まる2日かけて庭の草取りを終えた。がさがさと夏草をかき寄せてむしると、中から蟋蟀やかまきりがほろほろと現れ、いきなり陽射しに晒されて右往左往していた。その中には小さな緑色の雨蛙もいた。雑草の束をゴミ袋に押し込みながら、彼らの楽園を無くしてしまうなあ、とちょっと気がとがめた。
今夜、そう言えば数日前より虫の音が小さい気もする。でもこの辺りには草むらや庭木も多いから、虫たちはちゃんと新しい住処を見つけているだろう。
マリア・インノチェンツァ。無垢なる聖母。油彩F4号。
できれば、コロナ禍が過ぎたなら、ほんの短時間でも、母をこの家や庭に連れて来たいと思う。彼女が何十年も堅実に働き、培った世界だから。
母が元気で高圧的な時には、私はこんなに母に同情しなかった。
いや、彼女があちこち病み、痛みに苦しみ、でも車椅子の今ほどには衰弱していなかった頃でも、私はたぶん自分のことでいっぱいで、それほど献身的ではなかった。私と同居していても、病んだ母は孤独だったと思う。
それを後悔するゆとりは、今まだ私にはない。強いて言えるのは、家族の介護は親子であっても、本当に辛いものだ、と。
母が施設に入り、私に精神的余裕ができた今からでも、せめて、彼女に笑顔が増えるようなことをしてあげたい。
すべてに感謝。