団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

辞め際 退け時 やめっぷり

2017年06月20日 | Weblog

①    山口百恵

②    黒田博樹 ニューヨークヤンキーズ・広島カープ 投手

③    自分

①    会社、役所、組織には定年退職制度がある。最後まで勤めて無事定年退職となれば、それは立派なことだ。芸能界やスポーツの世界では、自分がどんなに続けたくても、人気や体力や成績によって進退が決まることが多い。人気絶頂の時点で自ら引退を決意することなど考えられない。その考えられないことを山口百恵は、やってしまった。すい星のように現れ、透明人間になったかの如く世間から消えた。見事としか言いようがない。

 私は山口百恵に好印象を抱いていた。連続テレビドラマなど時間的に観ることができなかったが、1974年から始まった『赤いシリーズ』は、欠かさず観た。山口百恵の歌も好きだった。彼女の退け際の美学に感嘆した。あれからすでに37年、最近山口百恵の子供たちが、芸能界にいることを知り、やはり彼女も親ばかの一人なのかとがっかりしている。山口百恵ならまさか他の芸能人のようなことをしないだろうと勝手に思っていた。それでも私が知るやめっぷりのナンバーワンは、山口百恵である。

②    去年プロ野球でセリーグのリーグ優勝を果たした広島カープに黒田博樹投手がいた。アメリカ大リーグニューヨークヤンキースで活躍していた黒田は、契約更新することなく、日本の広島カープで優勝すると決意して20億円の年棒を提示されたにもかかわらず、古巣の広島カープに戻った。それだけではなかった。広島カープは25年ぶりにリーグ優勝した。そして日本シリーズで楽天イーグルスと戦う前に黒田博樹は、今季限りで引退すると発表した。最高の幕引きだった。日本人の美徳の一つであった恩に報いるという昔気質な行動に日本人の多くが感動した。

③    ここに自分のことを当てはめるのは、おこがましい。だが私は自分も引け際を間違えなかったと思っている。離婚した後、二人の子どもをどんなことをしてでも成人させると自分自身に誓った。約15年間がむしゃらに働いた。二人の子どもへの仕送りを最優先した。再婚など考えてもいなかった。二人の子どもが自立できるようになったら、いつ死んでも良いと思って働いた。こうなったのは、すべて自分が招いたこと、子育て責任を果たすことが自分の人生の肯定につながると信じた。そしてある日突然再婚相手との出会いが訪れた。交際が始まった。そして数年後、その女性は言った。「あなたは他人の何生も生きた。後の残りは、私にください」 私の体はボロボロだった。糖尿病は、インシュリン注射する直前まで悪化していた。二人の子どもたちは大学を卒業して自立した。私は、私の残りの人生を彼女に捧げることを決意した。私は自分の事業をきっぱり辞めた。彼女の勧めで、まず糖尿病の2週間教育入院をした。結婚して25年になる。途中13年間妻の海外勤務で外国を転々とした。今、海の近くの町に終の棲家を得て、静かに暮らしている。糖尿病の合併症で心臓バイパス手術を受けたが、いまだにインシュリン注射は、打たずに済んでいる。44歳で自分の仕事をやめたからこそ、今こうして居られる。18日、父の日に二人の子どもからそれぞれプレゼントが届いた。嬉しかった。今は二人とも家庭を持ち、子どもがいる。15年の暗黒の時間が今の私を生かしている。あの間に自己改革できたからこそ、妻に私を受け入れてもらえた。子どもからも見放されなかった。これ以上望むことはない。

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