京都を思い出して。
この数ヶ月、集中して山﨑豊子さんの長編を愛読しているが、文章の中で話し言葉が生き生きしている。大坂弁、関西山手上流階級の女性言葉、下町の言葉。
「不毛地帯」から「白い巨塔」に移り、これが上梓された50年前は、こんなに話し言葉で氏素性やキャラクターを描き分けられる世の中だったのかと思う。
ともかく、作家の力量だろう。紫式部のように、人物の微妙な言い回しに、ひそかな心理と欲望の照り陰りを含ませ、読者をひきよせる。こわいほど的確だ。
さて。
メディアとネットの普及で方言がまず希薄になり、やがて敬語と助動詞が崩れた。私の短歌ブログは、まだ昔気質の文体と思うけれど、やはりコンテンポラリーに媚びるから、文体の端正には遠い。
山﨑豊子さんの日本語はわかりやすくて美しい。
水彩画習作。某画伯のつたない模写。
もうひとつ、最近また民謡を歌いはじめた。いつか江差追分を歌いたい、などと壮大な夢想を抱いていると、時間が楽しい。
日々に感謝。