団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

大相撲 両手をついての仕切り

2024年03月18日 | Weblog

 昨日の日曜日で大相撲春場所は、8日目を終えた。今回の場所では、新旧交代の感を禁じ得ない。

 大相撲の場所中、週日は録画して、妻が帰宅してから夕食をとりながら観戦する。晩酌のせいもあるが妻の熱中ぶりは、私にとって相撲の取り組みに負けじ劣らずの見ものである。妻も私も何事においても好き嫌いがはげしい。当然、取り組みによっては、妻のひいきの力士と私のひいきの力士がぶつかることもある。応援のパワーは、妻の方が圧倒的である。私は、常に劣勢に立たされるが、妻の熱の入れようのおかげで、相撲観戦の楽しみが倍増する。大相撲の場所中の15日間は、日常生活の充実度が跳ね上がる。妻は、長距離通勤を負担に感じている。でも大相撲の場所中は、すでに終わって結果が出ているにも関わらず、晩酌しながら観戦するのが楽しみで、通勤に関しての不満を口にしなくなる。私も結構気を遣って妻の帰りを待つ。ニュースなどでその日の取り組みの結果を聞きそうになると、チャンネルを変える。妻と同じ条件で観るために、じっと録画再生の時を待つ。

  土日は、録画でなくて、リアルタイムでの観戦できる。午後4時からテレビを観る。それも4Kで観られる。うちの録画機は、ジデジしか録画できない。画質が4Kに比べて悪い。4Kだとマワシの色、制限時間いっぱい前に使うマワシと同じ色あいのタオル、力士の膚の艶、土俵の土の色、撒かれる塩の白さ、行司の軍配の色・文字・絵柄までが、クリアにリアルに再現される。

  最近タケシさんが、「日本のテレビは、どこかへ行って何か食う番組ばかりでつまらない」と言ったとか。私もそう思っている。かまいたちの山内が薬局で医師の処方箋で薬を受け取る際に、薬剤師にいろいろ医師と同じ質問をされるのが時間の無駄だと言って、批判されているらしい。私もそう思っている。ただそれを口にすることはない。あくまでも個人の感想なのだ。海外で医師の処方箋をもらって、薬局へ行って薬をもらったことが数多くあるが、事務的な対応だけで、日本の薬局で受ける対応とは違った。今の世の中、SNSやテレビで何か言うとまるで無数の検閲を受けているようなことになる。そのせいかテレビでは、極端に言っていいこと悪いことが制限されてしまう。タケシさんが言うようにどこかへ行って何か食う番組ばかりになるのは、難逃れの腑抜け番組の横行という現状をつくってしまった。

  スポーツ実況は、テレビ局の管制を必要としない。観る者が安心して観ていられる。真剣勝負の爽快さ。力士が真剣にきつい稽古を毎日積み重ね、土俵と言う舞台に立つ。舞台と言うより決闘場かもしれない。そんな真面目に努力する力士の裏側で、相撲協会の暗躍が見え隠れしている。宮城野部屋の騒動である。日本人とモンゴル人との確執なのか気になる。

  大相撲の仕切りで、両手を土俵の土につける力士に好感を持ってしまう。その代表が、宇良である。宇良の仕切りは、実にいい。仕切り前、塩をちょこっとつまみ、塩を持つ手をくるっと回す。深呼吸なのか息を吸う。立ち合いに臨む。いろいろ作戦がある中、これと決めて、両手をしっかり土に付ける。爽やかで正々堂々と闘う。たとえ負けた後でも、曇りある悲壮感がない。やりぬいたという相撲が大好きな少年のような顔がいい。

 日本の政治屋も芸能人もテレビ局も、小賢しいunfairでない行動言動をやめて、宇良のような両手をちゃんと土に付け、あらゆる問題にまずぶち当たって欲しい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする