まる一日、庭の草むしり。花壇の庭土が柔らかいので、手仕事でなんとか片付けられた。
母が元気だった頃は、そう言えばよく草取りをしていたっけ、と思い出す。透析をしていても、気分の良い日には、きっと庭の手入れをした。
今は、南房総市の施設に入り、腰の圧迫骨折の悪化で車椅子移動になってしまった母とは、コロナ禍のために面会出来ずに夏が終わる。
しきりに山梨に、我が家に帰りたいと訴えていた母の思いが、こうしてひとりで実家の手入れをしていると、あらためて迫ってくる。
できるなら、この家に帰してあげたいが、バリアフリーでない旧スタイルの住まいでは、一泊することさえ、もう難しいだろう。
すっかり弱くなってしまった母を想像すると、自分の力の無さが心に痛い。その滅入りから、また自分を引き起こし、励ますようにして、今日はよく働いた。
夏草の匂い、土の匂い、虫たちのざわめきなどに向かっていると、過ぎてゆく時間があたたかい。天気もほどよく曇りがちで助かった。
ラジオからは甲子園の高校野球。連続する全ての瞬間が、純粋な若さとエネルギーのかたまりだ。人生を終えて老い衰えた母への愛惜と、未来ひろがる少年たちの激闘という両極を身巡りに激らせながら、晩夏の実家をきれいにしている。
天使。油彩M4号。
全てに感謝。