特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

空回り

2022-03-15 07:00:32 | 腐乱死体
自然のあちらこちらで春の息吹が感じられる今日この頃。
優しい暖かさに癒されている人も多いのではないだろうか。
しかし、季節を逆行するかのように、私のメンタルは悪化。
多少の浮き沈みはあるものの、ほぼ四六時中、緊張状態が続き、息苦しさや動悸も頻発。
当然、気分もずっと落ち込んだままで、永遠の暗闇を彷徨っているような気分。
特に、毎朝、明け方は、一日のうちでも最悪の時間帯。
ここで文字にするのも躊躇われるくらいの感情に苛まれ、危険な状態に陥る。

これまでも、何度も鬱に苦しめられてきた私だが、何とか踏ん張ってきた。
が、ここにきて、元気を出そうとする自分は、完全に空回りするように。
で、藁をもつかむような思いで、この頃は、抗不安薬、いわゆる精神安定剤を服用している。
薬に頼るのは十数年ぶりのこと。
薬を飲んだところで即座に元気がでるものでもないが、「薬は効く!」と思い込むようにしており、そうすると、少しは楽になるような感覚はある。
何の罪過か、何の業か、私という人間は、楽には生きさせてもらえないようだ。

寒々しい時期を過ごしてきたのはメンタルだけでなく、時季もそう。
例年、冬は寒いものだが、今年の冬は特に寒く感じられた。
朝、氷点下になることもざらにあり、とりわけ、雪が、その感覚を強くしたものと思う。
今冬、首都圏では三度、まとまった降雪があった。
一度目1月6日は大雪となり、二度目2月11日も結構積もった。
三度目2月13日は都心の積雪はなかったものの、東京西部はけっこう積もった。
神奈川県の箱根なんて、雪の度にニュースに。
普段は憧れの温泉地・観光地なのだが、降雪により様相は一変。
坂道でタイヤが空回りして動けなくなっている車の映像が、何度も流れた。

当社にも、複数台の社有車があるのだが、使用頻度の高い車には、毎冬、スタッドレスタイヤを装着。
今年と違って、雪が一回も降らない年もあるのだが必ず。
後になってみると、タイヤがもったいないと思うこともあるけど、安全が第一。
事故や立ち往生が起こってからでは遅い。

私も、雪道で恐い思いをしたことが何度かある。
何年も前のことだけど、特殊清掃で福島の浜通りへ行ったときの帰り道と、千葉の山間部に行ったときの帰り道のことが記憶に新しい。
日中はたいしたことなかった雪を甘くみていた私。
しかし、夕方近くになると一気に積もってきて、あれよあれよという間に、辺り一面、真っ白に。
慌てた私は、急ピッチで作業を締め、帰途へ。
スリップするタイヤに車体を左右に振られながら、雪道を走行。
「一度止まったらアウト!」と、ビクビクしながら、ひたすら低速前進。
幸い、その時は、事故もなく立ち往生もせず、無事に、雪道を脱することができたのだが、神経は擦り減り、帰ったときはクタクタの状態だった。

さすがに、もう、積もるほどは降らないと思うけど、やはり、雪の予報を舐めてはいけない。
不要不急の外出予定は変更するのが得策。
また、「備えあれば患いなし」。
冬という季節があるかぎり、スタッドレスタイヤもタイヤチェーンも備えておいた方がいい。
事故の負担を考えれば、そっちの方がよっぽど軽いから。



出向いた現場は、街中に建つ分譲マンション。
その一室で住人が孤独死。
発見までかかった日数は約一か月半。
依頼者は、故人の娘(以後「女性」)。
女性は、何故、一か月半も放置されることになったのかを長々と説明。
ただ、話をまとめてみると、「年金生活で一人暮らしをしていたから」ということを言いたかったよう。
私にとって、それは、あまり必要な情報ではなかったが、業者として好印象を持ってもらうことが大事だった私は黙って応対。
その後、女性と現地調査の日時を約して、最初の電話を終えた。

約束の日時。
女性は、約束の時間になってもなかなか現れず。
時間に厳しい私は、5分を過ぎたところで女性に電話。
しかし、聞こえてくるのは「ただいま、電話に出られません」という機械的なメッセージ。
私は、少し気分を悪くしたが、勝手に帰るわけにはいかず、そのまま待つほかなし。
途方に暮れつつ、そのまましばらくの時間が経過し、結局、女性は、約束の時刻から30分遅れてやってきた。

訊くところによると、電話にでなかったのはバスに乗っていたから。
乗車時のマナーを守ったわけだから、間違ってはいない。
遅れた理由は、バスの遅延。
で、女性は、挨拶もそこそこにバスが遅延した理由を説明。
“もう会えたんだから、今更、そんなことどうでもいいんだけどな・・・”
と思った私だったが、女性があまりに熱心に話すものだから、それを遮るのはやめて話を最後まで聞いた。
ただ、話をまとめてみると、遅延の原因は「ただの工事渋滞」。
最初の電話といい今回といい、女性の個性を垣間見た私は、その後の付き合いが面倒臭いことになりそうなことを予感した。

「死後一か月半」と聞かされていた私は、至極、凄惨な現場を想像。
また、女性が、「恐くて入れない」と言うのも充分に納得できた。
私は、
「一人で中を見てくることもできますから、一緒に入らなくても大丈夫です」
と女性に伝えたうえで、まずは、一緒に部屋前まで行くことに。
女性が開けてくれたオートロックをくぐり、女性の後をついてエレベーターへ乗り込んだ。

玄関前に立つと、まずは、臭気の漏洩を確認。
幸い、そこでは、特段の異臭は感じず。
そして、差し出された鍵を受け取り開錠。
ゆっくりドアを引き、空いた隙間に鼻を近づけると、私の鼻は嗅ぎなれた異臭を感知。
しかし、故人は玄関から離れた部屋にいたのか、または、部屋のドアが閉まっているのか、予想していたほどでもなし。
私は、ドアを更に大きく開け、身体全体で、腐乱死体現場の空気を受け止めた。

そのニオイは、後ろに立つ女性の鼻にも届いたよう。
顔をしかめながら、鼻と口にハンカチを当てた。
私は、そんな女性に、
「じゃ、中を見てきますね・・・」
と言って、一歩二歩と前進した。

すると、女性は予想外の行動に。
「恐くて入れない」と言っていたわけだから、てっきり、女性は玄関の外で待っているものとばかり思っていた。
が、私に着いてそのまま入ってくるではないか。
「大丈夫ですか?入れますか?」
やや驚きながら尋ねると
「あまり大丈夫じゃありません・・・けど、“本当は、一人じゃイヤなんじゃないかな”と思いまして・・・」
とのこと。
“???・・・本当に俺は一人で平気なんだけどな・・・”
突拍子もない言葉に返す言葉はなく、もちろん、「ついて来るな」等という権利もなく、結局、前後並んで、我々は部屋の奥へと進んだ。

遺体があったのは、玄関を入ってすぐ左の寝室。
女性は、故人がいた部屋を警察から聞いており、まずは、そこへ。
私は、女性を遠ざけてから閉まっていた扉を開けた。
すると、異臭のレベルは一気に変わり、高濃度に。
「ちょっと、向こうに行っておいた方がいいかもしれません・・・」
と、女性に声をかけ、部屋に入った。

汚染痕はベッド脇の床にあり、素人目にはわからないだろうけど、人型を形成。
見るも見ないも女性の自由だったし、指図する権利は私にはなかったが、
「ちょっと、ここは見ない方がいいかもしれませんよ・・・」
と、私は、リビングで待つ女性に助言。
もともと、女性は怯えており、衝撃の光景が脳裏に焼き付いて、精神を病んでしまう恐れがあったからだ。
それには、女性もすんなり同意。
ただ、汚染状況を詳細に知りたがり、私に細かな質問を投げてきた。

腐乱死体の汚染を素人にわかりやすく説明するのは難しい。
私が得意とする(?)食べ物に例えるとわかりやすいのだが、それはブログ上でのこと。
依頼者相手に話すのは、さすがに品がない(この仕事に“品格”なんて必要ないかもしれないけど)。
結局、女性は、私の説明が呑み込めないようで、一つ一つの説明に対して、
「どういうことですか?」「よくわかりません!」
といった返事を繰り返してきた。

また、あくまで、主観的な感覚として、
「一か月半のニオイとしては軽い方ですね」
と言うと、女性は、
「え!?これで軽い方!?」と驚いた。
ただ、女性のリアクションは、これだけでは終わらず
「ということは、もっと酷いケースもあるってことですか?」
「それは、どういう状態ですか?」
「どんなニオイになるんですか?」
と矢継早に質問。
ちょっと苛立ってきた私は、
「“百聞は一見にしかず”とも言いますから、実際に見てみますか?」
と言いそうになったが、その言葉は、あまりに不親切なので、吐く前に飲み込んだ。

結局、私は、特殊清掃・消臭消毒を請け負うことになった。
特殊清掃という作業は、一発作業で終わることもあるが、多くは、複数日、または長期間を要する仕事となる。
もっとも時間がかかるのは、「消臭消毒」。
内装建材に染み着いた悪臭を脱臭・消臭する作業は一朝一夕では済まないのだ。
だから、ひとつの現場にも、適宜、何度となく足を運ばせる。
で、「あとはヨロシク頼みます」と、ほとんどは、部屋(家)の鍵を預かる。
本件でも、女性は、部屋の鍵を預けてくれた。
が、大方のケースと違ったのは、作業予定日時を事前に報告する必要があったことと、その度に女性が現場に現れたこと。
正直なところ、「うっとおしいなぁ・・・」と思わなくもなかった。
ただ、「来るな!」と言えるわけもなく、私は、女性が何を意図しているのか、何を考えているのかわからない中で、話相手をしながら作業を進めた。

深夜早朝に電話が鳴ることはなかったけど、女性は、作業のない日も頻繁に私に電話を入れてきた。
はじめは、
「警察から受け取った貴重品の中に、銀行通帳と印鑑がなかった」
というもので、そのとき、私は、
「できるかぎり探してみますね」
と返答。
また、公共料金やクレジットカードの明細書を探すことも頼まれたので、それも快諾。
探し物くらいは“お安い御用”だったから
しかし、事は、それだけでは済まず。
そのうちに、「インターネットのプロバイダーがわからない」「PCの立ち上げ方がわからない」「キーホルダーの鍵束が何の鍵がわからない」「自転車の鍵がない」「公共料金を解約の仕方がわからない」「メールボックスの開け方がわからない」など、色々なことを尋ねてきた。

ほとんどの相談は「そんなの、自分で何とかしてくれ!」と言った類のこと。
世の中には、「背中がかゆい!」と119番したり、「ゴキブリが出た!」と110番したりする輩もいるみたいだが、私にとっては、それに近いものがあった。
そうは言っても、私にとって、女性は“お客様”。
機嫌を損ねられないよう、うまく付き合うのも仕事のうち。
我慢すべきところを我慢し、耐えるべきところを耐えなければならない。
善意的に見れば「頼りにされている」と言えるのだが、悪意的に見れば「便利に使われている」とも言える。
ただ、不思議と、女性に、打算的な図々しさは感じられず。
そのため、一時的には苛立ちを覚えた私だったが、関わっていくうちに、自然と穏やかに対応できるようになっていた。

身内が孤独死して、腐乱死体で発見されるなんてことは、多くの人が経験するものではなく、恐怖感に襲われたのかもしれず・・・
また、最も近い血縁者、相続人だった女性は、故人の後始末をしなければ立場にあってどうしていいかわからず、不安感に襲われたのかもしれず・・・
だからこそ、私に、寄りかかろうとしたのかもしれず・・・
いい方に考えれば、誰かに頼りにされるのって嬉しいもの。
利己主義者の私も、それくらいの善意は持ち合わせていた。


始めの頃は戸惑い、そのうちイラ立ちを覚えるようになり、終わりの頃には女性なりの人間味が味わえるようになっていた私。
不必要なくらい細かな説明は誠意を示すため、
不必要なくらい細かな質問は敬意を示すため、
不必要なくらい細かな相談は信頼を示すため、
そして、最初、無理をしてまで一緒に入室したり、いちいち現場に姿をみせたりしたのは、汚仕事をやる私に対する、女性なりの礼儀と思いやり。
つまり、気持ちを空回りさせていたのは女性ではなく私の方だった。

人の想いを そのままに受け取ること、そして、自分の想いを そのままに伝えることは簡単に思えて、実は難しい。
「素直」の基準は見失いやすく、「自然」の構えは忘れやすい。
どうしても、価値観・感情・願望・打算などが入り交じり、“自分寄り”になってしまう。

その辺のところが、もっとストレートにできれば、私も、少しは人に好かれ、人に必要とされる人間になれるのかもしれない。
人に好かれ 人に必要とされることって、生き甲斐につながることで、元気の源になるものでもあるのだが・・・それが、なかなか難しい。
・・・弱ったおっさんなのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
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