取った。それから津軽が南部から分かれ出て、江戸時代を通じて津軽と南部がそれぞれ藩として奥州に並んだが、常にいがみあい、お互い敵として削りあいを続けた。南部藩の常夜燈から自転車をこぐ脚がダルくなるほど西北へ進むと津軽藩(弘前藩)との藩境があった、

いわば北朝鮮と韓国を分断し米ソがにらみあう冷戦時代の38度線のようなものだ。そこには念入りに4つの塚が築かれ、南部と津軽が監視の目を光らせていたという。築造の時期はわからないが正保2年(1645)の国絵図にはすでに描かれているそうだから、津軽藩が独立してまもなく藩境として築かれたらしい。

幕末の戊辰戦争のとき、奥羽越列藩同盟として官軍に対立した諸藩のうち、津軽藩(弘前藩)が同盟を抜けて南部藩に攻め入った。官軍に与したようでいて、ただ単にうらみ深い南部を叩きたい一心ではなかったか。警戒していた南部藩は野辺地で津軽を返り討ちにした。幕府瓦解と明治新政に影響もなく、津軽藩士が40名あまり命を落とした。負けても官軍だから津軽の死者のうち26名の慰霊碑が南部の野辺地に維新後まもなく建てられた。慰霊碑は全部、津軽に捧げられており、南部の犠牲者の名はひとつもなかった。

 

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