ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

男女格差、まだこんなレベルなのか・・・

2017-10-24 08:48:49 | 社会・経済
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 <11月のご予約について>

11月、12月は新メニューを充実させるためのわたくしの準備期間として
  おやすみをさせていただきます。

  新年度からは大幅にメニュー変更する予定です。
  それに伴い価格設定も値上げを予定しておりますので、

  11月については
    「オーラソーマ セッション」をご希望の方についてのみ、
  以下の日程内でのみ、
  お受けいたします。

  現在の価格設定のなかでの最後のセッション、
  お考えの方はお早目にどうぞ!



   11月  2日(木)  全日 時間OK
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私が大学を卒業して初めて就職をした年は、私が入社した会社では初めて四大卒の女学生を受け容れることに決めた年でもありました。
私が入社したのは流通小売業です。
私は自分の年が初めての四大卒女性が入社できるようになった年であることを誇らしく思っていました。
それは逆に言えば、企業側に四大卒の学生を受け容れざるを得ない仕事が増えたから、ということなのだろうと思ったからです。
それまでにもさんざ「男女平等社会」が叫ばれていましたから、さぁて、ようやくその触れ込みと実態が一致する時代がやってきたのだ、と私は意気揚々としていました。
それが今からかれこれ35年以上も前のことです。(ちょっと今、自分で書いていてぞっとしましたわ・・・ こんなの若い人にとっちゃ「第二次世界大戦の頃~」と言われるのと同じようなものだろうな、と思って)



そして先週の日曜日。
我が家がとっている中日新聞の日曜版に「男女格差 ガラスの壁と天井」というサンデー版大図解シリーズが載せられていました。
それを読んでびっくりしました。
まだこんな実態だったのか・・!と。
「ガラスの壁」とは、性別役割意識をもとにした職種・役職制限や育児・介護を一方的に担わせることを指すのだそうです。
「ガラスの天井」とは、女性が一定以上昇進できないことを言うのだそうです。



ちなみにそれによると女性の管理職比率は「米国43%、ロシア42%」に対して日本はたった13%です。
これは調査を行った世界138か国中、なんと124位というレベルなのです。
120~138位までのメンツを見ると中東、南アフリカですね。
経済発展もおぼつかず、常に内戦などで国が疲弊している国々と日本は同等のレベルなんですよ。
ひどかないですか。
ちなみに政府は2020年までにこの13%という比率を20%にまで上げると言っていますが、このままじゃ無理だと思いますね。
欧米ではクォータ制という一定比率女性を登用しなくちゃいけない、という規則がありますから女性が採用されているのだという面もありますが、そこまでの政治的介入をするつもりがほんとにあるんでしょうか。
もちろん、男性社会を支えている面々が心から受け容れなくては意味がないと思うし。



新卒者を正社員として採用する企業のうち、女性を採らずに男性のみ、とした企業の割合は約4割もあります。
そうして正社員になれなかった女性は非正規で働きます。
そしていったん非正規で働きだすと昇進の道はまずない、というのが現状です。
「私の方が絶対に仕事ができるのに・・!」
「まったく同じことをやっているのに・・!」
「私より5年も遅く入社してきたあのぼんぼん然とした坊やがもう課長だって!」
という不満に歯噛みをしながら女性たちは声をあげることができずに日々働いているわけです。



しかしこんな数字もあります。
せっかく正社員として働いていても、結婚し出産後も就業を継続する女性は半分だ、というデータです。
これは私の時代もそうでした。
ひょっとすると50%以上あったんじゃないかなぁ・・・
なにせ入社後10年して辞める女性が9割以上と言われた記憶がありますから。
そのときは、
「へぇ。そんなんで辞めちゃったら会社は確かに女性に投資しようとは思えないだろうなぁ。」
なんて、私は結構会社目線で考えていました。
なにせ、大手ほど教育制度がしっかりしていて私も入社して1~2年はほれ研修だ、かれ何だとほぼ物見遊山のようなお客さま扱いされましたからねぇ。
なので実際に戦力になってからは7.8年。
ちょうどこれから、と脂が乗ってきた頃にやめられちゃ会社としても「こういう人たちにはこれからは投資しない!」となっても仕方なかろう、と思っていたのです。
そんな私が、「結婚・出産による退社」でこそありませんでしたが、ちょうど10年で会社を辞めてしまったのですから世の中わかりません・・
そのときも印象的だったのが「寿退社」(と、当時こう呼びましたね。結婚による退社のことを)だと満額でる退職金が、「一般退職」だと10分の1程度になってしまう、という事実。
それに不服を感じた人が、ほんとうは結婚退職じゃないのに社内には結婚で辞めると言いふらして満額の退職金をもらって辞めた、なんて話も聞いたことがありましたね・・



でもこれにはもちろん、当の女性のせいばかりではなく、まだまだ日本には結婚して子どもが生まれたら女性は家庭に入るべし、という風潮があるからだし、風潮だけでなく実際に夫は口だけ「君が働きたいなら働き続けたらいいよ。」と甘言ともとれる言葉を弄しておきながら、実態はなぁ~んにも家事は手伝ってくれずその言葉の前には「ただし、完璧に家事もやってくれるならね」がついてくるのだ、というケースも多いという現状があるからでしょう。
“なぁ~んにも家事は手伝ってくれない”も徐々に、徐々に、改善してきてずいぶんと手伝ってくれる旦那さんも多くはなってきているのでしょうが、それでも家事すべてを100としたとき、女性と男性がどのくらい受け持っていますか?という質問をしたら、圧倒的に女性でしょうね。
育児のすべてが女性だったりしたらもうこれだけで50%以上は女性だ、と言ってもよいくらいです。
でもこれがまた難しくて、実際に自分のお腹を痛めて産んだ子をその場ですぐに取り上げられて、
「ハイ、ご苦労さん~ これからこの子の面倒は全部ボクがみるからね。」
と言われても女性という“性”としては納得できないものがあるでしょうし、事実男性に母乳が与えられるわけはないわけですから、母乳で育てようと思ったら、どーしたってこーしたって女性の負担のほうが多くなって当たり前なんですよねぇ。
そして、企業としても育児真っ最中の女性が早く会社に復帰できるように会社内に授乳室をつくるとか、保育士さんをやとって預けるルームがあるとか、そこまでお金をかけるゆとりがある企業なんてそうそうはありません。
結局、人の意識もがらりと変わるだけのものがないし、受け皿としての企業もそこまでの余力はないし、ってことなんでしょうね。



このサンデー版では早稲田大学教授の大森真紀さんがコラムを寄せていますが、そこで大森氏は、
「少子高齢化が進展するなかで、仕事と家庭の両立支援とは乳幼児の母親のみを対象とすればよいかのような曲解は女性活躍どころか、ますます性別役割分業を促進しかねない。しかも、こうした政策は女性に育児や介護などの無償労働を負わせたまま、雇用労働力として利用しようとしているに過ぎない。
両立支援の原点は、女性たちの雇用労働への参入に比べて、あまりにも男性たちが家庭内における無償労働を担わないところにこそある。労働市場における性別格差の根本的な解決のためには、労働市場をささえる人びとの生活のありようにまで踏み込まざるを得ず、調査はもとより意識をも問わなければならない。」
と書いています。



結局それぞれの意識が変わらなければ、という話に落ち着いちゃうんですよね・・・
それってコラム的な落としどころなのかもしれませんが、それ言っちゃあおしめぇよ、って感じがします。
“意識”ですべてを片づけてしまったら、何にも残りません。
残らないっていうか、どこから手を付けていいのかって話になんの進展も見出せません。
でもまぁ・・
私もその“意識改革”とも言えるようなワークにこれまでもさんざん取り組んできました。



特に印象深いのが今は亡きヌラ・クラフト女史の「レインボー・ウ―マン」で冒頭に、
「私たち女性は男性よりもいっぱい“べき”を背負って生きています。
 “母親なら育児に熱心であるべき”
 “妻なら貞淑であるべき”
 “女の子ならスカートをはくべき”
 それらはみな『役割演技』です。
 今日はみんなで背負ってきた役割を脱ぎ捨てて、1個人の、単なる“じぶん”として過ごしましょう。」
みたいなことを言われたことです。
女性のほうが圧倒的にこの「役割演技」をせおって生きている、というところがこの「レインボー・ウーマン」が男子禁制の女性のためだけのコースだった所以なのでした。(※ちなみにオーラソーマではこれ以外に男子禁制ということはありません。圧倒的に女性のほうが多いとは思いますが、男性にももちろん受けてもらいたいものばかりです。)
ほんとにそうだなぁ。
女性だって社会に進出して男性と平等な扱いを受けていいんだ、と言われながらも、まだまだ私たちはいーっぱい“べき”にがんじがらめになり、それぞれの“役割”を背負っている。
それはどれだけ脱ぎ捨てても脱ぎ捨てても、たまねぎのようにいくらでも剥けていき、いったいどこまで剥いたらほんとうの自分があらわれるのがわからないくらい。
今でも、まだまだ脱ぎ捨てたほうが楽になるものをいっぱいしょってる気がします。
でも、背負っているというその“重み”が愛おしくて、「好きでやってんだからいいもん。ほっといて」と開き直りたいものもあったりして。



1つだけ言えることは私たちには「べき」は何もありません。
背負わなくてはいけない役割に縛られ過ぎることもないけれど、その役割を降ろすべき、と考えるのもまたしんどい。
とにかく自由に、自分に制限をかけずにまいりましょう。


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教師と生徒の距離感

2017-10-21 09:01:32 | 社会・経済
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昨日の「星の子」著:今村夏子 の話なんですが。
ちょっと本題とはそれたことで気になったことがありましたので、今日はそのお話を。
本題とそれたこと、と言いましたが、このお話のなかでとても印象的なシーンにも触れることになりますので、さほどそれてはいないのかもしれません。
それは教師と生徒の距離感ということについて、です。



何度もこのブログで開示していますが、私は49歳で初めての結婚をしましたので、自分の子どもを産んで育てた、という経験がありません。
育児をされた方であれば、子どもから学校の様子を聞いて、「ふぅん、自分の子ども時代とはずいぶん教師と生徒の距離感も変わってきたものだなぁ。」ということについては理解されてらっしゃるかもしれません。
でも私はそういう生の声を聞く機会がまったくないものですから、こういう本から現代ってこういうものかぁ、と知るととても新鮮なんです。
そして子どもの成長とともに、ジャブのようにじわじわとその距離感を腹に入れていく、という期間を経ていませんからよけいに新鮮でした。
ニュースで教師が生徒に体罰を与えたということが事件になったり、その反対に生徒が教師を殴るという暴行事件が起きたりということが報じられることがありますが、それはその芽をたどっていくとこういうところにあるのかも、と思ったことがあります。



「星の子」のなかで、主人公のちひろがひそかに憧れる男性教師が登場します。
外国の俳優のようにカッコいい26歳の若い教師です。
ある日、この教師がちひろを含め3人の生徒を自分の車で家まで送り届けることになるシーンがあります。
ちひろを降ろそうとしたとき、この先生が、
「ちょっと待て」
ととめます。
どうしたのか、といえば、
「公園のあそこに不審者がいる」
と先生が言うのです。
先生は、そうして、
「ほら、あそこに2匹」
と言いました。
先生が指し示すその方向にいた不審者というのは、ちひろの両親でした。
不審者と思われたのは緑のジャージを着て、温泉でいい気分のおやじよろしく2人そろって頭の上にタオルを乗せていたからでした。
ちひろは衝撃を受けますが、もちろんそのとき憧れの先生に、
「あの不審者は私の両親なんです。」
と打ち明けられるはずもなく、ダッシュで帰ります。



このときの思春期の女の子の心のダメージは推しはかるに痛々しい気持ちになりますが、このときの先生の、「2匹」という言い方、これは教育者としてありえないだろうと思いました。
「教育者として」というより、1人の人間としても。
実際に私の時代の教師は絶対にこんなことを言う人はいなかったと思います。
ちひろの両親だったのかぁ、だったらそんな風には言わなかったのにぃ、とかそう言う問題ではありません。
いくら身なりが怪しいとか思っても、人を「1匹、2匹」なんてそんなさげずんだ言い方が許されるはずはありません。
「いや~、冗談、冗談。そのくらいの冗談は通じると思ってさぁ。」と現代の若い教師は言うのでしょうか。



ほかにもちらちらと「あぁ、これは私の時代の教師だったら絶対にこういう口のきき方はしない」と思った箇所が見受けられました。
例えば、この教師がホームルームで、風邪がはやっているから気を付けるようにという保健室からのビラを読み上げるシーンがあります。
途中まで読んでは自分の考えを付け加えたりするものだからどこまで読んだのかわからなくなり、
「ええっと、どこまで読んだっけかな?」
とクラスの生徒に向かって尋ねます。
誰かが、
「○行目の○○からです。」
というように答えます。
するとこの教師は、
「サンキュ。インフルエンザの流行は~」
というように、「サンキュ」と言うのです。
何げないシーンのようだし、このくらいはただフレンドリーなだけでいいでしょう、あなた年寄りね~ お堅いのね~と言われそうですが、私にはかなりこれでもインパクトあるシーンでした。
私の時代ならありえない。
教師が生徒に「サンキュ」。
ということは、生徒も先生に気軽に「サンキュ」と使うのでしょうか。
英語だからカジュアルに聞こえるのかもしれませんが、ここは「ありがとう」でしょうよ、と思うのは私だけなんでしょうか。
教師と生徒の口のきき方が友だち同士のようになればなるほど、その関係性のなかで起こることもやはり「友だち同士の間なら起こること」になっていくのは当然のように思います。
いつの時代にも乱暴な子どもはいましたが、ごく普通の生徒が教師を殴ったり蹴ったり平気でするということは、いくらでもその前に伏線があると思います。
そうなるにはなるだけの理由があると思うんです。
これまで私は、そういう事件をニュースで見るたびにそこに至るまでの関係、理由を知りたいと思ってきました。
それがこの本を読んで、先生の口のきき方を知り、「あぁ、現実でもこんな感じなんだろうな。そりゃ起こるわ。」と初めて納得できました。



主人公のちひろはこの先生に憧れていましたから、授業中いつもこの先生の似顔絵をこっそり描いていました。
それを最後、この先生はこういう注意の仕方をするのです。
「今まで我慢してきたけど、もう限界だ。あのな、いいか? 迷惑なんだよ。」と。
これ、同じくらいの年ごろの男女間に起こった痴話げんかのシーンじゃないの?と思ってしまうのはまた私だけ?
教師が中学生を注意するときに使う言い方でしょうか。
これは好きでもない異性から執拗にストーカー行為を受けた時の言い方じゃないですか。
私の時代の教師は生徒を叱っても、決して自分自身の、等身大の感想なんて口にしませんでした。
“君のやっているその行為がいかに周りや君自身のためにならないか”だけを口にしました。
「我慢してきた」「限界だ」「迷惑だ」こんな個人的な感情をましてや他の生徒がいる面前で絶対に言う人はいなかったと思います。



と、まぁ、この教師ばかりを責めているようですが、このあとこの教師は、
「授業中に落書きをしていることがおかしいと言っているんだ。○○、お前も授業中にほかの授業の参考書ひらいてるだろ? それもおかしいぞ。俺はいま、たまたま林に注意したけどこれは全員にいえることだぞ。この時期、自分の行いが周りの人にどんな影響を与えるのかよぉく考えて行動しろ。自分の行動を見直せ。」
と言って締めくくっています。
これはごくまっとうな発言だと思います。
このホームルームが終わり、うつむいて泣いているちひろを慰める数人の生徒がいるのですが、彼らも
「あいつ、性格悪いな」
「自意識過剰だな」
「どうする? 教育委員会に訴える?」
と口々に言うのです。
・・・この感想というか、発言もね~
売り言葉に買い言葉といいましょうか、教師がなめた友だち言葉を使っているから、都合が悪くなると生徒もそんな教師をおとしめてやろう、どうすると1番彼らがイタイ思いをするのかよぉく知っていて、「教育委員会に訴える」なんてことを持ち出すのでしょうね。
教師のことを「あいつ」呼ばわりして、「性格悪い」とか「自意識過剰」とかそういう問題じゃない! 視点が違う! と言いたくなるのもこれまた私だけでしょうか。



この本を読んで、現代の教師と生徒の距離感がどうなっているのか、その口のきき方でちょっとだけわかったような気がしたおばちゃんだったのでした。



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変化している愛

2015-07-09 09:04:39 | 社会・経済
昨日の話の続きのような感じですが、最近は親子の愛情というものが変化してきたのかなぁ、と思いました。
娘のお相手の男性は離婚後、自らが2人の子どもを引き取っていますが、その理由は元妻のほうに養育するつもりが全くなかったからだ、と言います。
一方の話を聞いただけですからどこまで本当かわかりませんが、元妻は結婚しているときから子どもの面倒をほとんどみようとはせず自らの子どもに愛情も抱いていない様子だったと言います。
そして離婚ということになったときも「あなたの方が引き取って。私は今後もいっさい会わなくていいから。」と言ったということです。
「で、ほんとうにこれまでに『やっぱり会わせて。子どもの顔が見たくなった。』とか言ってこないの?」
と聞いたら、
「うん、全然ないらしい。一切連絡はないって。」
と娘は言っていました。



この元奥さんの場合は、少し精神を病んでいたのではないか? まともな状態ではなかったからそんな風だったのではないか、と一瞬思ったのですが、離婚してからしばらく経った今でも全く言ってこないということは、やっぱり子どもには全く未練もないし、愛情も残ってないという事なんだろうか?
それを信じるにはあまりにも違う人種を想像しないといけないような気になる。
私は自分で子どもを産み育てたことがないから俗に“お腹を痛めた我が子が可愛くないわけがない”という言い方に伴う、理屈ではない肉からの叫びのような思いはわかりませんが、そんな私でもそういう人もいるのかなぁ、と思うしかないのかなという釈然としない気持ちです。



先日美容院でも
「最近は父兄参観などに行っても、『あれ? このあいだのときと○○ちゃんのお母さんが違う・・』なんてことはざらで、こちらがどうやって挨拶しようかなんて戸惑っていてもその子どもは平気で『おかあさ~ん』なんて呼んでいるんですよね。
実は私も小学生の頃に両親が離婚して、私は父のほうに引き取られてその後父が新しい母を迎えたんですけれども、ずーっと『お母さん』とは呼べませんでしたね。『おばさん』って呼んでました。
すごくその人は母親になろうと努力してくれていた感じはわかったんですけれどね、どうしても呼べなかった・・・。
でもある時から呼べるようになったんです。
ずっと呼べなかった時があったからこそ、お母さんって呼べたときにはお互いにあぁ、これで本当の母娘になったんだなって感覚もひとしおだったと思いますよ。
それに比べると今の子は両親が離婚してお父さんが新しいお母さんを迎えてもその日から簡単に『お母さん』って呼べちゃうみたいですからねぇ、なんか、お父さんとかお母さんってものが昔より軽くなったんでしょうか。」
と美容師さんが言ってて、世代が近いせいか私はこの美容師さんの言うことの方に心が添いましたね。



「愛」というものの本質が時代とともにころころ変わるものだとは思いません。
思いませんし、思いたくもない。
けれども「お父さん」「お母さん」というものに対する子どもの思い、役割意識、反対に親の子どもへの思いというものは変化してきているのかな、と思いました。
子どもは「親」という者に対して、「自分が“子ども”というある1時代を過ごす間、保護者である人物」としか位置づけていないのかもしれない。
だから無条件に自分を庇護してくれる人物であれば、すぐに「お父さん」「お母さん」と呼べるのかもしれない。
そこに愛情の問題を持ち込まなければ、そういう役割の人が確かに親だ、ってことですものね。
親も親でどこかで割り切っているのかもしれない。
その昔、1979年に「クレイマー、クレイマー」というダスティン・ホフマン主演の映画が公開されたとき「離婚するってこと自体は悪いことでも何でもないんだ! ・・とそういう風に社会が認めるってところまでもうアメリカは進んでいるんだ!」と衝撃を受け、これから家族の在り方が日本でも変わってくるかもしれないぞ、と思ったことを衝撃的に思い出します。
それまでは“子どもため”に、多少のことは我慢しろ、離婚なんて並大抵のことではするものではない、という風潮が日本ではまだまだ一般的でしたから。
今ではいろんな選択をする人がいるとはいえ、愛が冷え切った夫婦が離婚もせずにただ“子どものため”という錦の御旗のもとに暮らすほうがかえって子どものためにはよくない、きっぱりと別れて新しい生活を送るべきだ、と考える人のほうが多いことは間違いないでしょう。



一言で言ってしまえば、昔の重すぎるほどの愛情のかけ方から現代は軽くカジュアルになった、という気がします。
マーケティングの考え方が「重厚長大」から「軽佻浮薄」へ、と言われてから久しいですが、ここへきてついにモノだけでなく、人の心の在りようも良くも悪くも身軽で、臨機応変で、柔軟になってきているということなのでしょうか。
社会に合わせて行こうとするとそうならざるを得ない、ということなのでしょうか。
私はもっと“血の濃さ”というものはぬぐってもぬぐいきれないものがあるはずだ、と言いたいわけではありません。
むしろ、そういうものは私自身も懐疑的です。
けれど「1人の人間」というこの世でかけがえのない存在を創造し送り込んだ責任というものは一生消えることがないものだ、とは思うのです。
その責任感というものについては、希薄になることはいかがなものかと思っています。
昔、「ダイアモンドは傷つかない」という三石由紀子さんという作家(なんとこの方、今は人生相談などをやっておられ、「毒舌アドバイザー」として有名になっています。)の作品のなかで、主人公の女の子が避妊器具をつけようとしない男の子に迫られた時、
「一発1人ってことを忘れないでね。」
って言うところがあります。
失礼・・・。
ちょっといきなりお下劣でしたか。
意味がわかんない人はいいです、スルーしてください。
私はこのフレーズにいたく感じ入ったのでした。
でも、責任感というのはそういうことだと思うんです。



そして社会の構造や変化に合わせて人も変わって行かなければ自分の心が病んでしまうから、人は自衛として自然に心の持ちようも変化させていきます。
それは生きていくすべとして当然のことだと思いながらも、親が子に対する絶対的な無条件の愛というのだけは変わって欲しくないなぁ、と思うのでした。
というのは、このあいだ、娘を見ていてふと思ったのです。
「愛されて育った子どもは、決して間違った判断をしない。」と。
娘はダーリンが離婚して母親を知らずに育ってきた子ですが、じいちゃんばあちゃんにはたっぷりの愛情を注がれましたし、ましてやダーリンも、です。
なんか、娘を見ていてふとそう思ったのでした。
うん、「決して間違った判断をしない」というのはちょっと語弊があるな。
人間だから間違うときもあるでしょう。
けれど最終的には、愛された経験をしてきている人間というのはやはり最終的に自分も“愛をもった”決断を下すのだ、ということが信じられたのでした。
これは理屈ではありません。
そして逆に言えば、「無条件に愛された」という体験をしてきていない子どもはその子のせいではないのですが、やはり愛のない決断をしてしまう、愛のない無毛の連鎖を生む、とそんなことを思ったのでした。



離婚をして新しいお父さん、お母さんに育てられた子どもが体裁だけつくろわれて本当の愛を知らない、とは言いませんが、あまりに軽くあれよあれよという間にお手軽に手続き上のことが行われると、子どもはそこに本当の愛を感じにくくなるということはあると思います。
そういう意味でおばちゃんはおばちゃんらしく、そんな点からこの国の将来を憂えたのでした。




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<ワークショップ開催のお知らせ>
            色に関する シークレットワークショップとXChangeを開催します!
           開催日:8月1日(土)
           時間: 8:30~15:30
                ※10:30~15:30の参加も受け付けます。
           参加費:¥10000(ランチ代、デザート代、お茶&お菓子 込み)
           参加資格:ピンと来た人すべてがウェルカム!
   
   シークレットワークショップ???
   何やるの???
ふふふっ。。。
東京から飯塚香織さんをお招きしてのワークショップです。
香織さんとのコラボなら間違いなく楽しいはず!
子どものようにワクワク過ごして、色が大好きになる時間です。

XChangeって何???

XChangeとは 服としあわせのシェア のコンセプトに基づくものです。


色やデザインが好きだけどなんだか似合わない!プレゼントでもらったけど自分の好みじゃない!など。。。
でも、捨てるのはもったいない!というお洋服を持ち寄り参加者の皆さんで交換します。
色に関するシークレットワークショップだからこそ、その色の不思議に触れて、服としあわせのシェアをしてみませんか?

なお、ワークショップの参加費用の一部及びお洋服交換に伴う売り上げは、寄付いたします。(寄付先は只今検討中)

8月1日(土)は、必ず楽しいワークショップになること間違いなし!

なんだか分からないけど気になる!
この日なら空いてる!
どんな理由でもOK!
とにかくピンと来た方、参加希望の方は、
chakra@aura-soma.nameまでご連絡くださいませ。
一応の予約だけでもOKです!

ご連絡お待ちしております。。。

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<新メニュー登場!>オーラソーマ&魂の解放ワーク ――――――――――――――――――――――――――――――――――
オーラソーマセッション 70分+ 魂の解放ワーク 30分 =100分  
    ☆ボトルなし   →   ¥ 9800                
    ☆ボトルあり(50ml)→ ¥12800


オーラソーマのセッションと表現アートセラピーでのヒーリングを組み合わせた些々羅オリジナルのセラピーです。

オーラソーマでボトルを選びセッションで明らかになった今の自分のテーマについて、魂の解放ワークでさらにそれを掘り下げます。

★「魂の解放ワーク」とは?
  パステルアート、表現アートセラピーなど五感を刺激するあらゆる手法を使ってその日のテーマをより深く掘り下げます。
 たとえば・・
*自分の記憶につながる香りを作る。
*ゲシュタルト療法における「椅子のワーク」を行う。
*童心にかえって楽器をかきならす
*瞑想する。
*絵を描く。
*自分の感情、気分、これまでの人生を体で表現する。


※クライアント様がワークを指定することはできません。
 こちらで最善と思われるワークを選択、構築させていただきます。

 リピート特典あり (※3か月以内に2回目を受けられる方は¥1000OFF)
   ¥9800 → ¥8800
   ¥12800 → ¥11800
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  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
   をクリックしてください。
   アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
  ★アニマルコミュニケーション関係は、
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熟年パラサイト

2015-06-20 09:05:23 | 社会・経済
<お知らせ>




色に関する 

シークレットワークショップとxChange

を開催します!
 
 日時: 7月10日(金)

 時間: 10:00~17:00
 場所: 白金高輪

 参加資格:  ピンと来た方、すべてウェルカム!




☆お問い合わせ&ご予約くださいました方に、開催場所、参加費用、持ち物等、詳しくお伝えいたします。


6月20日(土)に岐阜の些々羅 で行うワークショップを東京でも行うことが決定しました!
これまでブログをご覧くださっていた方で「岐阜は遠いしなぁ・・」なんて思ってらした方、
関東の方、ぜひお会いしましょう!!

chakra@aura-soma.nameまでご連絡をよろしく~!



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一昨日は「40代以上の引きこもり」についての記事を書きましたが、今日は同じく40代以上の独身で親と同居という人たちが増えている、という社会現象についてです。
2010年の国勢調査によると、20代~40代の未婚者は1575万人。ほぼ東京都の人口に匹敵するほどの人数がシングルです。
で、そのうち40代以上の人口が575万人。
実にシングルの3分の1以上を40代が占めているのです。
そしてその人たちのほとんどが親に寄生するパラサイトだとしたら、ちょっと社会問題ですよね。



パラサイトというのを、家に1円もお金を入れず、家賃はおろか食費も支払っていないという意味で「寄生」と呼ぶなら、では、家にある程度お金を入れていたらパラサイトシングルとは呼ばないのでしょうか。
特に男性の場合に多そうですが、その入れているお金が“親の労働対価”というつもりでいるならそれはパラサイトだと思います。
要するに、洗濯も親まかせ、料理をつくるのも親まかせ、掃除も親まかせという自分がまるで客人かのようにふるまっているなら、それはやはりパラサイトでしょう。
なんでだ、それでもそれに見合う以上のお金を俺は家に入れているんだ、といったとて、親はあなたの奴隷じゃない、召使でもない、それを全部お金で解決出来ていると思うなんて大きな勘違いだ、なら、親が「そんなお金は要らない代わりに全部自分でやりな。」と放り出されたら、どうするんでしょうか?
出来るんでしょうか?
出来ないから、といってダスキンのようなサービス会社にそれを頼んだら、いくらかかると思ってるんです?
それでも十二分に見合うだけは家に入れている、と言えますか?・・と言いたい。



なかにはパラサイトシングルでいるうちに、いつのまにか親が介護が必要な年齢になってしまい、今は家事から親の介護から全部私がやっていますよ、という人もいらっしゃるかもしれません。
この場合はパラサイトではないでしょうが。



でもこれもそれも「核家族化」したのが事の始まりではないかなぁ、と思いました。
昔のように3世代にわたって同居するのが当たり前で、1人っ子も少なく、兄弟姉妹が大勢いたら、そのなかの1人ぐらいいつまでも結婚しない人がいたり、出戻りがいたりしてもたいして問題にはしなかったんではないでしょうか。
1人だから、目立つ。



かく言う私もえらそうなことを言っていますが、私自身、ながらくパラサイトでした。
ダーリンと結婚して家を出ましたが、それまでずっと私は47歳になるまで親と同居していました。
家に多少はお金を入れ、自分の部屋くらいは自分で掃除し、食事も自分の分は自分で作ってはいましたが、それ以上の家のことはなぁ~んにもしませんでした。
トイレやお風呂など共用部分についてはすべて母が掃除していましたし、洗濯機やエアコンなどが古くなって買い替えることになる場合も、私は1銭も出しませんでした。
これはパラサイトですよね。
自分でこれはパラサイトだよなぁ、ってわかってました。



パラサイトになった原因は猫です。
私も勤め始めた当初は自分で別の場所にアパートを借りて暮らしていました。
けれど、あるときひょんなことから猫を飼うことになりました。
さらにもう1匹。
そうしたらその2匹が仲が悪い、悪い。
もう見ていてハラハラするほど追いかけ回してそのまま喉笛噛み切るんじゃないか、って勢い。
私は白旗をあげ、猫2匹を親許に連れて行きました。
私はどうしても会社に行かねばならず、帰ってくるまでそれだけ仲の悪い猫たちだけにしておくのは心配だったからです。
親だって店を切り盛りしているからそんなヒマなわけではないですが、とりあえず1日中ほぼ家の中に居る、ということは目が行き届きますから。
それをきっかけに私も実家に舞い戻り、パラサイト生活が始まっちゃった、というわけです。



自分自身、その状態を決して健全な状態だとは思いませんでした。
いい年した子どもが親と同居するなんておかしい、と思っていました。
成人したら子どもは親のもとを去るべきだ。
自分で自活すべきだ、とわかっていました。
だからいつもなんだか後ろ暗いものを抱えているような精神状態でいました。
だから同じようにパラサイトの人たちは同じ気持ちを抱えているものだとばかり思っていました。
けれど先日、テレビのニュースの特集コーナーで、40代のパラサイト男性が、
「ボクは1人前に働いているし、親にお金も入れている。
結婚に興味もないし、今のほうが好きなことをやっていられる。
会社に通うのに今のこの家は近くて良いし、親と同居しているほうが合理的だ。
それなのになぜこの居心地のよい状態をやめなくちゃいけないんだ?」
と言っているのを聞いて、あぁ、あの頃の私のように決して誰もが後ろ暗い思いを抱いてなぞいらっしゃらないんだな、ということがわかりました。



でも、これに対しては私はこう反論したいです。
「世の中、そんなにも何もかも合理的な方を選ぶ、だけで片づけていいんですか?」と。
この人も今まで生きてきて、何もかもを合理的で効率的なものさしにより、明解でビシッと割り切れる答えが出た方ばかりを選んできたわけではないでしょうに。
この趣味を持ったって一文の得にもならないのに好きでやめられないんだよなぁ、というものに親しんできたこともあるでしょうし、遠回りな道をあえて選んで人生じっくりと取り組んできたこともあるでしょう。
それなのにどうしてこの問題のときだけ、「親と住んでいたほうが合理的」という言葉で周りのすべてを納得させようとするのでしょうか。
だったら「1日できるだけ動かないようにしてお腹が空かないようにすればあまりご飯も食べなくて済むから合理的」という休日をよし、とするんでしょうか。
違うはずです。
私はパラサイトしていることが決して健全な状態ではないという自覚があったからこういう人たちに比べてまだしもましだった、というつもりはありませんが、自分の考え方はどこにもおかしいところがない、と思っている40代の熟年パラサイトにはなにか危ういものを感じました。



私はたとえ不合理であろうとも1人暮らしをしてみる、というのは意味があると思っています。
ましてやこの場合の1人暮らしは単身赴任や大学が遠方だからという1人暮らしとはわけが違う。
「1人暮らし」というよりは、いい年をした大人なら「1人という人数の世帯を持った」という気概でいてほしいと思います。
1人で暮らすと1人で暮らしてみないとわからないことがあります。
時間の流れかたが違います。
1日何も口を聞かなくても1つ屋根の下に家族がいる、という安心感に包まれているのと、「ほんとうに1人なんだなぁ。何をするにも1人でやらなくちゃいけないんだなぁ。」という1人とは孤独感が違います。
でもその孤独を味わうからこそ精神的に成長するものが必ずあると思います。
それを人生で1度も経験することなく、「親といるほうが合理的だから」とうそぶく彼らが違う人種にみえました。
こういう考え方の人が多いとしたら、いくら単身者に対する住宅補助を考えたらどうか、というように行政が手を差し伸べたとしても無駄でしょうね。



ひょっとしたら彼らは動物であれば必ず本能として備わっている「独立したい」「自分だけの王国を築きたい」という欲求が欠落しているのかもしれません。
それは親の問題もあるでしょう。
いっそ、ライオンのように成人した子どもは岩から突き落としてみる、とまでは言いませんが、人間の本能として一緒には暮らしたくなくなる、家から追い出したくなる、というように私たちの細胞にそんな情報がインプットされていたらいいのに、とさえ思います。
私の親もそうでしたが、口には出さなくても同居していたほうが安心しているようでした。
口に出さなくても親が「いくつになった子どもであっても、そばにいてほしい」と思っている感覚というのは伝わるんですよね。
それを受け取るから子どももついついそれに甘えてしまう。
共依存です。
寄生は一方的に寄生している方に問題があるのではなく、快く寄生させているほうにも問題があるのだ、と思います。
だからこれは「パラサイトシングル」の問題だ、というより「精神的パラサイト家族」の問題だ、と言った方がいいかもしれません。
これは行政ではどうしようもならない問題です。
現代社会ではもっと共依存ゆえに起こる問題が増えると思います。
私自身、ダーリンと出会って、ごく自然なかたちで家を出ましたが、もしあのままシングルだったら、いったいいつまで親と一緒にいたろう?と思うとぞっとします。
必ずなにか“合理的な”納得できるような理由がなければ再び私が家を出る、ということについて親は反対する、という空気がありましたからね。
これもひきこもりと同様になかなか根深い問題ですね。







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<ワークショップ開催のお知らせ>
            色に関する シークレットワークショップとお洋服交換会を開催します!
           開催日:8月1日(土)
           時間: 10:00~17:00
           参加費:未定(決まり次第 詳細はまた載せますね)
           参加資格:ピンと来た人すべてがウェルカム!
   
   シークレットワークショップ???
   何やるの???
ふふふっ。。。
東京から飯塚香織さんをお招きしてのワークショップです。
香織さんとのコラボなら間違いなく楽しいはず!
子どものようにワクワク過ごして、色が大好きになる時間です。

お洋服交換会って何???

お洋服交換会というのは、xChange 服としあわせのシェア のコンセプトに基づくものです。

現在、xChangeという名前を使用するにあたっては、事務局へ問い合わせ中です。
使用が認められた場合は、お洋服交換会ではなく、xChangeという文言に変更いたします。

色やデザインが好きだけどなんだか似合わない!プレゼントでもらったけど自分の好みじゃない!など。。。
でも、捨てるのはもったいない!というお洋服を持ち寄り参加者の皆さんで交換します。
色に関するシークレットワークショップだからこそ、その色の不思議に触れて、服としあわせのシェアをしてみませんか?

なお、ワークショップの参加費用の一部及びお洋服交換に伴う売り上げは、日本赤十字社を通してネパール地震の義援金として寄付いたします。

6月20日(土)は、必ず楽しいワークショップになること間違いなし!

なんだか分からないけど気になる!
この日なら空いてる!
どんな理由でもOK!
とにかくピンと来た方、参加希望の方は、
chakra@aura-soma.nameまでご連絡くださいませ。
一応の予約だけでもOKです!

ご連絡お待ちしております。。。

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<新メニュー登場!>オーラソーマ&魂の解放ワーク ――――――――――――――――――――――――――――――――――
オーラソーマセッション 70分+ 魂の解放ワーク 30分 =100分  
    ☆ボトルなし   →   ¥ 9800                
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オーラソーマのセッションと表現アートセラピーでのヒーリングを組み合わせた些々羅オリジナルのセラピーです。

オーラソーマでボトルを選びセッションで明らかになった今の自分のテーマについて、魂の解放ワークでさらにそれを掘り下げます。

★「魂の解放ワーク」とは?
  パステルアート、表現アートセラピーなど五感を刺激するあらゆる手法を使ってその日のテーマをより深く掘り下げます。
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 こちらで最善と思われるワークを選択、構築させていただきます。

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    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
    までお気軽にどうぞ!

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マタハラ裁判

2014-10-24 09:07:00 | 社会・経済

 

昨日、マタニティハラスメント訴訟が差し戻しになった、という興味深い裁判がありました。

 

マタニティハラスメントとは、私は初めて聞く言葉でしたがおおよそ見当はつきました。

 

そう、正解。

 

妊娠や出産を理由に職場で給料減額やら立場を悪くするようにもっていかされることです。



裁判では、広島市の病院に勤めていた理学療法士の女性が妊娠にともない、負担の軽い業務を希望したところ、異動とともに「副主任」の役職を外されたことが男女雇用機会均等法に反するとして、病院を相手取り、損害賠償などを求めていました。

 

1審の広島地裁は「病院の裁量権の範囲内で、不利益な取り扱いをしたとは認めがたい」として女性の訴えをしりぞけ、2審の広島高裁も「管理職の任免は使用者の裁量にゆだねられている」と違法性を否定しました。

 

これに対し、最高裁の弁論では、「仕事に誇りを持ち、組織の発展に尽くしたいと努力してきたのに電話一本で降格し、納得できる説明もないやり方に到底許すことはできません。」とする女性の意見陳述書が読み上げられました。

 

判決は来月です。



私がこのマタニティハラスメントのことを興味深いと思うのは、私自身、両方の気持ちがわかるわぁ、この裁判の行方、ほんとにどっちになるんだろう?という意味からです。

 

決して、「女性の敵、許すまじ!」ということではないんです。

 

私自身は子どもを産み、育てることはありませんでしたが、周りの友人たちが子育てに奮闘する様子を見てきて本当に大変なことだなぁ、と思いますし、ただの昭和頑固おやじのような人よりは、妊娠・出産にともなうことも目の当たりにしてきたと思います。

 

だからたとえばですが、「妊娠は病気じゃないんだから。」というような言い方にはすごく腹が立ったりします。

 

これはどれだけ具合が悪くても、病気じゃないんだからまともに働けよ、というようなときに使われる言葉ですね。

 

けれど、具合が悪いことには病名がついていようがついていまいが関係ない。

 

しかもそんなこというオヤジ、てめぇはこの具合の悪さ、経験したことあんのか!?

 

えぇ? おまえなら軽く乗り越えられるのか?

 

どうせそんなことはないだろうによくそんな口聞けるよなぁ、なんて思います。



けれど、また私は企業に勤めていた時代、管理職も経験していますし、今はダーリンの会社が自転車操業で大変なのも知っていますから、気持ちが妊婦さんに添ってやりたいのはやまやまだけれども、経営ってそんなものじゃないのよ、そんなこと言ってられるレベルじゃないのよ、という経営陣のつらさもまたわかります。

 

だって・・

 

子どもを産み終わってそれからまた1年出産休暇をあげて、ようやく職場に戻ってきたと思ったら、やれ子どもが急に熱を出したから休ませてくれ、保育園は時間外は預かってくれないから私も残業はできません、とか言われたら、はー?じゃあアンタができないぶんは誰がやるんだよ? え? それを全部こっちに丸投げかい! って言いたくもなりましょう。

 

その人が妊娠・出産前までデキル人だったらなおさらのこと、えー、こんな人じゃなかったじゃん~と上司は泣き言も言いたくなるのではないでしょうか。



朝のワイドショーではこのときに、

 

「そもそも子どもを迎えに行ったり、看病したりってことが全部当たり前のように母親のほうがやるべきだ、っていう社会がおかしいんですよ。

 

お父さんもいっしょにやるべきでしょう。

 

そうしたら、こういったマタハラもなくなるのではないですか。」

 

とコメントしていた人がいました。

 

しかし、私はそれは難しいのでは、と思います。



確かに難しかろうが何だろうが強制的にでも、子育てについての女性と男性の役割をまったく五分五分にしてしまえば、女性だけが一方的に職場放棄をするかのような真似をしなくてもすみますから、その負担は軽減されます。

 

その分、男性も「すみません。今日はボクの当番の日で、ボクが子どもを迎えに行かなくちゃならないんで。」とか、「急な発熱で妻は仕事が忙しくていけない、といっているので、ボクが行かなくちゃいけないんで。」というようになり、日本のあちこちで公平に男性もそのような申し出をするようになるぶん、この人だけが面倒なことを言ってくる、ということもなくなりましょう。

 

大きな視点で言えば、「社会全体で子どもを育てているのだ。子どもは社会の宝なのだ。」という意識を全員が持てば、子どもが小さいときに起こりうるもろもろのことが仕方がないことだ、と割り切れるようになるのかもしれません。

 




しかし、と私は思います。

 

子育ての負担をまったく五分五分にすることなんて出来るのだろうか?と。

 

例えば、母乳で育てている子どもは、授乳はお母さんしかできなくて当たり前ということになります。

 

出るときにたんまり搾乳しておいて、あとはそれを冷凍しておいて、使う時には温め直して使うんだ、ということであったとしてもやはり女性の体が子どもに出来ること、というのが男性に比べてある限り、女性の負担のほうが確実に多くて当たり前だと思うんです。

 

そしてそれをまた、女性というのは子育てに向いているのだから、子どもが幼くて可愛いうちは自分が率先して面倒をみたいのだ、という女性もいるはずです。

 

だから負担を五分五分にすることが誰にとっても嬉しいことである、と割り切れるものでもないはずだと思うんですよね。

 

ここが難しい。

 

率先してやりたい人とできればやりたくない人をごちゃまぜにして役割をえいやっで、政治的、行政的判断で、ましてや裁判というものでさばくということはとても難しいと思います。

 




それだけにどうなるのだろう、とこの裁判の行方を興味深く見守っているんです。

 

 







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