カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

更地になってた

2014-07-24 23:23:29 | つれづれなる想い

更地になってた
朝からすごい暑さ。


こいけに任せて実家へたまには出かける。梅干し持参。





昨年の今頃、父のカテーテル手術の立ち会いの帰り、追突事故に遭い、 むち打ちになった。

その前々週には実家の草刈りに呼ばれて、刺さったとげから 蜂窩織炎になって点滴を受けた。






その時、父にそろそろ有料老人ホームとか介護付きマンションとかも 考えてみたら?と助言した。





それがどうやってこうなったのか、今は有料マンションである。

まぁだいぶ荷物も片付いてきれいにやってるようだった。







旧実家に立ち寄った。






すでに更地になっていた。








若い頃を除いてあまり楽しい思い出もないが、1歳から育った家だった。元はマッチ箱のような、それでもこれだけの広さの敷地が一戸建ての社宅だった良い時代。

 

その後小6の頃に二階建てに新築された。





中3の頃は日曜日一日9時間以上勉強にいそしんだ。 (机に座って勉強を始めた時間、中座した時間を記録し、一日の合計勉強時間を集計するのが楽しかった。)



大小さまざまな強迫観念に縛られてなかなか集中できない今から比べれば、それでも心底集中できた人生の 数少ない時代。




頑張ったらそれなりの成果は出るもので、高校の入学試験は485点だった。







そして最高の高校時代。







サッカーに学問に恋に素晴らしい3年間だった。








しかし、共通一次の足音とともに、僕は何か虚しさを覚えてレールから落ちていった。







圧倒的な重機の力。









タイサンボクの木も高校の時に種を蒔いたビワも思い出の ピアノも一緒くたに片づけられていた。

 

両親は特に感慨もないようだった。(車であとで通って見せた)

土地の評価額からしても数百万も買い叩かれて売ってしまった父。

少し認知症入ってるんじゃないかとも思うが、なかなかそれはわからない。

今回更地にする工事の際、べた基礎の下から、40年前の以前のマッチ箱の 社宅のブロック基礎やお風呂場のタイルなどごっそり埋まっているのが掘り出された らしい。

 

そのことで更に追加の撤去料金を請求される気配だという。

 

根拠のない請求にはすぐにOKせず、司法書士や僕弟に相談してねと 念を押して帰宅したが、父も(40年前の工事会社の手抜きが自分たちの 瑕疵なはずはないと)払うつもりはないと言っていたが・・・

大丈夫か?

 

50年のタイサンボクも木蓮も35年のビワもあっと言う間に切られたのだろう。

 

実家からは睡蓮と座卓と、僕の兜とハナカイドウなど数種の花を運び出すのが 最後だった。

 

人生も思い出もはかない。