静かに今日も終わる。
たぶんかなり充実した時間を過ごしていると思う。昔の小説をまとめながら、ところどころのセンチメンタルと若書きに内心赤面したり、ストレートだったなあ、とひとごとのように感心したり。風変わりな人生の一時期だった。
歌や文章には、たぶんわたしのキャラクターのいちばんピュアな部分が反映されるから、こんな自分ならまあ、悪くないと思う。謙遜ならともかく、必要以上に卑下してどうなるだろう。そういう行為が可愛げとも思えない。
「海の器に描いた事象や素材は、繰り返すが、まったくのフィクション。それにしても、逸脱を色目では見ない。それも人間性だから。ドストエフスキーの『悪霊』や『カラマーゾフ』、シェークスピアだってそうだった。社会の裏側には美的逸脱よりはるかに忌まわしい悪意がひそむ。
なろうことなら、そのような事態に直面することなく、すこやかな笑顔で一生をおくるのがよい。
この次は何を書こうか。何を奏でようか。
今は、フォーレのシチリアーノをもういっかい念入りにお稽古している。八分の六拍子の表現を優雅に、と。
そんなことを考えて、仕事と家事を終える。