団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

トイレ紙とウォシュレット

2015年08月20日 | Weblog

  ネットで興味深いニュースを見つけた。

 『9月8日にイランのテヘランでW杯アジア2次予選・アフガニスタン戦に臨むサッカー日本代表が、現地に大量のトイレットペーパーを持ち込む計画を立てていることが14日、明らかになった。アラブ式のトイレでは、紙を使わず、水を使うスタイルが一般的。もっとも、代表が宿舎に使う高級ホテルなどでは、紙を置いてある場合が多い。関係者によると、その紙の質が極めて硬く、レベルは「お尻が切れるほど」という。代表は海外に遠征する際、飲料水や食材を持参することは多いものの、トイレットペーパーの持ち込みは異例だ。(ディリースポーツ 8月15日配信)』

 私は妻の海外勤務に同行してネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、クロアチア、チュニジア、ロシアで計12年間を海外で暮らした。その間出張で多くの国々を回ることもできた。トイレ事情トイレ紙事情は私たちの重要な関心事であった。

 そもそも私が生まれて初めてロールタイプのトイレ紙を見たのはカナダの高校へ転校する前だった。それは今から50年もさかのぼる。カナダへ渡航する前に軽井沢で知り合ったアメリカン人と彼の車で北陸を旅行をした。宿に泊まらず海岸などで車の中で寝た。鉄道駅を探して駅の公衆トイレを使った。当時どこの公衆トイレも汲み取り式で臭く汚かった。アメリカ人の知人はそんなことを気にせず車の中に用意してあったロールタイプのトイレ紙を手にグルグル巻にして駅の公衆トイレに駆け込んで行った。初めて見たロールタイプのトイレ紙を障子紙のロールかと疑った。

 ロールタイプのトイレ紙は日本に1962年にアメリカの製紙会社が日本の製紙会社と提携して進出したのが始まりだと言われている。私が中学3年生だったころだ。1879年に英国で販売開始されたが、普及しなかったそうだ。1880年にアメリカの製紙会社のスコット社がアメリカで生産を始め、徐々にアメリカ中に普及した。アメリカ人知人が北陸旅行に持参したロールタイプのトイレ紙がアメリカから持ち込んだものなのか日本製だったのかはわからない。

 もちろんカナダの全寮制の高校に転校するとトイレにはロールタイプのトイレ紙は当たり前のように設置されていた。水洗トイレにロールタイプのトイレ紙に自分の日本でのトイレ履歴とトイレ紙にまつわる悪い思い出をできることなら抹消したいと願った。

 再婚した妻の海外勤務に同行して最初に住んだのはネパールだった。住んだ家借家に水洗トイレはあったが地下浸透式だったため、大雨のたびにタンクから地上にあふれだした。トイレ紙はよほどの店でないと売っていなかった。現地のトイレ紙は濡れた手で触れば、即、溶けてしまうような紙であった。当然である。ネパールに製紙産業に原料を供給できる森林はない。ネパールもインドと同じくトイレの後は、かめに入れてある水を使う。ある意味この方式はウォシュッレットの原点なのかもしれない。右手は食べるため。左手は後処理のためである。余談であるが、もしインフラ整備さえされれば、ウォシュレットが一気に普及するのは南西アジアだろう。水を使う習慣が長いので抵抗なく受け入れられるに違いない。ネパールを皮切りに妻が赴任した地で下水処理場がある所はなかった。

 先日夕食に招いてくれたイタリア人の友人が言った。「どこの国でも人は悪くない。悪いのは国家だ」 含蓄ある言葉で考えさせられる。イランでは先月19日気温50℃を超えたバスラ地方で停電が頻発。住民約3千人が「石油はいらない。電気をよこせ」のプラカードをあげてデモ行進をした。エアコンがあっても電気が来ない。怒って当然。日本も猛暑が続く。それでもインフラ整備が進んだお蔭でエアコンをいつでも必要な時に使える。下水道整備のお蔭でトイレ事情も格段と良くなった。ウォシュレットの普及。トイレ紙の品質向上。日本にはいろいろな難しい問題山積である。用をたした後、ウォシュレットを使い、香りまでついた柔らかで上質なトイレ紙を使い、立ち上がると自動で水が「グォーーパッシューン」と勢いよく吸い込まれていく。私は海外での不自由な生活環境を思い出し、よくぞ日本がここまで進歩を遂げたと思う。またこんな何もかも至れり尽くせりの環境から発展途上の国々に仕事でスポーツで派遣される日本の若者の環境への適応能力が低下するのではという危惧もある。友人の中にもウォシュレットのない国には旅行に行きたくないという人がいる。確かに便利で衛生的である。

  どんなに学歴や身分権力を手に入れ、財力を得て、飽食に明け暮れ着飾って10歳も年若く見えようが人間も動物である。どのタイプのトイレを使い、どのようなトイレ紙を使おうが、その時誰でもが逃れようなく生き物であることを教えられる。

 


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