さまざまな紆余曲折、すべてに感謝
降り続いた雨はようやく止んだようだ。
コロナ猛威に加えて、この全国大水害のあとにパラが開かれる。世界のアスリートたちのパフォーマンスはきっと、すばらしいだろう。だが、と私は今も首を傾げてしまう。
平和で心豊かな日常は、いつになったら戻るのだろう。平和を退屈と感じない謙虚さが、きっと、あらゆる信仰と努力の原点と思う。
多くの逸脱や争いの根源には、窮迫よりも、むしろ快感刺激を求める退屈がある。
150年も前、ショウペンハウエルは辛辣にずばりと書いている。「退屈は死よりもひどいものだ」
私はもう50代後半に入り、元気に過ごせる人生の残り時間を計算して、退屈する隙がない。母の老病を見つめた後はなおさら、健康で平和な時間をありがたいことと思う。
アクシデントはいくつかあったが、今日もチェロを弾いた。12月のクリスマスリサイタルを目指して、9月になったら、バッハ以外のレパートリーも練習開始しよう。
SAKU 油彩F6号
全て。神に感謝。
京都を思い出して。
この数ヶ月、集中して山﨑豊子さんの長編を愛読しているが、文章の中で話し言葉が生き生きしている。大坂弁、関西山手上流階級の女性言葉、下町の言葉。
「不毛地帯」から「白い巨塔」に移り、これが上梓された50年前は、こんなに話し言葉で氏素性やキャラクターを描き分けられる世の中だったのかと思う。
ともかく、作家の力量だろう。紫式部のように、人物の微妙な言い回しに、ひそかな心理と欲望の照り陰りを含ませ、読者をひきよせる。こわいほど的確だ。
さて。
メディアとネットの普及で方言がまず希薄になり、やがて敬語と助動詞が崩れた。私の短歌ブログは、まだ昔気質の文体と思うけれど、やはりコンテンポラリーに媚びるから、文体の端正には遠い。
山﨑豊子さんの日本語はわかりやすくて美しい。
水彩画習作。某画伯のつたない模写。
もうひとつ、最近また民謡を歌いはじめた。いつか江差追分を歌いたい、などと壮大な夢想を抱いていると、時間が楽しい。
日々に感謝。
盆の入りに。
秋梅雨にしては早いが、日本各地で豪雨災害。猛威を振るう疫病と、家屋人命を押し流す自然災害と、日本は今、満身創痍だ。
それにしても、この数年は災厄が絶えない。そんな日本に華やかな明るさと元気をくれるはずのオリパラは、この国難の時期には過剰な贅沢かもしれず、後々の苦しい贖いを予期させる。市民生活を守る医療も福祉も危うい。
ただ、私の身の回りでは深刻な襲来がまだ見えないので、一応穏やかな日々が続いている。ありがたいことだ。
油彩F8号、 聖少女。
どうか災厄が消えて無くなりますように。
日々に感謝。
山梨県から戻る。上野原から八王子辺りでゲリラ豪雨に遭遇。30分ほどで雲が切れたが、最中はフロントガラスのワイパーが追いつかないほどの雨量で、高速道路をひやひやしながら走った。
日本の8月は、死者を膨大に記憶する季節だ。広島長崎の原爆忌。東京大空襲。敗戦。
今年は水面下で疫病蔓延を抱えてのオリパラ世界フェスティバル。
この夏からの死者は何千人だろうか。ニュースのカウントは真実だろうか。
現実とは信じられないので、記憶に残さないテレビニュースのコロナ関連数字を毎日眺めながら、政治経済の主軸を失った日本の近未来を少し想像する。すでに日本の国力は。。。
最近、山﨑豊子さんの壮大な小説に夢中だ。題材は現代的でも、構成やキャラクター配置は昔物語の定型的布石。細部までリアルに書き込み、闊達でわかりやすい文体で作品世界に引き寄せられる。
そして現実なら清浄なカタルシスなどほとんどないものだろうに、物語ならではの冷徹な「勧善懲悪」
母は長年、山﨑豊子さんの大ファンだ。彼女の集めた山﨑本を、今は私が読んでいる。
感謝の花束。油彩F 6号
全てに感謝。
午前中に館山を発ち、13時甲府着。
雑用を片付けて、汗まみれ。日本家屋でもあり、甲府は湿度が低いので、カビはほとんどなく、蜘蛛の巣があちこちに。
この家に暮らしていた祖母も母も消えた。母は存命だから、回復すれば立ち寄ることはできるかもしれない。だけどここで普通の生活は、もう無理だろう。
かつて人の気配があった部屋には、その記憶だけが残り、脳裏に幾重にも浮かぶ。
昨夜は祖母が夢に現れた。
呼ばれているのだろうか、と今朝方に考えたものだ。
お盆だからお墓の掃除にも行きたいが、お彼岸にまた帰省することにする。
やはり故郷は懐かしい。他県に出てからの歳月の方が長くなってしまったが、幼児期や少女時代に記憶したさまざまは、人生に潜在して出会いと別れの機縁を作る。
満月の聖母。油彩F12号。
ルネサンスのイコンを好きになったのは、小学生低学年の頃からだ。
こんな絵を描きたいな、と思ってレオナルドやボッティチェルリを飽かず眺めていた風変わりな幼児だった。
運命と神に感謝。
かき氷が食べたい!
暑い。夏だから当たり前だけど。かき氷をもう5年くらい食べていない。何故かわからない。近所に和風甘味喫茶店がないせいもある。やはり、かき氷はアイスクリームが乗った宇治金時が1番私には満足感がある。
こんな夢想をしているのは平和だから。
今朝は甲府市に帰る予定だったが、アクアライン強風通行止めのために変更。オリパラとコロナの相乗事態で、遠距離移動は何かと不都合な夏。
ハンニバル・バルカ。油彩。
油照りの8月上旬は、広島長崎の原爆投下を認識する季節。
テレビでちらりと見たが、千代田区で展示されている、その地域の高校生が描いた、原爆地獄油彩画の迫力が目に沁みた。絵は心で描くものだと思わせる作品たちだった。
パンデミック寸前のコロナ禍でも、平和な日本がありがたく感じられる夏だ。
神に感謝。
母にならなかった私が母性を歌うのは奇妙なことかもしれない。
傷ましい児童虐待や、母子また父子関係の歪みを見聞きすると、その子供たちの背負う運命のむごさを思う。
神の手は、そうした子たちを庇ってくださいと思う。
未熟な両親の精神的物質的負債を、押し付けられる子たち。
どうにもやりきれない。
海のマドンナ。油彩F8号
全てに感謝。