暑い日、川の流れをじっと見る。勢いよく水が流れている。いったいどこからこの水は流れて来たのだろう。こんなに暑ければこんな下流に達する前に山の中から蒸発して空に昇ってしまうだろうに。それでもこれだけの水量があるとは。
アフリカのセネガルとチュニジアに計5年間暮らした。砂漠の中のオアシスにも行った。セネガルでもチュニジアでも砂漠の中に何万年もの時間をかけて塩が堆積したところも見た。砂漠とはただ水が無くてできるものだと思っていた。水も原因だが土の中の塩分濃度の上昇も一因であると知った。何百年何千年に数回しか水が流れない川の洪水の跡も見た。
家の前を流れる水量豊かな川の流れをじっと見ているとアフリカの砂漠が浮かぶ。その清流と塩分は結びつかない。川を流れる水の中にも塩分は含まれているに違いない。バランスの問題であろう。日本の自然にはバランスを保つ不思議な力があった。ところが最近の異常気象、活発化する火山活動などでその微妙なバランスが崩れてきた気がする。そんな中、バランスを保とうと自然は働いている。
最近川の水の色が変わった。注意深く観察してみた。水草である。清流の中、あちこちに緑、色濃く繁茂している。水草の魅力は流れに身を任せ、天女が衣を翻すように揺れ動く様子にある。陸上の植物のように直接私の目に入ることはない。水というこれまた不思議な媒体の中にあるため魅力は倍増する。透明、透かし見る物体は、妖艶さを感じる。ギラギラと照りつける陽光を水は反射させる。光が踊る。水草が舞う。そして水は35度近くにまで上昇した空気に精一杯跳ね上がり温度撹拌を企てる。どれほどの効果が数値で出せるのかはわからない。視覚効果は満点である。
汗をかいて自転車をこぎ坂道を上ってきた。橋を渡り桜並木の道路に入った。さーっと汗が引いた。木陰である。川端の木陰道。何とも気持ちよい。この陽気の家の中ではとてもこのそう快さは味わえない。エアコンだってこんな芸当はできない。自転車を桜の木に立てかけた。草の上に座り、リュックから水筒をだして生暖かい麦茶を飲んだ。
川面に涼を求めた。この暑さの昼下がり、アオサギも鴨も姿を現さない。1週間前とは水の色が違う。水草の緑色が川をキャンバスに絵を描く。裏山のセミ時雨が雪崩のように駆け下り、水にぶつかる。
このところ「暑い、暑い」と家の中に引き籠っていた。芝生の上で汗をタオルで拭った。思い切って外に出てみて良かった。
アフリカの砂漠で一番懐かしがった日本の景色の中に身を沈めた。サッカーのなでしこジャパンが北朝鮮に続いて韓国にも負けた。侍ジャパンも北朝鮮に負けた。選手の覇気のなさ不甲斐なさ技術のなさ連携の悪さ監督の采配の策のなさに怒り失望していた。水草も桜の並木の木陰もそんなことを忘れさせてくれた。人間は精神のバランスを失った。バランスを取り戻す唯一の方法は自然に学ぶことかもしれない。テレビ、携帯電話、パソコンのない川辺の空間は心地よかった。