たぶん「玲瓏」の歌会で何度かお目にかかったことのある廣庭さんは、フランス料理の研究家でもいらっしゃり、そちらの御本も出版されている。
また、「未来」のなかの才媛のおひとりでもあられる。
日本人形のように端正な、ことに鼻筋のすっと通った美しい女性で、一番印象に残っている姿は、細面の顔を華やかに包むような、高い縦襟フリルのブラウスを御召しだった。
こういうゴージャスなあしらいがぴったりと風情と顔立ちに似合う日本女性は、正直あまりいないのではないかしら、とお眺めしていた。
親しくお話したことはないのだが、この夏『白鳥姫』をさしあげたお返事に、優雅な達筆のお葉書をいただき、筆法の正しい字のすがたに、あらためて目をみはった。
お生まれは京都の旧家、あの賀茂長明の末裔だそうだ。
『黒耶悉茗』は、「じゃすまんのわーる」と読む。インドシナの旅行中に出会ったパルファムの名前とのこと。
第一歌集をお送りいただいてから、ずいぶん時間がたってしまったけれど、このごろまた時間のすきまがとれるようになり、お歌をいくつかあげさせていただく。
夜の気をしぼり出すごとさびしみは鏡の中の眉根にこごる
反乱のごときひと夜の朝あけて味噌汁つくるネコ科女は
旅先の海辺の部屋の灯を消せば月夜しきりに魚のはねる
あやめ草だきて歪なよろこびに静かに狂ふ梅雨入りのころ
生煮えの月がふらふら昇る夜は素肌に蝶を飛ばせて遊ぶ
のこる世を向かうみずなる笑顔にて生きてゆけとは枯葉のさわぎ
このほか、やはり食べ物についてたくさん詠んでいらっしゃる。
豊かな食文化とくっきりした色彩感覚はいかにも陽気で現世肯定的な暖かさを感じさせ、歌語をころがすリズム感は、むしろ保守的ではないか、とわたしには感じられるのだが、それがまた歌集全体のふっくらとしたおおらかな印象をさらに強めている。
なんとなく、思う。まさに関西のマダムだなあ、と。古い語感かしら。
華やかで、感覚的で、てらいなく、誇り高い。異性に対する微妙に湿潤な感情が歌われていても、どこかでざっくりと彼我のけじめがついている。御自身の独立をたいせつになさっているからだろうと思う。
そんな歌人像をいただいた。