ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

小川糸作品

2019-10-06 09:01:50 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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最近私は、小川糸さんにハマっています。
ハマっています、といっても「ファミリー・ツリー」「喋々喃々」「熱々のうちに召し上がれ」の3冊を読んだだけですけれども。
いま、全作品読破したいという気持ちだけは勢いでいます。



最初は、「58歳から日々を大切に小さく暮らす」 著:ショコラ という本をamazon.で買ったら、小川糸さんの「これだけで幸せ 小川糸の少なく暮らす29カ条」という本をamazon.がおススメしてきて、私は恥ずかしながら初めて小川糸さんという作家を知りました。
彼女が世に輩出されて有名になった「食堂かたつむり」は、映画化もされましたし知っていましたが、それが小川糸という名前の作家の作品だ、ということは全然脳裡になかったのです。
そのときは、「これだけで幸せ ~~」は買いませんでした。
私は、「節約」や「モノをもたない」生活に憧れているわけではなく、ショコラさんの「小さく暮らす」という言い方に惹かれて、そのときにはその本を買っただけで、単なる断捨離本ならいらない、と思っていたからです。
でもそれがどういう風の吹き回しか、図書館に行ったときにたまたま小川糸さんの棚の前にたどり着くことになり、たまたま「ファミリー・ツリー」しか借りられていない本はなかったので、
「あ・・ この人って・・」
と思って「ファミリ・ツリー」を借りたのが最初でした。



とても気に入りました。
私は本を読むのは比較的早く、それはなぜかというと、読みだすと
「最後まで早く読んでしまいたい」
という、その本をまるごと腹に収めた、消化いたしました、という感覚を味わいたいからなんですね。
でも、いつまでも映画館の椅子から立ち上がりたくなくなるような映画に年に1,2本出会うことがありますが、そんな感覚で、途中から
「いつまでもこの世界観の中にいたい。だから読み終わりたくない」
という感覚に囚われました。
しかし、amazon.のレビューを読んでみると、この本の評価は決して高くないのです。
たまたまそういう人ばかりがレビューを投稿しちゃったのかもしれないけれど・・。
どうして? 何がこの人たちは気に入らなかったんだろう? と不思議に思い、それらのレビューを読んでみると、
「話に起伏がない。クライマックスがない」というものが多かったようでした。
え~、そこがいいところなのに・・!とびっくりしました。
そりゃ小説というものは、ある人物を主人公としてその人物のある時期からある時期までを切り取るものです。
だとしたら著者にどうしてその時期を切り取ることにしたのか? という意図がないといけません。
それがある意味、その著者が最も言いたいことが伝わる部分でもありましょうし、著者の力量が問われる部分でもありましょうから。
しかしその意味で言うと、私はこの本のエンディングだけは気に入らなかったのですが、それまでの主人公たちの切り取り方は大好きであり、盛り上がりに欠けるとも思っていませんでしたので、まったくこれらレビューの評価は意外でした。
そしてむしろ、自分だけ良い本見つけちゃった♪という喜びにあふれました。



そして、次に「熱々を召し上がれ」を読んで(7つの食べ物を中心にした短編集)、
「そういうことか。この人のものはやはり長編小説を読まなくては面白くない!」
と思ったので、次に図書館に行ったときにまたたまたま1冊だけあった、「喋々喃々」が長編小説であることだけを確かめて借りたのでした。
この本は、根津の下町にアンティーク着物屋を営む若き女性(離婚経験あり。今は独身)とたまたまお客としてやってきて知り合いとなった青年(妻子あり)のまだるっこしいような、切なくはかない不倫の物語です。
でも、小説を彩るいろんな生活道具たちや主人公たちのものの考え方は、まるで大正か昭和初期を思わせるような、それこそ骨董品のようです。
「ファミリー・ツリー」と同じく、物語は遅々として進まず、とくに盛り上がりもありません。
私は思わず、
「そうそう、そうこなくっちゃ」
と言いたくなりました。
これこそがこの人の真骨頂よ、と。



先ほどはわかりやすく「不倫」という言葉を使ってしまいましたが、そういう淫靡な匂いは露ほどにもない小説です。
確か、文中にも「不倫」という言葉使いは1度も登場しなかったのではないか、と思います。
最後に、主人公はこういう表現をしていますね。
「私と春一郎さんとの関係は、相変わらずいびつなままだ」と。
“いびつ”という表現を使っていました。
「それでも、私はあるがままの自分の姿を受け容れたいと思う。」と続きます。
著者が何を一番訴えたかったのか、私にはよくわかりませんが、私が彼らの“いびつな”関係のなかで見たものは、
「妻子がある人との関係って、必ず独り身のほうが妻子がある人の方のスケジュールに合わせざるを得ない生活になるのね」
という場面が往々にして見受けられるのが、なんだか憤懣やるかたないような、やり場のない鬱屈したものを感じました。
そりゃそうですわね。
妻子に気付かれないようにするためには、カップルだったら1番一緒に過ごしたいようなクリスマスとか大みそかからお正月にかけてとか、そういうときに一緒にいられないわけですよ。
そして、こちらから連絡をとることもままならない。
その逆に、
「会いたくなったから来ちゃったんだ」
なんて言われてふいに向こうは訪ねて来ても、主人公は独り身だから受け容れられるけれども、ほんとうなら独り身だって、「今日は予定があったのよ」とか言いたいときもありましょう。
いずれにしても自分のスケジュールのほうがかき乱されるわけです。
でも、これを逃したら次いつ会えるかわからない、と思うから受け容れちゃう。
こういうのってアンフェアじゃないですか。
恋愛はいつだってフェアじゃなくてはいけないと思います。
それは法律とか倫理上という問題とは別のところで、2人の関係性においてフェアじゃないといけないと思います。
でも、“いびつな関係”だとそれがそういうわけにはいかなくなるんだよねぇ・・。
それを著者は言いたかったとは思えないし、ひょっとしたら主人公さえ物語のなかで、
「へ? 私ってそうなの? 他人から見るとそう見えるの? 全然そんな不自由さは感じていませんけど・・?」
と言うかもしれない。
だから、露ほどもそれを匂わせるようなシーンとか言動が出てくるわけではないけれども、でもやっぱりそこが書きたかったのかなぁ、なんてくるくると考えてしまう。
主題はこれだ!と突きつけられるよりも、こういう自分の受け取り方によってどうとでも読み取れるもののほうが、年齢のせいか最近は好きになってきています。


その仕事の本質

2019-10-05 09:35:30 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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知人に頼まれて、全然畑違いの仕事を抱えていたのですが、それがようやく終わりました。
その仕事とは、コンサートの運営でした。
こういう、1つの大きなイベントって何があるかわかりませんから、最後まで気が抜けないのです。
なので、何事もなく進行し終えることができてほっとしました。



昔、まだ菊池桃子さんがデビューしたてでそれほど有名ではなかったとき、あるショッピングモールの屋上に彼女を呼んでミニコンサートを行うことになり、それを手伝ったことがあります。
あれは肝を冷やしました・・。
なにせ、こちらが想像もしないほどのカメラ少年たちが押し寄せ、係員の静止も振り切り、いかにステージまじかの席を陣取り、あわよくば菊池桃子さんに近づづこうか、と目論んでいたからです。
なにか事故が起こるんじゃないか、とひやひやしました。
結果的に何事もなく終えることができましたけれども。



私は以前(といっても、10年以上前になりますが)広告関係の仕事をしていました。
広告関係と一口に行っても広告の仕事とは多義にわたります。
私がやっていたのは主に企画でした。
でも、広告代理店のような仕事の場合、そのなかには「イベントの企画・運営」も含みます。
知人は、私がそれそのものをやっていたわけではない、と知っていたけれども、まぁ、まったく知らない世界のことでもないでしょう、ということで頼んできたのです。



気乗りがしませんでしたが、相当困っている様子でしたので、結局手伝うことになりました。
知人は、音楽畑出身で、コンサートそのものがどうあるべきか、ということについてはよくわかっているのです。
知人はレセプショニストを仕切る役目でした。
私は、といえば、「レセプショニスト」という言葉さえそのときに初めて知ったありさまです。
ふんふん、と一応相づちを打ちながら打ち合わせに参加していましたが、内心では、
(ホテルの受付などレセプションというわけだから、まぁ、コンサート会場での受付みたいな役割の人のことだろう)
と見当をつけていただけでした。



実際は少し違いました。
コンサートにおけるレセプショニストとは、お客様をお席まで案内する役目の人のことでした。
ただ、案内すればいいというものではなく、お客様のなかには休憩のときにいったん外へ出て、始まってしまってからあたふたと中へ入ろうとなさる方がいらっしゃったりします。
そういう方には、
「恐れ入りますが、演奏の妨げとなりますので、曲間でご案内しますね」
とご案内します。
で、実際には演奏やほかのお客様の妨げにならなければよいわけですから、曲間ではなく、舞台が暗転するときとか、かなり長い間奏のようなものがあるときにもサッと気を利かせて案内する場合もあるそうです。
つまり、曲を熟知していないと案内できない。
そのコンサートで演奏される音楽に在る程度精通していなくてはいけないわけです。
なので、単なるアルバイトで良いわけでもなく、音大生とか夢破れて自分は演奏家になることができなかったけれども、何かしら音楽の仕事にはかかわり続けていたい、という人などが多いらしいです。



さて、そのコンサートの打ち合わせをしていたとき、コンサートは夜でしたが、スタッフは舞台設営からリハーサルもあるので、もっとずっと早く、午前中から詰めています。
そこで、
「お弁当の用意はどうする?」
という話になりました。
お昼はなんとか食べられるだろうけれども、夜もお弁当は用意するのか? どうするのだ? という話になりました。
1人のスタッフが、
「コンサート自体が始まってしまえば、もうそんなに気が張る仕事はないと思うんだよね。だからコンサートが始まってからこそこそっと人目につかないようなところで、夕食もお弁当にしたらいいのではないか?」
と言いました。
裏方のスタッフはそうすることになりました。
そして、
「レセプショニストたちはどうする?」
と知人に聞きました。
知人は、
「必要ない」
と言いました。
そのスタッフはなおも食い下がって、
「ほんとうにいいですか? お腹すきますよ。どこかで食べる隙間時間は見つかると思いますよ」
と重ねて聞きました。
まぁ、休憩でちょっとぼやぼやしちゃって、開始までに自分の席に戻れなかったとか、その反対にどうしても気分が悪くなる、などの理由で曲の途中だけれども退席しようとする人などめったにいないだろうし、仮にいらしたとしても、全レセプショニストが(各ドアごとに配置していましたので)張りつめてそれを監視している必要もなかろう、とそのスタッフは言いたかったのでしょう。
しかし、知人はそれに対してこう言い放ちました。
「必要ないです。彼女たちの仕事はコンサートを守ることなのですから」



この一言で座が一気にピンと張りつめたような気がしました。
確かに、“コンサートの守り人”なのであれば、いくらまずそういうことはなかろうといっても、隙間時間を見つけて交代とかで食事の時間をとるのはおかしなものでしょう。
まるで戦場に出かけて、まさに合戦のさなかだというのに、まだ遠いところでのことだから、と悠々と食事をとるようなものです。
レセプショニストたちはその時間、完全にON BUSINESSなわけです。
そのときにいかに日常なら夕食の時間だから、といって食事をとらせるというのは仕事に対する意識が薄い、と言われてもしょうがないことになりましょう。
私も、レセプショニストの仕事は? と言われて、
「え~と、席へ案内したり、席を離れた人を上手にまた席につかせたり・・」
などと説明されるより、
「コンサートを守る役目の人」
とズバッと言われたほうが、その位置づけが明確に浮かび上がった気がしました。



そして、仕事ってこういうことだよな、って思いました。
具体的な行動をいちいち指示することじゃない。
本来の役割をびしっとまずは腹に入れてもらうことだ、と。
例えば、主婦にしたって、
「主婦ってなに?」
と尋ねられたとき、
「えーと、家族のために食事をつくったり、洗濯したり、掃除したり・・」
なんていちいちあげつらうより、
「家族の幸せのために、家庭でのいろんな雑事が円滑に執り行われるようにする人」
と言ったほうがピンときませんか。
そしてよし、ならばその役目やってやろうじゃないか、という本人の奮起も促せそうな気がします。
自分の仕事の本質ってなんだ? と改めて思いました。



パリへ行った妻と娘  ~人付き合いを学ぶ~

2019-10-03 09:01:35 | 本と雑誌
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
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   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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さて、昨日は「パリへ行った妻と娘」を読んで、夫婦の恋愛観に考えさせられるものがあったことを書きました。
今日はそこから派生して、子育てにおいてもこうやってホームパーティに人を呼んだり、出かけたりして人付き合いを教えていくのか、と感心したことについてシェアしたいと思います。



本のなかでは、パリに来て著者、妻、娘、娘がパリでお世話になっている家の息子2人、そして著者のジャーナリスト仲間の6人でディスコに行くところがあります。
う~ん、ディスコっていうか社交ダンスの曲もかかったりするダンスホールって感じですかね。
この6人のメンバー、なかなか複雑に絡み合っていまして、パリでお世話になっている息子の長男、ピエールのほうは著者の娘に恋をしています。
めっちゃウブで、彼女がちょっと日本へ帰るってことになったときは(バカンスでちょっと帰るだけですよ!)、見送りに来た空港で、みんなの前で泣き出してしまうほどです。
こちらは娘より1歳年下の19歳。
そして著者のジャーナリスト仲間ハワードは良い年をしているのに(たぶん40代?)、これまた娘に恋しています。
ハワードもピエールも著者の娘に恋している、ていうことはこの6人の中ですでに周知の事実なんです。
そして娘は、といえば、思われることが嬉しいという感じで、2人の間でとくに意思表示することもなくふわふわとしています。



そしていざディスコへ行くと、さすがハワードは大人の男性の手馴れた様子で、娘のユンを踊りに誘います。
ひとりぽつねんと残されたピエールはもう今にも泣きべそをかきそうな顔で、じっとテーブルに座っています。
2人の踊りはなかなか終わりそうもなく、やっとテーブルに戻ってきたかと思いきや、ふたりでカウンターのスツールの方に座り、なにやらハワードはユンの肩に手を回し、真剣に愛を囁いているような様子です。
ユンもまんざらではないという感じでうっとりとしている様子です。
それを見てどんどん落ち込みがひどくなるピエール。
ウブなピエールは、そんな2人に割り込んで、
「お取込み中悪いけれど、ちょっと僕とも踊ってくれないかい?」
などと言ってユンを連れ出すなんてスマートなことも出来ないのです。



さすがにこの様子を見ていて、「このままで今日はお開き」ってわけにはいかん、と皆が思い、それぞれに行動を始めるわけです。
これがすごい。
私がもし、ここでハワードとユンとピエールという当事者以外の人間なら、
「まぁ、仕方がないんじゃない。本人たちの問題なんだから。ハタチになろうとするような年齢の2人ともっと大人の人がやることなんて、私がとやかく世話を焼くようなことじゃない」
と見て見ぬふり、放ったらかしにすると思います。
それをここではまず、著者の妻がハワードにうまく、
「ちょっと私と踊って下さらない?」
とフロアに連れ出します。
社交上、年上の女性の申し出を断るなんてそんな恥をかかせるようなことは男としてあるまじき行為なので、ハワードはしぶしぶ、ですが、そんなことはおくびにも出さずに、
「おう、喜んで、マダム」
とか言ってフロアに出ていくわけです。
その隙に今度は、ピエールの弟のルイがわざとふざけて見せたりして、兄をフロアに連れ出し、ユンもうまく連れ出し、2人で踊らせることに成功します。
このピエールとルイが何歳違いの兄弟だったか本に書いてあったか忘れてしまいましたが、まぁ、2つ3つの違いだとして16,7歳。
こんな高校生ぐらいの人間が、シャイな兄のために道化役を買って出て、うまくふたりをまとめる、って日本の高校生が出来ます!?
これは兄のため、とか恋愛に関してのときだけ、というのではなく、単に
「困っている人を見かけたら、どうしてあげたらその人が笑顔になるか」
ということを人付き合いの中で常に考えるクセ、というものを小さい頃からつけさせる訓練を、このような大人の場や家族として訪れる場でしつけられてきた、としか思えないんですよね。



日本だったら、高校生同士の子どもたちが付き合うって言ったって、それを親に報告ぐらいはしたとしても、2人でディズニーランド行くとか映画見るとか、ゲームセンター行く、とかとにかく高校生の年齢で出入りできるところに2人きりで行く、という付き合いになるだけのことでしょう。
そして帰ってきたら
「どうだった?」
ぐらいも聞くかもしれませんが、
「別に。楽しかったよ」
でおしまいでしょう。
仮に
「今日は両親に紹介するよ」
なんて言って、家に連れてきたとしても、玄関先でこちこちになりながら
「こんにちは」
というだけで、あとは2人きりではないでしょうか。
親が心配してケーキと紅茶ぐらいを後で運んできても、なんとなく2人の様子をうかがいたいだけで、またそそくさと部屋を出ていくのが常でしょうねぇ。
外国のように自分の息子が彼女を連れて家にやってきたなら、家族全員でリビングで何か共通の話題について話すとか、一緒に食事をしていく、というフレンドリーな家ってあまりないのでは、と思います。
でも、こうしてある程度、家族同士で付き合うことが当たり前になっているような風習や文化を持っていないと恋愛のときにどう女の子をエスコートするか、だけではなく、人付き合いそのものが学べないんだろうなぁ、としみじみ思いました。
恋愛関係うんぬん以前に、人としてどう付き合うか、ということを日本社会ではあまりにもしていないように思います。
逆に遠慮しすぎる、っていうか。
もっと自分の子どもが彼氏や彼女を家に連れてきたときなんかはフランクに親もその中に一緒に入っていいんじゃないか、って思いましたね。



こんなシーンもありました。
一家が日本に帰っているとき、ピエールがバカンスをとって日本に遊びに来るのです。
娘はピエール一家の家でお世話になっているわけですから、その息子が今度は日本へやってくるとなれば、著者の家に泊まっていくのは当たり前。
そのときに、フランスのように何部屋もあるような家でない日本で、夫妻はどのような部屋割りにしようか、ハタと悩みます。
さばけた夫妻はもし娘がピエールとすでに肉体関係をもっているのなら、それはそれで良い、と思います。
2人をいっしょの部屋にしてやればよいだけなのだから、と。
しかし、もし2人がまだそんな関係ではないのなら、もし気を利かせたつもりで2人を同じ部屋にして、その期間に2人でデキてしまったら、自分たちはルロワ夫妻(ピエールのご両親のことです)に顔向けができない、と考える。
手塩にかけて箱入り息子だったピエールが、初めての経験をしたのが信用していた日本の夫妻の家にやったときだったなんて!と後で知ったときにはどう感じるだろう・・?と思うと、2人はここで、じゃない、ここでというのは阻止しなければ、と思うわけです。
そしてどうしよう、どうしよう、と悩み、あ、そうか娘に直接聞けばいいんだ、と気付きます。
そして母は、直截的に娘に
「あんた、ピエールとはもうそういう関係かい?」
と聞くのです。
娘はからからと笑って、
「ママン、私たちラムールじゃないよ」(深い愛の関係じゃないよ、という意味でしょう)
と言います。
だから夫妻はピエールに、寝るときは1人のベッドルームを与えることにするのです。



これは結局、ピエールがいつも弟と一緒に寝ていて1人で寝たことはないから1人だと眠れない、と言い出したので、結局娘と一緒の部屋で寝ることになるのですが、その様子はただのアシカ2頭が同じスペースに寝ていましたとさ、というほどのものでした、というオチつきですが。



私が小さい頃は仲のよい友人の家に泊まったり、友人が泊りに来たり、ということは夏休みなどの長期の休みのときにはよくあることでした。
しかし、今ではそういうこともあまりなくなったような気がします。
そりゃ預かるほうとしては、自分の家に招いた間にもし何かあったら・・と思うと気が気ではないでしょうし、昔のようにどこかに畳の、どのようにでも使えるというフレキシブルな部屋が1つはあります、という家のつくりではなくなっていますから、ゲストが泊りにきても、そういうスペースをねん出できないからでしょうね。
でも、このように人が泊りに来たり、行ったり、ということを私はとても懐かしく思い返しました。
そして時には「肌寄せ合うも他生の縁」(「袖擦り合うも他生の縁」よりはもう少し濃い関係って意味ね)ではないですが、そういうことがないと人との距離感がはかれなくなることもあるのでは、と思ったのでした。


「パリへ行った妻と娘」  ~恋愛観について~

2019-10-02 09:01:49 | 本と雑誌
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                          リリース!  
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   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

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[内容]
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 ・色の性質
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 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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いよいよ10月に入って、消費税が10%になりましたね。
うちではなぁ~んも買いだめもしませんでしたし、大物の買い物もしませんでした。
食品は8%のままだし、今のところ、何にも実感がないです。



気学の先生からのメルマガには、昨日、
『今日からカレンダー上では10月に入ります。
私の周りには会社を辞めたり、転職の準備をしたり、さらには今日から新しい会社に入社される方もいらっしゃいます。そういう方がやけに多いなと思ったら、今年は八白土星中宮の年。変化にちゃんと乗れている方々なんですね。みなさん前向きに人生に取り組んでいらっしゃいます。心からのエールを送るとともに、私もちゃんと今年の気に乗ろうと、新たな決心をしています。
変化・改革を起こすためには、今までのままでは無理です。人間関係も含めて不要なものを捨てていく勇気と行動が必要です。今年の十二支は亥。核、つまり種のことです。秋になると実がなって、木から落ち、果肉の部分が朽ち落ちて、最後に残る部分。不要なものを削ぎ落として必要なものだけに凝縮しておくと、春にまた芽吹いていきます。
不要なものをできるだけ削ぎ落とし、今年の変化にちゃんと乗っておくことで、来年以降の人生『吉祥開花』につながっていくのです。』
と書いてありました。
なんでなのか不勉強な私にはよくわかりませんが、今は変化のときなんですね。
そして乙女座の私は、10月に入ると少し運気が上昇するらしく、今月はそのためには静かに本を読んだりして英気を養っておくとよいらしいです。



さて、だからというわけでもありませんが、最近私は読書づいています。
4日間ほど連続して「サイゴンから来た妻と娘」について書いた3日前、そのときにも書きましたが、私は彼らの「その後」が気になって仕方がありませんでした。
近藤紘一という紛争地帯に出かけるジャーナリストがどんな眼で東南アジアを見つめてきたのか、ということも知りたかったし、彼の生きざま(=死にざま)にも興味があったので、続けてシリーズもの(らしい)「パリへ行った妻と娘」を読みました。



こちらは残念ながら、近藤さんのジャーナリストの目線がわかるようなことはありませんでした。
ほんとに彼らの日常風景が描かれているものでした。
娘のユンが日本に来てから彼女の学力の低さから日本型の詰め込み教育にはとてもついていけないだろうと思った著者が、彼女をフランス語のリセに入学させるのですが、そこでもこのまま進級するのは難しいかも、という当落ギリギリラインになり、学長から
「良い提案があります。本国のフランスのリセにやれば、ここほど厳しくないから彼女でも進級できると思います」
と言われ、本人も乗り気だし、著者も以前に特派員としてパリにいたことはあるので勝手知ったる、というわけで娘を単身フランスにやる、というところから物語は始まります。
そしてそれを寂しがり訪ねて行った母親(著者の妻)がなんと、突然パリにマンションを買ってしまい、著者も体調を崩したので、会社には長期休暇願をだし、そのアパルトマンでちょっとゆっくりした、という日常が描かれているわけです。
だから、「そこまで他人の家庭を覗きたかったわけではないんだけれど・・」と、なぜか勝手に自分を恥じ入るような気持ちになってしまい、小さい頃、家族に隠れて「11PM」(これがわかる人はほとんどいまい・・)を見ていたときのような気持ちになりながら、こそこそと読みました。



でもやはり、この人の書く本、「はぁ~、そういうことかぁ」という発見がいっぱいあります。
たとえば、恋愛観。
著者の夫婦は実にさばけています。
綺麗事をいえば、たとえ夫婦であろうともお互いを束縛しない強さをお互いが持っています。
と、片づければそれだけのことなのですけれども、それが個人的な倫理観だけに基づくものではない、ということが、前に読んだ「サイゴンから来た妻と娘」でもうかがい知れる気がしてならないのです。
戦禍の中で生き抜くために身に着けた知恵や、自国内だけで生きていくわけではない、というグローバルな感覚を持ち合わせていると、しょせん日本人が持っている不倫や不貞の感覚って輪中のちっぽけなものではないか、という気すらしてきます。



どういうことか、と言いますと、先ほどベトナム人の妻が娘の様子を訪ねにパリへ行き、衝動的にアパルトマンを買ってしまった、と書きましたが、実はこれ、彼女にしてみれば衝動的ではなく、少し前から計画的に考えていたことのようだ、ということが著者にも次第にわかってくるシーンがあります。
彼女の昔の恋人がパリに住んでおり、彼とまだ手紙のやりとりをしていた彼女は、その人に
「良いアパルトマンがあったら紹介してくれないか」
と以前から打診していたようなのです。
でも、著者は
「あぁ、そうか。そうだろうなぁ。彼女は生国を追われ、世界中を飛び回っていていつどうなるかわからない日本人の俺と結婚して、日本でも社宅に住み、ほんとうの自分の持家というものがない状態では、俺に万が一のことがあったとき、不安だったろう」
と納得します。
そしてあるとき、妻の元彼から来た手紙の最後にチラと、
「愛しい人よ。今も私はあなたを熱烈に愛している」
という文言があるのが見えてしまいます。
これ、通常なら相当に動揺するフレーズですよねぇ。
でも、これもこの著者にかかるとこういう表現になります。



『私は妻を信用している。その言葉を、ではなく、彼女の行為を全面的に許容する、という意味でだ。ある程度の嘘や裏切りは、お互い様である。妻はその程度を超えた行為に走るような女性ではない。かりに走ったところで、心理的な貸借対照表は常にわたしを債務者の立場に置いている。彼女との結婚を決めたとき、私自身すでにそのことを織り込み済みであった以上、今さら文句はつけられない。』
ようは平たく言えば、妻が何をしようが、最終的に1番愛しているし、生活を共にしたいと思っているのが自分であればそれでよいのだ、と彼は言っているわけです。
オトナ~!
そしてその言葉どおり、彼らはお互いの事情や現在の関係もすべて呑み込んだうえで、オトナの付き合いをします。
家に招いたり、招かれたり、ってやつです。
これって、海外の人って実にスマートにやりますよねぇ。(まぁ、「海外」って一口に片づけるわけにはいかないでしょうけれども)
以前は、ご近所同士やちょっとした知り合い程度でも家へ招いたり、招かれたりをやるのは日本のようにせせこましい土地ではなく、広大な土地にぽつんぽつんと家があるようなところだからだわ、と思っていました。
お隣さんが500mも2kmも離れたようなところにしかなければ、人恋しくなるんだろう、と。
しかし、この本を読んでおおいに考えが変わりました。
こういうことをやりあうことによって、人は人との距離感、付き合い方というものを学んでいく、「生きた社交場」としての勉強の場なんだな、と思ったのです。
学校の勉強の出来不出来とは全然別の次元で、こういう人付き合いを学んでおかなければまともな大人にはなれないぞ、という。
それは、彼ら夫婦だけの恋愛観という問題ではなく、娘の教育のなかにも色濃く表れていました。
それについてはまた明日。



穴場探検

2019-10-01 09:01:01 | まち歩き
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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最近の日曜日、ダーリンと私はひなびた日帰り温泉を探し入ってくることを楽しみとしています。
というのも、少し前に
「いつも同じ温泉ばかり行くから、たまには違うところに行ってみようか」
とダーリンが言い、そうだね、それもいいわね、と同意し、車で1時間程度で行ける範囲の温泉を検索し、行ってみたところ、私はたいそうそこが気に入ったのでした。
たしかにひなびている。
小奇麗で、しゃれたカフェやケーキ屋さんでも併設されているトレンディな日帰り温泉とは全然違います。
だから、当然ながら来る人もひなびた年寄りが多い。(ま、自分も含めてね・・)
入るとすぐになぜかババくさ~い洋服や下着がハンガーにかけて売っているようなところ。
ラーメンやうどん程度のファストフード店とも呼べぬ茶屋ぐらいがあってね。
しかし、ここは泉質が素晴らしかった!
そして空いている。
ゆったりできる。
私にとってはそれが何より。
何が悲しくてわざわざ休みの日に混雑しているような場所に行かにゃならん、と思うほうなので、“穴場”というような表現がふさわしいところの方が、いかにも
「見―っつけた!」
という気分になってよろしいのでした。



さて、それに味をしめ、先日の日曜日にはまたそれよりもっとひなびた感じのところへ行こう、とダーリンが言う。
そこはダーリンがたまに釣りに行く場所に近いところらしい。
「ま、もしよくなくてもさ、話のネタに1回行っておこうよ」
と出かけました。
そこは三重県桑名市にあるところだったので、堤防道路を使ってずっと下道を行きました。
すると途中で、「海津アクアワールド水郷公園」というところがあったので、寄り道してみることにしました。
このあたりは木曽川と長良川と揖斐川が入り組んで合流したりするところなのでなんかそのへんで「水郷の街」というのを売りにしたかったのかもしれません。
海津市自体はなぁ~もないようなところなので。
日曜日だというのに、ほんの1組、2組の親子連れがいるだけ。
すばらしく閑散としています。
まぁ、それも道理だわなぁ、という感じでした。
というのは、何棟かの住宅展示場として使われていたのでは?という感じの立派な家が池の周りに建てられているのですが、その家がそれぞれ体験工房として使われているのですね。
チラと拝見した限りでは表に小さな看板が出ていたりして、それによると「ハーバリウム」とか「紙人形」とか「トールペイント」とか、要するにカルチャーセンターなどで1日体験教室でありそうなメニューでした。
そういうところでやれば、さぞや人気を博すであろうものであっても、なにせ、この公園への来場者そのものがほんの数組ではねぇ・・
しかも、ごく普通の住宅のどれかの部屋でやっている、ということなわけですから、外から見ても
「あ~、やってる、やってる。なんか楽しそう。あんな感じならちょっと私もやってみたい」とか、
「のぞいてみたい」
というそそるものではなく、これはハナから主催者側が
「○月○日、私はここでこういうことをやっていますから是非来てね~」
と自らの知り合いに声をかけないかぎり、誰も来ないでしょうね。
しかも、全棟で示し合わせてなにかテーマがある、とか派手にやっている、ともなればチラシで配布されるのかもしれませんが、何棟かあるうちの3つかそこいらがやっていて、ほかは閉鎖されている、となればぶらっと来てみて楽しいものでもないしねぇ。



それでも私たち2人はこの公園内を散策し、ことのほかここが気に入ったのでした。
それはここがどの家もとても素敵で、
「こんなところに住めたらいい雰囲気よねぇ」
というところだったからでした。
家の前の道はRに切ってあり、花壇には花が咲き乱れている。
いったいどこまでが自分の土地で、どこからがお隣のものなのか、公共のものなのかよくわからない。
よくわからなくていいじゃないか、この辺に住んでいる人たちみんなのもので、というようなつくり。
裏庭に出たら、池のほとりにテーブルとイスを持ち出し、いつまでも水面を眺めてぼんやりと出来そう。
なにせ、日本って感じじゃないんですよね。
「赤毛のアン」かなんかに出てきそうな雰囲気。
ここでぼーっと座っていたら、自分も「大草原の小さな家」とかの主人公になった気分。
「いい感じだね~ 使い方を持て余しているなら、いっそマジで一般に払い下げたらいいのに。こんなの、みんなすぐ売れるんじゃないのぉ?」
とわたし。
家へ帰ってきてから調べて分かったのですが、ここは以前は「風車と蓮の池」ということで有名な場所だったらしい。
けれど、いつからかなぜか原因不明のまま蓮が全滅してしまい、それを見に訪れる人がいなくなってしまって閑古鳥が鳴くようになってしまったようです。
ウィキペディアには「環境教育に関する様々な情報の発信、環境教育に関する活動の支援を行う公園拠点」とありましたが、だいたいこういうふうに“教育”とか掲げだすとろくなことにならないんだよね。
う~ん、もったいないなぁ。
しかし、私たち的には“穴場”を見つけたね、またもう少し涼しくなって紅葉の頃になったらどうなっているのか来てみようか、と言ってしごくご満悦だったのでした。



目的の温泉の近くに来ると、ダーリンが
「ここが俺がいつも釣りに来るところ」
と紹介してくれたのは、伊勢湾の入り江。
秋の雲と夏の雲が混在していて、空がとても近い。
いい雰囲気のところでした。
この風景ひとつ、このなかでの空気ひとつとっても、ぼけーっと家に居たら味わえないものでしたから、こういうことの1つ1つが私にはとても嬉しい。
ただ温泉に来るだけだったら一直線に来て温泉入ってハイ、それでおしまい、だけれど、“穴場”に寄り道して
「へー、こんなところがあるんだねぇ」
などと発見する楽しみ。
これが何にも代えがたいのです。



あ、肝心の温泉は「桑名天然温泉元気村」というところでしたが、どこが元気なんだか・・・。(※こちらはHPからお借りした画像です)
もう外見からしてひなびているし、入口にも中にも
「トイレだけをお貸しすることは中止になりました」
という貼り紙がべたべた貼ってあって、なんか笑えました。
きっとダーリンのような釣り人たちが近くにいっぱいいる場所なので、そういう人々が以前は「トイレだけすみません、貸して~」と訪れていたのを気よく、「どうぞ、どうぞ」って言ってたんだろうなぁ・・
でも、そんなことどこかで歯止めをかけなくちゃ水道代だってばかにならないんだから、ってことで経営者から「やめろ」ってお達しが出たのかなぁ、とかいらぬ空想をしてしまいました。
洗い場が今のトレンディなところだと1つずつ個室よろしく壁で仕切ってあるのが普通ですが、ここは昔ながらの銭湯スタイル。
だからもし混んでいたらやだなぁ、と思ったのですが、なんと私1人だけ!
貸きり状態でした。
う~ん、いくら空いているのが良いと言っても、これはあまりに寂しすぎるぞ・・
でも洗い場の蛇口から出てくるお湯も源泉からひいているので少しぬるっとしていい感じ。
う~む、確かにここも穴場だわ。
穴場探検満喫の日曜日でした。