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歩くことが唯一の趣味ですから。

また京都

2024-10-04 | Weblog

行ったことがない都道府県はない。というと驚かれることが多く、どこの都道府県にも2度や3度は足を運んでいると話したらもっと驚かれる。もちろん機会の多寡には差があり、秋田とか大分とか、島根とか徳島とか、数えるほどしか訪ねていない県もあれば、京都のように数えきれない日数を過ごした都道府県もいくつかある。

京都と長崎、北海道、千葉、東京には住んだこともあるから、旅行で行くというより里帰りと散歩を兼ねた移動のようなもの。観光地にだって寄るけど旅行者がわざわざ行かないような何でもないところで本なんか読んだりして、近所でぶらぶらするのと大きな違いがない場合もある。

その日は新幹線で京都に着いて、さてどうしようかと思いながら近鉄に乗り換えて、丹波橋で京阪電車に乗り換える通路にベーカリーカフェがあるのを思い出し、その店(CASCADE)で昼ごはんを兼ね、あんバターとタルトフロマージュとコーヒーを注文して席でしばらく本を読んだ。乗り換え駅で次に行く場所を決めずに読書をするのは楽しい。

それから古書店めぐりをして、どこをどう移動したのか。気がつくと大原の三千院にいた。京都大原三千院、という歌を聞いて、子どものころ『母をたずねて三千里』という世界名作劇場のア(1976年・フジテレビ系)とごちゃ混ぜになり、京都大原三千里だと思っていた。マルコ少年が母をたずねて日本の京都大原へやってきた歌にしか聴こえなかった、

恋に疲れた女がひとり、と繰り返される歌詞も、マルコを置いて失踪した母が恋に疲れて故郷を東へ三千里、京都の大原にいるとデューク・エイセスが歌っているものとばかり思っていた。渚ゆう子や石川さゆりがカバーしても、マルコ少年が京都をめざす旅を歌っているものとばかり……三千院の近くの宝泉院をたずねても血天井の下でマルコの姿を探してしまう。こんなとこにいるはずもないのに……

ふいに消えた鼓動……山崎まさよしの曲「One more time one more chance」にやがて永六輔作詞・いずみたく作曲「女ひとり」から楽曲が切り替わり、いつでも探しているよどっかに君の姿を向かいのホーム路地裏の店 ♪ と脳内ループするに任せて一見さんお断りの店で旅の疲れを癒す。というほど疲れてないか。

あくる日は気を取り直し、栂尾山高山寺(とがのおさんこうざん)に足を延ばす。紅葉の季節は人がごった返すけれども、そうでなければこんなに空いてる。ほぼ貸切といってもいい。長年にわたる夢の記録、「夢記」を残したことでも知られる明恵上人が後鳥羽上皇から賜った石水院は当時のままということで、この床板は縄文杉。いまなら意識の高い人が黙っていない。

日本最古之茶園と称する茶畑を見物し、振り返ると大きな切り株がある。2018年の台風で倒れた杉だという。あのときの台風のせいで京都の山々は樹木が倒れ、よく見ると2024年の現在もあちこちハゲているのだが、こんな大木までが倒れたのかと目のあたりにすると改めておどろく。

そういう目であたりを見まわすと、倒れた木の切り株だらけじゃないか。ずいぶんと明るくなったものだ。

あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月

という明恵上人の有名な歌も、これだけ木が切り払われたら、なおのこと実感されるにちがいない。900年前は案外こんな感じに拓けてたりして。

それから気まぐれに貴船へ足を延ばしたら、高山寺とは対照的に人がごった返していたので鬱陶しくなって川床で昼ごはん食べつつ涼む。水神の貴船神社は辰年だから人が殺到するらしい。それを知ってたら辰年にわざわざ来ることはなかった。しかし、混雑を避けて川床で過ごすつもりになったのは怪我の功名かも。

前菜つまんでビールを飲んで、鮎の塩焼きをいただき、天ぷらを抹茶塩でたべて、そうめんをすすり、香の物でごはんの小盛りを飲みこみ、デザートとやらを平らげるとすっかり涼しくなった。こりゃ夏でないと寒かろう。鴨川の床より貴船の床のほうが涼感については上回るんじゃないかな? 気が済んだので、さっさと東京に戻った。行こうと思ってた場所はまた今度にしよう。

 

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