団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

気配

2010年09月03日 | Weblog
 朝、いつものように、妻が7:03発の東海道線の電車に間に合うように、6時48分に地下の駐車場から車で道路に出た。川沿いの道路を橋に向かって進む。毎日30度を超える猛暑日が続いている。それでも朝晩確実に温度が下がってきた。突然、妻が「トンボ!あんなにたくさん」と声をあげた。目をこらすと、いるいる、あっちにもこっちにも。ごく普通のトンボである。赤トンボでもシオガラトンボでもオニヤンマでもない。地味なウスバキトンボという種類だ。橋を渡って、来た道の反対側の川沿いを駅に向かって下っていった。太平洋側から射し込む、朝のやわらかな陽の光を浴びて、川面を飛ぶトンボの羽が反射して光っている。

 秋の気配を感じた。日本の季節の変化は、素晴らしい。季節から季節の変わり目に、どこからともなく漂いだす変化への気配が好きだ。特に冬から春、夏から秋への気配がいい。冬、しもやけをかばいながらコタツを出て、外をとびまわっていた。氷が張り詰めた池の上で遊び、やがて氷が解け始める。冬の間、「どうしたの!」と思う程、力不足だった太陽の光線に温かみが増し、氷が消え、波打つ池の水がぬるんでくる。あの池の水のぬるみがどれほど春を伝えてくれたことか。あの春が来るという実感が喜びをくれた。

  昼間、セミが狂ったように鳴く暑い夏、寝苦しい夜、汗でぐっしょりぬれた体を横たえた寝床に開け放った窓から、さぁーっとなんとなく涼しく感じる一陣の風が吹きぬける。日ごとに差し込む陽射しの角度が緩み、日の出日の入りの時間が後退前進し始める。

 気配は優しい。気配は気配りに通じる。急激な変化より、日々一次元、二次元、三次元、四次元の微かな振動するような変化の信号が嬉しい。日本の自然は、その信号に素直に反応する。その反応に触れる最上の方法は、散歩だろう。足と腰の故障と熱中症対策でずっと散歩に出られないでいる。今年の猛暑は、私の体力を削いでいる。ただ息するだけの日々を過している。動物によっては冬眠をする。人間になぜ夏眠がないのかと不満だ。こんな散歩もできない夏なら、夏眠して秋を待てたらどんなに楽だろう。

 文句を言いながらも、気配をつかまえた。がぜん元気がでてきた。あともう少し、あともう少しで、秋が来る。秋が来たら、この40日近くの散歩できなかった分を取り戻そうと思っている。日本の政治屋政治は最低だが、自然は最高だ!だから民主党の代表選の結果がどうだろうと私はこれからも日本に住む。日本の素晴らしい自然を愛で、世界でもたぐい稀な季節感あふれた美味しい食べ物をいただき、整ったインフラの中で本を読んで暮らす。散歩に出て、時折、自然の気配を体感できれば、我が人生それでよしとしたい。
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