団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

教員と過重労働

2015年08月28日 | Weblog

  「学校の先生に夏休みはある?」名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授内田良さんのレポートを読んだ。内田准教授は「結論を先に言えば、先生は休んでいない。夏休み中の日々は、立派な勤務日だ。それどころか、平日でも残業をし、さらには土日に出勤することさえしばしばある」と言う。多くの教員が過重労働によって本来の教えることにエネルギーを集中させられていないことを私はこのレポートで知った。

  岩手県で起きた中学2年生の男子生徒のイジメによる自殺事件は私を出口のない迷路に押し込んだ。いったいどれほどの犠牲者がでれば教育機関に変化を促せられるのか。教育立国を目指すと掛け声は勇ましいが、教育分野の後進性は遅々として前進しない。ただ今回の事件の報道から自殺した生徒と担任女性教師との間で交わされていた連絡生徒ノートの記載が頻繁であったことを知った。これだけの記述には教師の相当な負担であったと推測する。

 私の中学生の孫の英語の期末テストの答案を見た。マルとバツと点数しか書いてない。私が中学生だった50数年前と変わっていない。これではテストがただの成績競争の順位決定手段でしかない。テストでの解答結果は、生徒の学習到達度、理解度を知る宝庫である。そこを生徒に示し指導すれば、生徒の学習は前進できる。

 私はカナダの高校に転校して感心したことがある。提出した宿題でも答案用紙でも日本の通信添削会社に負けないくらい丁寧に添削指導してあったことだ。私はこんなに懇切丁寧に書き込みをしてくれるカナダの教員は凄いと思った。ところが実態は違った。各教員にはスチューデントワークという学校への奉仕活動の一貫で1日2時間教師の業務を手伝う制度があった。大学部の学生が教員を補助していた。テストで生徒が間違えたところには、丁寧な添削が書き込まれていた。カナダに行く前に学んでいた日本の高校でそんな書き込みはなかった。点数が全てだった。

 私は確かに日本の高校での成績は良くなかった。カナダに行ったことで転地療養のようにみるみる成績は良くなった。それはひとえにテストごとの丁寧な添削のおかげだった。帰国して日本では教員になれないとわかり、私は塾を始めた。そしてカナダで経験した生徒のテスト結果を分析添削する方法を取り入れた。これが大きな効果を上げ、成績不振の生徒の役に立った。

 文部科学省は24日、2016年度予算の概算要求で、公立小中学校の教職員定数を3040人増やすことを求めることを決めた。それも必要なことであろう。しかし教員ばかり増やしても今までと同じことをしていては教育改革はなされない。教員の過重労働を軽減することもできない。

  私に提案がある。日本の公立学校に大学の教育学部の学生が教員の業務を手伝う制度の導入である。教育学部の学生に一定期間必修させて単位を与える。教育立国を目指すなら、徴兵制うんぬんを論ずるより教育学部や教員を目指す大学生の動員で教員の援護が必要だ。教員の過重労働を軽減するだけでなく、学生にぜひテストの添削もさせて欲しい。それは学生が教師になったあかつきには大きな教え方のヒントになるであろう。理解できないでいる生徒の理解できない点はそれぞれに違う。通り一遍の教え方やテストの採点だけでは生徒の学力は伸びない。

  最近、塾の講師に資格試験を課す動きがあるという。官僚の利権あさりの臭いがプンプン漂う。文部科学省は塾になど顔を向けず、学校運営、生徒の理解度と学力向上に努めるべきである。塾が必要なくなる学校教育こそ日本が教育立国となる必須条件だと元塾講師の私は考える。

 

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