妻は毎日弁当を持って勤めに行く。弁当は朝、妻が自分でつめる。私は前の晩の夕食を作る時おかずを多めに作る。鮭、サワラ、ギンダラなどの切り身は、味噌、酒粕、塩麹を味醂で溶きガーゼに巻いてバットに入れ漬け込んである。それを焼いておかずにすることもある。妻は大きめのタッパーウエアの半分にご飯(3分づきの玄米)、残りのスペースにおかずを入れる。
私は昼食を簡単にすます。麺類が多い。月に数回、蕎麦が食べたくなると蕎麦屋へ行く。今年の2月から孫の英語の通信教育を始めた。大学ノートに孫が英語の教科書を学びやすいように私が注意点や要点をノートの左側ページに書き込む。孫はまず左ページを読んで右側のページに書き込んでいく。私が使った英和辞書英英辞書は処分に困っていたほど数多くある。モッタイナイと思っていた。そこで私は思い付いた。どうせ廃棄処分してしまうなら孫のために切り貼りしてやろう。英語の教科書に出てくる英単語を順番に辞書から切り取り、ノートに貼りつけておく。私はたっぷり時間がある。孫はサッカーと勉強を両立させている。限られた時間の中、少しでもゆとりが持てるようにと手助けしている。昔取った杵柄。私はすっかりノート作りにはまってしまった。英語を教えていた頃の自分に戻って、解説をああじゃないかこうじゃないかと考える。資料を求めて参考書や辞書を探す。グラフ、写真、図解表を取り入れる。いつしか孫のための作業が自分の勉強になった。
妻にそんな私の作業の状況を話した。妻が「そんなに夢中になっているなら、昼食をきちんと取れないでしょう。私がお弁当作ってあげる。一つも二つも手間は変わらないから」と弁当を作って置いていってくれた。(写真参照)
私は妻が弁当を作っているのを見ていない。それがよかった。11時半。私の昼食の時間である。朝5時半に朝食をとるので11時には腹が減る。盆の上の大きめのハンカチにくるまれた弁当と飲み物と薬を載せテレビの前に陣取る。ハンカチの結び目をほどく。久々のワクワク感。
小中学校時代、家は貧しかった。それでも学校給食のおかげで昼食はクラス全員同じものをほぼ同じ量食べることができた。時々給食室の工事だとか何かの都合で給食がない日があった。そんな日は家から学校へ弁当を持って行った。学校給食と違って家庭の生活程度がもろに弁当に詰まっていた。そんな弁当持参の日、弁当のフタを開けるとブック型弁当箱の詰められた押し麦がいっぱい入れられた少し黒っぽい飯の上にサンマの半身があった。骨がきれいに抜かれていた。でも前の晩秋刀魚は6人家族に3匹だった。母親は自分の分を食べないで私の弁当にサンマを入れてくれたのだ。嬉しかったけれど悲しかった。
妻がつくってくれた弁当は美味かった。アルミのブック型弁当は、プラスチックのタッパーウエアに代わった。弁当は不思議な箱である。中に詰められるのは飯とおかずだけと思うが、それ以上のナニカがぎっしり詰められている。母には言えなかった「ありがとう」を妻が勤めから帰って来たら言おうと決めて、完食したタッパーの蓋をしてハンカチで包んだ。