団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

百科事典

2008年06月09日 | Weblog
 全36巻の平凡社『世界大百科事典』を姉夫婦からもらいうけた。

 今日、車で私の家に運んでくれた。辞典を入れた車のトランクは、重さで深く沈んでいた。管理人事務所から手押しカートを借りた。生憎の雨降りで地下駐車場に車を入れて、運び出しに濡れないようにした。

 思わぬ姉からの申し出に私は嬉しかった。子供の頃、きっと姉も私と同じことを考えていたに違いない。私たちが子供の頃、百科事典は夢のまた夢であった。食べるのさえやっとの状態であった。あの頃成金や小金持ちが家を新築すると、応接室に百科事典を飾るのが流行った。

 百科事典は不思議な力を持っている。百科事典のセットが家に備えられているだけでどんなことでも疑問が解けてしまう、そんな気持ちにさせてくれる。知識教養の象徴である。

 カナダで付き合った女の子の母親が、百科事典のセールスをやっていると聞いた。5人の子供を育てるには金がかかる。ちょうど彼女は歯の矯正を始めていた。当時の金で百万円くらいかかる。彼女の母親は車で懸命にセールスを続けていた。当然彼女の母親はセールスをしている人にはよくあるように自分の家のリビングにも百科辞典を並べていた。歯の矯正と聞くと、どうしても百科事典と結びついてしまう。

 どこの親も子どもに対して夢を持つ。それはとても貴いことである。しかし応々にして子どもは極楽トンボのようなもので、目の前にあればそのまま内容が自分の脳に納まる夢を見るだけだ。そして百科事典があることさえ忘れ、ゲームや漫画に夢中になる。

 私は幸い、子供の成長期に一緒に暮らすことがなかった。一緒に住んでいればきっと姉のように買っていたかもしれない。姉は「ほとんど開いてない」と静かに呟く。姉の夫は「ブックオフでもリサイクルショップでも冷たく“要らない”と断られた」と頭を掻いた。

 どんな理由で百科事典を手放す気になったのかは、見当もつかないし、知りたくない。今になって私の子供の頃からの夢(百科辞典が家にあれば)が叶った。 あのホリエモンは子供の頃、百科辞典を読破したという。妻の両親も積み立てをして『ジャポニカ大百科事典』全巻を買ったという。貧しい中、あれほどの買い物は最初で最後だったそうだ。妻は初めから全部読むことはあきらめ、写真とイラストは全部見ようと決めた。それは実行したという。たいしたものである。百科事典が来た日はとても嬉しかったと妻は語る。

 私は山と積まれた百科事典を前にこれから夢を見続けたいと思っている。早速“夢”を引いて読んだ。61歳の誕生日は目の前に来ている。まだ遅くない。
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