団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

新幹線と桜

2019年04月08日 | Weblog

  家の近くを新幹線が通っている。桜はいまだに多くの花をつけている。時速285キロで走り抜ける新幹線の白の車体と桜並木の桃色が良く合う。

  このところずっと快晴が続いている。1月の心臓の血管カテーテル手術以後、飽きやすい何でも途中で投げ出す私が、運動に励んでいる。一日5千歩を目標としてほぼ守り続けている。桜が綺麗なので歩くのも楽である。カメラを持って歩いている。先日から新幹線の先頭車両を構図の真ん中にして、咲き誇る桜と一緒に撮ろうとしている。先日、とても良い撮影場所を見つけた。自分だけではない。やはり同じことを思う人たちがいる。

 土手の桜の木から枝が川面に伸びている。太陽光に銀色に輝く川面。桃色の桜。白い新幹線。芽吹きが始まった薄緑の山々。青い空。鉄橋。高架橋。被写体は申し分ない。新幹線が通る橋からの距離は、数百メートルほど。私の他に本職の写真家らしき若い男性が2人いた。なぜそう思ったかというと装備の用意周到さ。そして服装。更に雰囲気。目つき。以前私の要請で写真家齋藤亮一にサハリンへ私の本のために写真を撮りに行ってもらった。齋藤亮一の写真集『BALKAN』に魅了されたからである。彼の印象が彼らに見て取れた。二人は仲間ではないらしい。二人とも三脚を構え、カメラには、どでかい望遠レンズがついている。調べてみると一本100万円以上する。私のカメラは80倍ズーム付きで3万円くらいのカメラである。二人ともそれぞれが時刻表を見てはカメラを構えている。私は彼らの動きを盗み見する。すると新幹線がもの凄い速度で通過する。構図は最高。しかし私がシャッターを切るとすでに先頭はいない。ただ白い帯状の車両が流れて写っていた。

 コキイチの私は、何もしていない時でも体が揺れている感覚が付きまとう。足元もおぼつかず、ちょっとの段差によくつまずいてこけそうになる。瞬間という動きには、とても追いつけない。若い写真家が超望遠レンズで通過する時間に見当をつけて三脚に固定されたカメラのシャッターを連続して切る。「カシャカシャカシャ」と小気味いい。私は体の揺れているような感覚を抑えて、腕の震え、手のぶれ、指のこわばりと闘いながらモニター画面を見つめる。画面がぼんやりとしか見えない。メガネは二つ。近眼と老眼。その時は近眼を着装。構図は最高。気象条件も良好。「今だ」とシャッターボタンを押す。「パ シャッン」先頭車両がいない。遅いのである。私の現状とよく似ている。身の程。結局、7枚撮ったが、先頭車両の入った桜は撮れなかった。失敗作:

 4月7日日曜日、再び散歩日和。妻と買い物がてら散歩に出た。桜がまだ綺麗に咲いている。構図も条件も良い。買い物を終えて川沿いの桜並木を二人で歩いた。他にも散歩する人たちがいたが、先日のように写真家らしき人はいなかった。今度は良い写真が撮れそうな気がした。写真家を気にすることもない。妻は私を残してどんどん先へ進んでいた。シャッターチャンスをじっと待つ。私は息を止め、新幹線の先頭車両を構図の真ん中に入れ、シャッターを押そうとした。降りない。画面に枠に囲まれた表示。「カードが入っていません」デジタルカメラにフィルムは必要ない。でもSDカードは必要だ。自分にあきれた。妻を追った。追いついて息を弾ませながら報告した。「カメラにSDカード入れてなかった」 妻が声をあげて笑った。私も笑った。思うような写真は撮れないが、順調に老いている。

 被写体の一瞬を絵にする写真家は凄いと思う。写真家だけではない。何であれ、あることを専門にしている人々を尊敬する。職人という言葉が好き。多くの素人がいて、専門家がいる。専門家と呼ばれる人々は、それだけの才能と努力を惜しまない。金もかかる。時間もかかる。素人の私が試みても中々思うような写真が撮れない。その苦労というか難しさを知って、更に写真家が捉えた一瞬を鑑賞、称賛できるようになった。素人というのも良いものだ。

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