団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

アブ、ウシそれとも馬

2015年08月24日 | Weblog

  15日土曜日、妻がアブに刺された。それともかじられたというべきか。昆虫図鑑で調べてみた。図鑑には『刺す』と記されていた。私が妻を刺したアブを観察した点で照らし合わせてみると“シロアブ”だと判明した。赤丸の中に太い線で赤い×印がついていた。これには脚注がついていた。「このマークは刺したり毒をもっている危険なものにつけてあります」

 人や動物を刺すアブはメスのみだという。不思議なことに私と妻が一緒にいて虫に刺されるのは常に妻のみである。考えられることは①妻の体から特別な虫を呼び寄せる物質が出ている②私の加齢臭を虫が嫌っている、のどちらかである。刺された箇所はいつもの通り赤く腫れ10円玉くらいになり中心部には固いしこりができた。妻は私に塗り薬をつけるよう頼み、何か薬も飲んだ。

 図鑑を読んでいて気が付いた。英語ではアブをhorsefly(馬にとりつくハエ)というが、日本のアブはウシアブとかアカウシアブと牛を使う。何かに名前をつけるには理由があるはずである。英語で馬を使うのはアブが英語圏では馬を好んで群がり馬の血を吸うのだろう。一方日本では人々はアブが牛に集るのを見てウシをアブにつけたと推察される。いずれにしても名前が決められる起源は興味深い。

 私はカナダの全寮制の学校で生徒に課せられる一日2時間の学校への奉仕活動で56頭いた乳牛の世話を選んだ。その学校は自給自足を目指す学校だった。一頭の見目麗しい乳牛、私は秘かにその乳牛を“ベティ”と呼んだ、の担当を任された。日本の中学で使っていた教科書の『ジャック アンド ベティ』から名付けた。ホームシックになったほど外国での慣れない生活の中で、英語を必要としなかったベティとの付き合いは私の張り合いだった。

 どんなにベティが好きでもひとつだけ受け入れらないことがあった。糞の片付け、搾乳前の乳房の洗浄、マッサージ、毛づくろい、どれも嫌だと思わなかった。夏、牛舎にはアブが飛び交った。ベティは必死にアブを尾で追い払おうとした。尾の先の毛には糞がたっぷりついていた。尾を洗浄する時間はない。アブさえいなければベティはいつも私に優しかった。ベティの尾はアブを叩き落とそうと渾身の力で振り回される。乳搾りをしている私の口の高さとアブがとまる場所がシンクロする。私の両手は作業でふさがっていた。私の顔面を巻きつけるように糞がこびりついている尾が当たる。当たるだけならいい。尾は私の唇を上下に押し拡げ付着物をこすり付ける。私の頭がそこになければ、その一撃はアブをとらえていたに違いない。こうして私はベティの糞まで口に入れてしまった。アブがいる間ほぼ毎日だった。これだけはどうしても我慢ならなかった。

 私の経験から英語でもアブはcowfly(ウシアブ)のほうが納得いく。言葉は本当に興味深い。

 妻が23日の日曜日の午後、疲れ果てて田舎から帰宅した。入院中の妻の母親の件で病院から呼び出されたからだった。15日にアブに刺された痕をチェックすると、だいぶ腫れもひいて赤みも薄くなってきていた。

 大阪で殺され遺体を遺棄された中学1年生の2人のうち、男の子が竹林の草むらから発見された。妻のアブの刺された箇所を見て男の子の体に無数の昆虫が集っていたであろうと急にこみ上げるものがあった。人間はアブよりどの昆虫よりずっと残虐である。アブも昆虫も生きるために捕食する。人間は殺すことに快楽を求める怪物である。


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