江戸時代の文人、貝原益軒はなかなかユーモアのある人で、逸話が多い。彼の母堂もさばけた女性で、良い意味で息子と仲良しだったようだ。
益軒はある時老母に尋ねた。年齢を重ねた女性に、ソノ欲望はいつまでありますか、とかなんとか。たぶんもっとうまい言葉使いだったに違いない。
さて、やや薄くなった白髪をきれいな束髪に結った(とはどこにも書いていない)母堂は、無遠慮な息子の問いには答えず、ただ自分の側の火鉢の灰を、火箸でゆっくりと何度も掻いたそうだ(これはホント)。
益軒は首を傾げて母の無言のジェスチュアを見ていたが、やがてはたと気づいた。
つまり。
灰になるまで(エロスは続くよ)と。当時は火葬だから、死んでもなお情念は残るというわけだ。
罪のないようなあるような話だが、母堂の人柄が偲ばれて面白い。
男性なら醜男でも富裕でさえあれば、簡単に美女も若い娘も寄ってくる。
引き換え、女性はどうだろうか。
夢を求めるのは老若男女を問わない。
私自身はもう現実に夢を見るのはやめたが、詩歌や演奏、絵の中で見果てぬ夢を成就させている程度。至らない人格なのに、この仕事で、多大な幸せ感を神さまからいただいている。
バテシバの水浴 油彩F8号。
神に感謝。