プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★釧路と思い出

2011-08-04 09:03:25 | 日記・エッセイ・コラム

029 レース翌日の朝、幣舞橋を散歩していたら、昭和62年7月から10ヶ月間勤務した名古屋時代のちょっとした事件を思い出した。あるプロジェクトが名古屋に設置され、全国から社員が招集された際、私のグループに釧路出身の独身男性がいた。008

 名古屋の夏は、金沢以上に蒸し暑い。ある日、彼が無断欠勤したので手分けして探したら、アパートで熱中症状態で倒れていた。「夏でも20度を超える日は数少ない」釧路の若者には、暑さに対する免疫が無かった。020

その後、私が東京に転じる時、「一緒に行こう」と誘ったのだが、毎晩、通いづめたスナックのママの娘と恋仲になり、名古屋を離れられなくなった。暑い名古屋から一刻も早く逃げ出したいと言っていた男が結局、名古屋に居座り、名古屋に残りたかった私が東京に転勤したのは、何とも皮肉だった。

006 暑い名古屋で、熱い新婚生活を送った筈だが、その後の状況は知らない。昨日のことが思い出せなくなったのに、ふとしたきっかけで、昔の出来ごとが鮮明に蘇って来るから人間って面白い。