市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

月明かり水面に集む雨のあと溺るるばかり深き世界に

2014-09-25 21:01:12 | Weblog




  雨上がりに。



  今、いっときやんでいるだけかもしれない。しばらく前から鈴虫の声がしきる。


  月の気配はどうだろうか。これはこころのなかの月光。












 今日のできごとのすべてに感謝して眠る。よい日でした。







 みなさんもおつかれさま。ご訪問ありがとう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小鳥追ふ穂先静かに秋を得てけものならねば端ばし折らむ

2014-09-25 10:14:56 | Weblog



   もみぢせぬときはのやまにすむしかはおのれなきてやあきをしるらむ      





  こうしてときどき心のありかを見る。



  絵や音楽とはまた違って、心の落ち着き具合がわかる。



  書の目利きの方、ただのひとり手習い、ふぞろいご寛容ください。





  書いていると、インコのララが飛んできて筆をくわえたがる。そんな情景。    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガラスだま触れあふときはお互ひを虹のごと傷つけ壊さぬやうに

2014-09-25 08:59:54 | Weblog



 嵐の音がすごい。



 ふと。








  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

輪のなかに小鳥遊ばせひとしずく忘るるばかり平和なるかな

2014-09-24 12:15:43 | Weblog




  ふと





  おいしいコーヒー淹れよう。







  ネットを眺めて驚いてばかりいると、こんな普通の日常が、ますますうれしくなってくる。




  あんまり背伸びやあげぞこしないで、ちいさいことに感謝して今日も過ごそう。



  

  



  










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柔らかく声は包まむきららかに時間織りなす紅葉を待ちて

2014-09-23 15:45:23 | Weblog



  ふと








  自分の話す声を、ときどき忘れる。


  なまな声でシゴトをするのはよくない、と思っているのだが、作り声はわざとらしいし、おだやかに陽気にと考える。



  福祉の仕事はありがたい。学ぶことは多いが、なにより自分の労働をささげる気持ちではたらけることだろう。


  正直、決して見あうことばかりではないし、やさしければやさしいほど、余分な作業をするワーカーもいると聞く。





  それで、彼女たちは何を得ているのだろう?



  たぶん、自分のなかみを人に知られず耕しているのだろう。



  声は正直なので、相手の体調も、気持ちのありかもときどき教えてくれる。




  短い時間でも、そんなことを気遣いながら努めようと思う。


  もっともわたしは、地道につとめている職場のワーカーさんにくらべれば、ひとりよがりでいたらないところだらけだ。



  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樹々の声さやかに響く風の背に乗らばこのまま今し透(とほ)らむ

2014-09-23 11:34:06 | Weblog



  秋の森に。





  とてもさわやかな景色を見た。















  一年で今はいちばん空気の澄んできれいな季節だろう。











   







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝凪の水なめらかに秋を告げるいとしさだけのこの日美(よ)きかな

2014-09-23 08:43:45 | Weblog



  朝の海に













 まめやかに、丁寧にすごしましょう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御手より光享けたる少女たちの地上のめぐみ頬つぶらかに

2014-09-22 08:50:41 | Weblog

昨日一段落つけた絵。休み休み描いたので。半年以上かかった。

  「めぐみのマリア」


夏にミレーの「無原罪のお宿り」を山梨県立美術館で見た。

この絵はずいぶん昔から記憶に残っていて、聖母はまるで農家の娘に星飾りをひかえめに装わせたような純朴な少女だ。おずおずとした表情はかわいいが、派手さ華やかさはまったくなく、目をみはる美貌にも描かれてはいないから、たぶんあまり一般受けはしないだろう。

ほんとうの聖母、ユダヤの貧しい、たった十五歳の美少女の姿にはむしろ近いかもしれない。


農村に生きた敬虔なミレーは虚飾をしりぞけて、彼の理想のマリアを描いたのだろうと見つめた。



それに倣って、というのでもないけれど、わたしも自分の身近な姿のなかから,聖なるイノセント、マリアを描いてみたくなった。


ごく普通の無邪気な女の子、人種を問わず、世界中の少女の中に、聖母は実存するのでは、などと。


母になる年齢のはるか以前であっても、無垢な存在は、この世にゆたかなめぐみをもたらしてくれるにちがいない。

彼女たちを見ているだけで、気持ちが晴れやかになる、そんな聖母性を、と。


それからまた、このごろフェイスブックに入って、目をまるくすることばかり。

わたしは原発・戦争反対なので、そうした記事には敏感に反応する。そこに書かれている内容が真実だったら、とてもこわい、と考える。

こわい、と感じるのはわたしだけではないはずだ。

わたしはちいさな存在だし、友人も、今(と一応限定しておく)生きている社会もひろいとは言えないが、庶民のひとりとして、こういう視座を持つことは大切だと思う。

シェアすることで、誰かの迷惑になることもないと考える。

どんな大物がわたしに目をくれようとも思われないが、時代の流れ、大勢にさからう記事は、悪くすると誹謗中傷として、どこかの誰か、不特定の相手を傷つけ、不快を招くかもしれない。

でも、辛酸をなめ、さらに未来の社会に悪影響が及ぶかもしれない、と感じるから、あえて同意をかくさない。

そしてまた、この記事が絶対普遍とも思わない。今の現象を切り取り、将来への警鐘を鳴らしている。そこに共鳴する。

だから、これらの不安な「真実」がそうでなかったらいいなあ、とも願っている。

このごろつくづく、ネット社会は、末端神経症的だとしばしば感じる。交わされる言語の端を奇妙にねじまげることで、多くの現象がゆがんでいるのではあるまいか。それはユーモアでもなけれなエスプリでもない。ダイナミックな生の流れを歪曲する。鈍い狂気だ。すくなくとも健康とは思えない。

言葉のゆがみ、末端の屈折は、ほとんどネガティブなエモーションの受け皿にしかされていないことが言葉にとっていたましい。日本語だけだろうか?

言葉を愛するひとりとして、言霊のけがれを深くいたむ。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『黒耶悉茗』 廣庭由利子第一歌集

2014-09-21 21:07:07 | Weblog

たぶん「玲瓏」の歌会で何度かお目にかかったことのある廣庭さんは、フランス料理の研究家でもいらっしゃり、そちらの御本も出版されている。

また、「未来」のなかの才媛のおひとりでもあられる。

日本人形のように端正な、ことに鼻筋のすっと通った美しい女性で、一番印象に残っている姿は、細面の顔を華やかに包むような、高い縦襟フリルのブラウスを御召しだった。
こういうゴージャスなあしらいがぴったりと風情と顔立ちに似合う日本女性は、正直あまりいないのではないかしら、とお眺めしていた。

親しくお話したことはないのだが、この夏『白鳥姫』をさしあげたお返事に、優雅な達筆のお葉書をいただき、筆法の正しい字のすがたに、あらためて目をみはった。

お生まれは京都の旧家、あの賀茂長明の末裔だそうだ。

『黒耶悉茗』は、「じゃすまんのわーる」と読む。インドシナの旅行中に出会ったパルファムの名前とのこと。

第一歌集をお送りいただいてから、ずいぶん時間がたってしまったけれど、このごろまた時間のすきまがとれるようになり、お歌をいくつかあげさせていただく。


 夜の気をしぼり出すごとさびしみは鏡の中の眉根にこごる

 反乱のごときひと夜の朝あけて味噌汁つくるネコ科女は

 旅先の海辺の部屋の灯を消せば月夜しきりに魚のはねる

 あやめ草だきて歪なよろこびに静かに狂ふ梅雨入りのころ

 生煮えの月がふらふら昇る夜は素肌に蝶を飛ばせて遊ぶ

 のこる世を向かうみずなる笑顔にて生きてゆけとは枯葉のさわぎ


このほか、やはり食べ物についてたくさん詠んでいらっしゃる。
豊かな食文化とくっきりした色彩感覚はいかにも陽気で現世肯定的な暖かさを感じさせ、歌語をころがすリズム感は、むしろ保守的ではないか、とわたしには感じられるのだが、それがまた歌集全体のふっくらとしたおおらかな印象をさらに強めている。

 なんとなく、思う。まさに関西のマダムだなあ、と。古い語感かしら。

 華やかで、感覚的で、てらいなく、誇り高い。異性に対する微妙に湿潤な感情が歌われていても、どこかでざっくりと彼我のけじめがついている。御自身の独立をたいせつになさっているからだろうと思う。

 そんな歌人像をいただいた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽譜詠む吐息さながら空の下秋は静かに色付き初めぬ

2014-09-21 13:36:54 | Weblog




  演奏筋肉がだいぶ鈍ってしまったので、あせらず調える。




  それでもケアワークを始める前より肩や腕、手首などずいぶん丈夫になったと思う。


  音色は、この秋の乾いた空気のおかげで、ほんとうにこっくりといい音になってきた。

  いくつかの音を弾き放ったあと、すっと弓を離しても、楽器がまだ内側で反響し続けているのがかすかに聞こえる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルファポリス